2021/12/29

年末、火傷と虫歯


口を大きく開けようとすると、なぜか目も大きく見開いてしまう。
これは小学生の頃、合唱団に入っていた名残だ。
だから、合唱する人たちの顔は、どこか怖い。

日本みたいに、目にガーゼとかかけてくれないから、
自ら目を瞑らない限り、すべての様子が見渡せる。
口を大きく開けるたびに顔を反らせてしまって、
歯科助手のお姉さんの着ている服にプリントされた無数の
歯ブラシを携えた歯のキャラクターが、目の端でチラつく。


最新鋭の機材が揃った診療室のモニターには
レントゲン写真か、治療しなくてはならない歯のリストが
ずっと表示されていた。
おかげで、歯の番号に無知だったが、
レントゲンと照合させて大体、覚えることができる。
麻酔が効くまでの間じっと、モニター画面を見ていたのは、
画面の他に、見るものがないからだった。

小鳥みたいに小さな口ですね、と言われても
これ以上大きく開けることはできない。
それでも頑張って口を開けながら、小さい頃のことを思い出していた。

子どもの頃、口が小さくてよく、ものを食べこぼした。
ジュリア・ロバーツみたいな口になりたい、
小学生のとき、姉の買ってきたロードショーの表紙を飾る
彼女の顔を眺めながら、本気で思った。
そうしたら、ぼろぼろものを口からこぼさなくて済む。

断続的な治療のせいで、すっかり赤くなってしまった口の両側に
先生はヴァセリンを塗ってくれる。


在外でかかる病気は、一番困る状況の一つだけれど、
十数年間、そこそこギリギリな生活をしている私は
一通り、病気の色々を経験している。

緊急外来のすったもんだを高熱にうなされながら眺めたり、
デング熱でひたすら点滴を打ってもらったり、
(この時、優しいホーチミンのベトナム人看護師さんは
「世界に一つだけの花」を一生懸命日本語で歌いながら、
点滴の針を腕に刺しくれたりした)
熱帯の新種の虫みたいに色鮮やかな薬を大量にもらったり、
日本なら腕にするはずの解熱剤をお尻に注射されたり、
痒みが一瞬で引く、恐ろしく強力な軟膏を処方されたり、
見たこともないぐらい立派な絆創膏を貼ってもらったり。

数年前ヨルダンで手術した時は、キャッシュレスにするために、
ロンドンの保険会社に掛け合って万事整えた手術当日、
前日と違う受付スタッフが、保険は効かないの一点張りで、
手術前の1時間、ひたすら激しく戦った。

4、5時間の手術の後、麻酔が切れたらものすごく寒くて
布団乾燥機を直に布団に入れてもらっても、体がガタガタ震える。
寒い寒い、とアラビア語やら英語やらで訴えている私を尻目に、
ちゃんと見ておいた方がいいわよ!と、看護師さんは
笑いながら陽気に、摘出した部位の入った漬物瓶を見せてくれた。

手術の次の日の昼食に、ハンバーガーかフライドチキンかどっちがいいか
と尋ねられ、2択しかない事実に恐れ慄き、すぐ退院した。
本来ならば1週間ぐらいは、軽く入院するような手術だったけど。


でも、歯医者へは、ほとんど行かなかった。

クリーニングには時々行った。
その歯科にはヒジャーブをかぶっていなくて、
胸がメロンみたいな歯医者さんがいた。
確かに病院内も歯医者さんも綺麗だったけれど、
整形が中心のようだった。

数年前、別の歯科へ行った時は、詰め物が取れたからだった。

同僚が通っている歯科へ一緒に行く。
先生は治療の時近づいてくるといい匂いがする、というのが、
その歯科に対する同僚なりの売りだった。
いい匂いには興味はないが、ぽっかり空いた歯は
想像するだけでスカスカして、居心地が悪い。

電灯が切れかかり、手すりの朽ち果てたぼろぼろの階段を登っていくと
私が小学生の時に通っていた歯医者と全く同じレベルの機材が
診療室に並んでいた。
受付の奥には、歯医者と彼の友達、という人がいて
治療前にシャニーネ(しょっぱいヨーグルトジュース)を勧められる。
こちらにありがちな拒否権なしの状況で、何故かシャニーネを飲みながら
自分の順番が回ってくるまで、同僚の治療の様子を見ていた。

その日、診療も終盤だったのだろう先生には、
誰かからひっきりなしに電話がかかってきた。
歯医者が電話をしている5、6分の間、
同僚の口には唾のバキュームホースを差し込まれたままだった。
同僚はただひたすら、頬をブルブル震わせながら唾を吸われている。
歯科助手は誰かとチャットをするのが忙しくて、
同僚などまったく、眼中にないようだった。

その時治療した詰め物の歯に、全く違和感がなかったわけではなかったけれど、
両側の歯を均等に使わないと大物政治家みたいに顔が歪むらしいから、
それは困る、と気をつけて両側で咀嚼していた。



ここ数ヶ月、寝ている意外はずっと仕事をしているような生活だった。

忙しすぎた数週間前の深夜、その日一食目のパスタを茹でていて、
茹だった鍋を持った手が滑る。
そして、お腹に大きな火傷を作った。

パジャマのゴムに沿って、横向きの竜の落とし子みたいなアザになった。
来年の干支はまだ辰じゃない、と突っ込んでみたり、
どんな流行りに敏感な女子よりもハイウエストにパンツをはいてみたり、
色々気を紛らわせようとしたけれど、とにかく痛かった。

火傷の一件から、何だか弱ってきた気がしてくる。
貧血など、なったこともない身体だったのに、
立ちくらみをするぐらいの頭痛に悩まされた。

そして、治療した詰め物の入った歯が今回、痛み出したことに気づく。
気持ちではなく、物理的に歯が問題だったのだ。


前回のような、素性の分からない怪しい歯科には行かないと心に決め、
日本人がよく行く歯医者さんにかかる。
病院内はとても綺麗で、衛生環境をどのように保っているのか
丁寧な説明まで、初日にはしてもらった。

自分の歯を見せるのは、裸で外を出歩くぐらい恥ずかしい、と
誰かが言っていたけれど、激しく同意、だ。
歯医者は、痛くなってから行くところではないと
知ってはいたけれど、行きたくなかったのはただひとえに
本心からそう、思っていたからだった。

レントゲンを撮ってから、一つ一つ説明をしてもらう。
きっと、歯医者冥利につきるぐらい、心躍る患者だったに違いない。
ぼろぼろの遺跡の壁でも修繕するような感じで
患部を削っては詰め物をして固めていた。

今の海外保険では歯の治療はカバーされないから、日本へ帰ったら、
と毎回思いつつ、日本の歯医者は予約を取るのに大変、
帰国期間中、特にコロナ禍では自由に動ける時間もなさすぎて、
及び腰になっていた最近のツケが、回ってきたのだった。



麻酔を下の歯に打たれると、舌も痺れる。

目が合うとニコッとしてくれる優しげな歯科助手のお姉さんに
気を紛らわすため、冗談の一つでも言っておこうと、
最近食べたアラビー菓子の名前を列挙しようとする。
でも、アラビア語は舌が痺れていると
正確に発音して話せない言語なのだ、ということに気づく。
(それに比べると、日本語はそれほど舌を動かさなくてもある程度話せる)

もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ、
まな板の鯉、猫に睨まれたネズミ、などなど、
あらゆる言い回しを鎮痛な心持ちで思いめぐらせながら、
あの悲痛なルーターの音を聞く。

齧歯類みたいに歯がどんどん伸びていったら大変だろうな、とか、
歯のほとんど残っていない知り合いのおじさんの顔とか、
いろいろなことを治療中、考える。

ついには、歯医者さんの気持ちに思いを巡らせたりした。
他人の歯を見続ける人生、というのは、どのようなものなのだろう。
その人の癖とか、食べ物の趣向とか、歯を見たらわかるのかもしれない。
私、歯磨きは大好きなんです、と伝えたところで、
趣向と癖は変えられない。


意気消沈甚だしいまま、仕事に戻り、
心散り散りな歯の治療にまつわる諸々を、ローカルスタッフに報告する。

ヨルダンの水は石灰が多いから歯にはすこぶる悪い、という話を聞き、
ぼろぼろにするのは髪だけではなかったか、と慄く。
それでも、結構長生きしている知り合いはいるから、
何とか生き延びる術はあるのだろう。


結局年内には、歯の治療が終わらなかった。
新年までに、歯のコンディションを完璧にしておきたかったけれど、
そういうわけには行かないらしい。

そして、年始に歯の治療は終わっても、火傷の跡は数年残るだろう。
面の皮は厚目だと思われている節があるけれど、
実際のところ私の皮膚は、随分繊細にできている。

歯磨きは本当に大好きだけれど、
大好きだから虫歯ができないわけではないらしい。


一体、自分の身体を労る、とは、どうしたらできるものなのか
正直よく、分からない。

火傷の原因をすっかり忘れて
もう2つも湯たんぽを持っているのに、
また新しい湯たんぽを買ってみたりした。






来年こそ、ちゃんとした人たちがきっとしているのだろう、
そういう何だか当たり前のことを、きちんとできるようになりたい。



2021/10/01

砂塵と鳩の舞う土地 - カメラをいじる 深く冷たい森

子どもたちがわらわらと道を塞ぎながら登下校をする様子が
キャンプの中に突然、戻ってきた。
当たり前の光景のはずだったのだけれど、
久しく見ていなかったせいで、なんだか感動さえする。

日本に帰っていたり、別事業が忙しかったりして
先週からやっと、キャンプに行けるようになった。


キャンプへの入構にはワクチン接種証明書が必要になったけれど
学校を見る限り、誰もきちんとマスクをしていない。

根本的に、考え方が違うのだろう。
予見するリスクよりも、今の快適さを取る。
ほぼほぼ皆が同じ行動様式を取っているから
頑なにマスクを外さない私が、何だか失礼な人間のように思えてくる。


コロナに関することだけならば、公衆衛生の知見から賛同はしない。
ただ、先々のリスクの可能性だけに拘泥しないのは
たとえいくらか短絡的に見えても、
一つの姿勢として尊重すべきことだと思える。
リスクを考えすぎて何もできないよりは、前に進んでみる方がいい、
そう考えているのであれば、建設的な姿だ。

先の見えないリスクに怯えすぎて失うものばかりの日本で見た
たくさんの事象が正解なのか、
私は本当に、分からない。


(新しいスタッフたちへのブリーフィングが午前中にしっかり入っていた。
果たして自分の下した選択が正しかったのか、不安になるような
なかなか話を最後まで聞かない人たちがいたりする。
平気でこちらも話を遮って訂正するようになったので、
お互いトントン、という現状を客観的に振り返り、頭を抱える。)


女子シフトも男子シフトも、子どもたちの顔がなんだかとても
輝いて生き生きして見える。
本当に、かなりの子たちが嬉しいのだと思う。
調子に乗って私の名前を連発する子どもたちの声も
今のうちはまだ、ありがたいと思える。




団体のプレハブと教室が近くなったはっむーでがよく、遊びにくる。
授業を受けさせたいから教室に戻すと、
クラスメイトが乱暴に彼の腕を引っ張っていく。
教室に入る時に一瞬、不安げな顔をしてこちらをみるのが、気にかかる。


一眼レフを団体の控室となっているプレハブに置きっぱなしにしていたら
教室からいつの間にか出てきたはっむーでが、カメラをいじっていた。




うまくシャッターが押せないはっむーでは、身体がうまく成長しない。
手も腕も、彼なりの動かし方があるから
重い望遠レンズをつけたカメラを持ち、
腕を固定したり、シャッターを押すのに、工夫が必要になる。
何度もカメラを抱えながら試しているうちに、その工夫を次第に
会得していく様子を見つめる。

よくよく考えてみたら、彼は左利きだからなおさら、
シャッターが押しづらいのだった。
カメラが右利き用に作られていることに、今日まで気づかなかった。






そんな様子を見ている傍で、ずっとWhatsAppのボイスメッセージを
聞き続けているスタッフがいた。
普段、勤務時間中に電話を気にするような人ではないので、
特に注意もしなかったけれど、ずっと気がついては、いた。

スタッフの間の会話を注意して聞く。
すると、ベラルーシという言葉を連発していた。
まさか、と思い詳細を尋ねる。

今、ベラルーシ経由で亡命を試みる人たちが増えている。
ベラルーシがEUからの経済制裁の腹いせに、
ヨーロッパへの門を、亡命者に開いているのだ。
シリア人だけではなく、情勢不安の国々から逃げる人々が
ベラルーシ経由でポーランドを抜けてドイツやオーストリア、ベルギーなどへ
移動をしていて、ポーランド国境は軍が取り締まりに腐心している。
キャンプからも90名ほどの大人たちが最近、
ベラルーシ経由でヨーロッパへ入っているという。

亡命者相手のブローカーの悪質な手口は例を挙げてもキリがない。
国境までついても、ポーランド国内で迎えを手配するには
さらにその場でお金を積まなくてはならない。
そもそも、国境までのブローカーが信用できる保証はないから
国境までついたらパスワードで送金を手配できるような
国際的なブローカーと亡命者の信用を確保するための送金システムもある。

ベラルーシ内のポーランドにほど近い主要な街から国境を越えるのに、20キロ。
森が深く足元も悪いから、長靴や雨具や防寒具が売れている。
たった20キロを越えるのに、随分と時間がかかる。
トランジットビザは2日間のみ有効だから、その間に
できる限り進むしかない。
もう秋も深まるベラルーシの森は十分に寒くて
寒さに命を落とす人もすでに、出てきている。

本物のガーバ(森)だ。

いつでも、ガーバという単語を耳にするたびに、その語感から
深く暗い森を想像していた。
そんなもの、アラビア語圏のどこにも、存在しない。


ボイスメッセージは親族からの状況報告だった。
今まさに、ベラルーシのポーランドへ続く森に挑もうとしている。


砂が竜巻になって形を変えるキャンプは、まだまだ暑い。
子どもたちが体育の時間にグラウンドへ行かず、
プレハブ教室の間をウロウロしている。

7年も8年もずっとこの環境にいて、そこからさらに
何の保証もないまま、今度は深い森を彷徨う選択をするの?
ヨルダン人スタッフに英語で思わず、訊いてしまう。

だって、キャンプに未来なんてないでしょ。
彼らはすでに、あらゆる手段を試みる人々の情報を持っているのだから、
今はこの方法が一番可能性がある、ということだよ。

気がつくと、はっむーでが大人しく、私たちの会話の様子をじっと見つめていた。

深い森など、もう久しく体感していない。
カラカラの茶色い大地に、すっかり目が慣れてしまった。

想像を絶する不安を抱えながら、
ひどく湿った冷たく深い森を歩む人々の様子を想像する。

もしも僕もこの手段を使うことになったら、亡命先が決まるまで
家族を一緒に連れて行けないから、
離れ離れの間、家族のことは頼んだよ、と
スタッフが笑いながら声をかけてくる。


日本においでよ、とは、決して言えないのが、
本当に、無念で仕方がない。
新しい土地に選ばれるような、明るい未来のある国だったならば、
何としてもうまく事を運べるよう、できる限り尽力することができるのに。


4時間目の授業に行ったら、久しぶりにクイズ大会をしていた。
「自分の前にあるけれど、目に見えないものは何?」というクイズに
子どもたちは、鼻、とか、空気、とか大きな声で言い合う。

違うんだな、正解は何だと思う?
スタッフが答えを溜める。
子どもたちは、正解を見つけられないで、そわそわしていた。

正解は、未来。
スタッフはしたり顔で、でも大事そうに心を込めて、答えを口にしていた。


2021/09/11

雨が染み込み、でも温かく


8年ぶりの、夏の日本への帰国だった。
記憶の中の日本の夏は、茹だるような暑さと湿気。
典型的だけれど、入道雲と蝉の声。
ずっと夏には帰っていなかったから、時々日本との会議で
背後から蝉の声が聞こえたりすると、じんわり切なくなったりしていた。

だから隔離中の朝、蝉の声に目覚めて、しばらく横になったまま聴き入っていた。

でも、暑い日はそれほど続かなくて、呆れるほど曇りか雨の日が続いた。
日本では雨が降り出したらずっと雨か曇りなんだとか
当たり前のことに気づいたりした。
ヨルダンでは雨雲と風はセットのことが多いから、
雨が降り出したら、その後には虹が見える確率が高い。
雨が降る冬は、空にかかる虹を待っているのが
すっかり習慣になっていた。

日本の雨は終わりがなくて、しっとり濡れた緑が映える。



私の記憶の中では、なんだか寒い日本、だった。
どうにも寒がりなので、季節外れのフリースを慌てて買った。
心構えのない寒さは、苦手だ。





期待外れだったのだと思う。
期待外れについて、結構ずっと考えていた。
それは、例えば入国の時のおかしさだったりした。
なんでこんなにたくさんの人が入国にかかる手続きにいるのだろう、とか。
電子化が定着しつつあるヨルダンに比べて、どうして圧倒的に
日本の入国にかかる手続きはアナログなんだろう、とか。
働いていらっしゃる方たちの中には、不安を感じている人たちもいるだろう。

ヨルダンは隔離対象国なので、ホテルに連れて行かれる。
そのバスには、ビニールがあらゆるところにかけられて
外など一ミリも見られない、護送車みたいな状態になっていた。
海外からきた人は誰も彼もがコロナにかかっていることを前提にした
対応をされていることに気づいて、途方に暮れる。




こんな対応をするより、入国前の検査数を1回から2回に増やすとか
しっかり何度かPCR検査をしてほしいな、と思った。
PCR検査だけではないけれど、
なぜ、日本政府が支援対象としている国の一つである
ヨルダンでは円滑にできていることが、なぜ日本ではできないのだろう。

そして、何よりも日本で街中を行く人たちの行動様式が、
ヨルダンよりもコロナ対策がなっていないということに
何度も唖然とした。

それなのに、罹った人には冷たい。
こんな状態では広まってもおかしくないのに、罹ったらおしまい、
みたいな空気感への矛盾に、ぞっとした。

ルールが形骸化するシーンを何度も見て、
それが個々人の判断への責任だけでは語れない話なのだと
次第に気づいていったりした。

私を含め、誰もが知らない間にあらゆる場所で、目的の見えない実験台になっている。
実験をしている人は誰なのだろうか、と薄寒さを感じる。

だから、色々な意味で、寒かった。
日本ってこんな国だったんだ、と今更気づく。

(ところで、日本を私は「にほん」と発音する。
「にっぽん」が正確な音だけれど、統計的には
半数以上の人たちは、にほん、と口にしているらしい。

自分の国の発音が違う、というのはなんだかおかしなことだ。
個人的には、にっぽんという音を聞くと
戦争中のラジオ放送の音声を思い出してしまって
いちいち気になってしまったりする。
コロナ禍ではよく出る文脈だと思うけれど。)

いつか、日本へ戻ってこなくてはならない。
日本人として、違う国に住み、日本の何かしらの強みを伝えていくのが仕事ならば、
今の日本には問題が多すぎる。
特にコロナ以降、自分自身が帰国のたびに問題を体感してしまって、
このまま仕事を続けていいのだろうか、という
疑問をずっと抱き続けている。




短い帰国だったから、展覧会によく行った。
ヨルダンとの仕事は午後から始まるので、午前中に出かける。
ピンとくるものも、さっぱりなものもあった。

ルール?展にきている人が圧倒的に若い人たちだったのが
新鮮でなんだか素敵だった。
体験型のコンセプトが面白くて、
展示内容のどれにも、新しい発見があった。





アナザーエナジー展のレバノン人の作家の絵が
静かに情熱的で、でも暖かでよかった。
それから、高層ビルの屋上から見える景色の手前に置かれた彫刻が
二重の意味で均衡を感じさせる贅沢な展示だった。




イサムノグチ展の作品は、もちろん素晴らしいのだけれど、
来場者の数が多すぎて、彫刻の周囲に空間がもはやなくなっていた。

山城知佳子は、どこまでも剥き出しすぎて
少し混乱した。

フェルト、脂肪、そしてフィクション展は
作品の語る言葉が多くて、もっとよく聞き取りたかったけど、
たぶんうまく聞ききれなかったと思う。




一番記憶に残ったのは、Walls&Bridges展だった。
きっと、美術を一線でやっていたら、反対に興味を引かなかったかもしれない。
でも、紹介されている作家の作品にどれも
手に触れられるような、ものを作り出す人独特の愛情があって
なんだか、とても安心した。
日記映画、として日常を撮影し続けた作家の映像に
柔らかい光が溢れていた。


本もたくさん読んだ。
いつ持っている新しい本を読み終わってしまうのか
不安になることがない、というのはどうにも素敵なことだった。

とにかく圧倒的に良かったのは、「すべての見えない光」だった。
物理的に私の好きなものと、私自身が常に気にしていた類の人の心の動きが
交差して、ひどく美しい作品だった。

読む本がなくなると本屋へ行って、ピンとくるものを探す。
あまり遠くの本屋へは行きづらかったから、
徒歩圏内の2件の本屋を行き来した。

それから、自分では普段手に取らない本も人から紹介されて
それらのどれもが、新鮮だったり、納得できたりした。
以前は好きな作家が決まっていたから手に取ろうともしなくて、
人から紹介されても、よほどでない限り進んで読まなかった。

人から本を借りる良さに、気づかせてもらった。

本を読むと、その感想を会ってくれる人に話していった。
うまく話せることもあったし、うまく言い表せないこともあった。
けれど、人に話すというのは、自分の理解度や咀嚼具合を確かめるのに
随分役に立った。
普段読んだ本の話を興味を持って聞いてくれる相手もいないので、
耳を傾けてくれる人たちがいるのは、ありがたかった。

会ってくれる人たちは、誰もがコロナ禍のこの状況に
それぞれのフィールドでできることを、精一杯していこうと
考え、行動する、本当に格好いい人たちばかりだった。
地味だったり、キラキラしていたり、一見した見え方は異なるけれど
誰もが、しなやかに闘う勇者みたいに見えた。
だから、だと思うけれど、誰に対してもとても温かくて、
それが何よりもありがたかった。




きっと会えなかった人たちもまた、さまざまなことに戸惑い、闘いながら
何かに精一杯なのだろう。
想像するその様子は、私とたぶん、同じだ。



人たちに会った帰り、時々ぽつぽつ夜の東京を歩いた。
一人になると、急に寂しくなるし、なんだか不安になった。
深夜の街灯に艶めく常緑樹の葉っぱやアスファルトはきれいだけど冷たくて、
薄く濃淡を残す雲はじっと動かなかった。

日本での宙を浮くような暮らしは漠然と不安を駆り立てる。

それでも、出会う人たちがそれぞれの基軸をしっかり持って、
その人たちと家族や大切な人や周囲の人たちの生活や心持ちを、より良くしようと
絶え間なく試みを続けている姿を見させてもらった。
不安や疑問は、動いて向き合っていくものなのだな、と
説得力を持って提示していただいた。


ヨルダンに戻ってきたら、こちらもまたいつの間にか
雲が空を漂う秋の景色になっていた。
雲は少しずつ形を変えて流れていく。




今年は例年よりも少し早く、雨が降るかもしれない。
ずっとヨルダンは水不足に悩まされているのに、
食器を洗う水を盛大に出してしまった。
金木犀の香りが好きだけれど、日本にいる間には花がまだ咲かなかったから、
香水を大枚叩いて買ってきた。
まだ日本を引きずっているな、と反省する。


意図せず、かもしれないけれど、温かな人たちは
地道に仕事をしていけ、と私を励ましてくれたのだと勝手に、思っている。

シリア人のお母さんたちみたいに、いつか強くて温かい人になれるように、
まずは足元から地道に仕事をしよう、と思う。
大体いつも同じことを、毎回初心に戻るように思うのだから、
よほど忘れっぽいのだろう。


2021/07/21

砂塵と鳩の舞う土地 - 少女の表情 違う土地へ 腕いっぱいのお土産

暑さが厳しくなってくると、移動中の車の中の窓から
差し込む光でさえ、意地悪に思えてくる。

あっけらかんと何もない茶色い土地はいよいよ
ホワイトアウトして、目が痛くなる。
車の中から見る景色でさえ、そうなのだ。

色々済ませなくてはならない仕事が続いていて
どうにも忙しなく移動を繰り返す日だった。
家庭訪問が3件、そのうち一つは教材を作るためで
先生の家へお邪魔する。

特に理由はないのだけれど、活動場所の学校から遠かったばかりに
あまり普段長居することのない家だった。
子どもさんたちがまだ小さくて、誰も彼もが
お母さんである先生を待っているから、余計に
家へお邪魔して、お母さんを取ってしまうのは良くない、と
遠慮する気持ちも、どこかでいつもあったりする。

この日もまた、お母さんの帰りを心待ちにしていた子どもたちが
家の扉を開けた瞬間に、わらわらと奥から迎えにくる。
そして、お母さんと一緒に見知らぬ顔があることで
急に神妙な表情に変わる。
とにかく、正直な子たちだ。

この日は、家の中の光をうまく使って、コントラストのある写真を撮る
という課題のための、教材作りだった。






あなたの好きなものならなんでもいいんだよ、と言われて
特に戸惑う子どもたちが多いアラブ圏では、
美術の授業で、先生がお手本で描いたお世辞にも上手とは言えない絵を
子どもたちが必死に描き写していたりした。
表現を蔑ろにしている、とも言えるし、反対に考えれば、
学習するという姿勢においては他教科と美術は同じだ、とも言える。

もっとも、日本の子どもたちばかりみてきた私には、
その素直さ、従順さが恐ろしくもある。

描きたいものを描くのではなく、先生の描いた通りに描くことが
いい絵だと、見なされる傾向が強い。
正解がたくさんある世界に生きられない子どもたちは、きっと
窮屈に感じていることだろう。


一方で個人的には、芸術のどの分野においても、基礎技術はあった方がいい、と
考えている節が、私にはある。
なんでも表現だからいい、というのは、自由で素敵に聞こえるけれど
ある意味、教える側の無責任でもある、と思っている。
出てきた作品について、これはいい、悪い、ということは決して言わないけれど
明らかに手抜きなのは悲しいし、最低限学習したことは使ってみてほしい。

せっかく教える機会があるのであれば、最低限の知識は教えておきたいと、
いろいろ欲が出てくるのは、悪い癖。

さまざまな例を紹介するけれど、その例をきちんと踏襲した写真も多い。
例の中から、気に入ったものを選ぶのもまた
個人の選択だから、それだけでも十分、表現だと思っている。
課題を理解して、自分なりに撮ってみる経験が大事で、
彼らの長い人生のどこかで、その経験が役立てばなお、いい
などと思いながら、教材を作る。

先生のうちの子どもさんが、家のお手伝いをする姿を写真とビデオに撮る。

他の兄弟は皆男の子で、一人だけ女の子の長女である彼女は
ひどくしっかりしている。
お母さんの仕事をよく見ていて、すでにたくさん学習している。
お母さんの代わりに仕事をするのも、とても好きだ。

だから、お母さんが私たちの相手をしている間に
トルココーヒーを作ってくれる。
その様子を収めたくて台所へ行ったら、
台所の彼女用に用意された小さな台の上に立って
すでにカップをお盆に準備していた。




ビデオやら写真やらを撮られて幾らか緊張していたのだろう、
目一杯火力を強めて煮たコーヒーが吹きこぼれてしまう。
お母さんが笑いながら床にこぼれたコーヒーを拭き取る。

こういう時にこちらも慌てる。
お母さんが子どもを叱ったらどうしよう、と一瞬不安がよぎるからだ。
お母さんが笑ってくれて、心のうちで胸を撫で下ろす。

コーヒーをいただいている間、家の小さな男の子たちは
それぞれ大人しく遊んでいる。
2歳半の子は、自分の名前を言えるようになった、という会話をしていて
名前を尋ねてみると、恥ずかしがって言ってくれなかった。
4歳になる男の子はきちんと名前を答える。
あら、ちゃんとお兄さんは名前を言えたわよ、とお母さんが頭を撫でながら
2歳半の子に声をかける。
しばらく様子を見ていたら、2歳半の子は呆れるぐらい嫉妬心を丸出しにして
遊ぶ手も止めたまま、じっとお兄さんのことを見つめていた。

いつもそうだけれど、ぼんやりしていると訪問理由を忘れてしまう。
居心地よくしようと、迎えてくれる人々はいつも
いい時間を作ってくれるからだ。

それまでいた客間の他はどこも、電気をつけていない。
だから、土間も台所も薄暗くて、小さな庭に通じるドアの脇だけが
明るく輝いて見えた。

娘さんがドアの横にある鏡の前に立つ。
きっと、お母さんもお父さんも、電気が来なくても光があるところで
自分の姿を確認するからだろう。

大きくひび割れた鏡の前に立つ少女の表情は、刻々と変化して
戸惑いと不安と、興味と好奇心が波たつ。

肖像画にでも出てきそうなきれいな顔立ちの娘さんは
光と影の濃淡に表情を際立たせながら、割れた鏡の中で写真に収まる。

たまたま割れていただけなのに、鏡が割れているだけで写真は
意図しない意味を持ってしまう。
これは使えないな、と美しい少女の顔の写真を確認しながら
小さく心の中で落胆する。

家の中はまだそこまで暑くないけれど
わずかに漏れ入る直射日光の下だけは、焼けるように暑い。
プレハブを工夫を凝らして繋げた家の中の
ほんの少しの光を探しては、写真を撮り続けた。

しばらくすると、玄関のドアの外で自転車を止める音がする。
すると、男の子たちがまたわらわらと、ドアの前に集まってくる。

旦那さんが帰ってきたのだ。

荷物をたくさん手にした大柄の旦那さんが家の中に入ってくる。
子どもたちもお母さんも、表情のどこかに、安心感を滲ませる。
居るだけで、安心させてくれる存在。

たくさん持っていた買い物袋の一つは、惣菜パンだった。
私たちがくるからと、旦那さんが近くのパン屋さんに買いに行ってくれていた。

居間で食事が始まる。
そんなつもりではなかったのに、という言い訳はいつも、通用しない。
ほのかにまだ温かいパンは、こちらのスタンダード
チーズ、ザアタル、ひき肉がそれぞれ入ったパンだった。

たくさん勧めてくれるのを、お腹の具合を見ながらいただいたり断ったりする。
全ての味を試してみてほしい、と皿の上にはどんどんとパンが置かれる。

しばらく食べるのに必死だったけれど、もうこれ以上は無理だ、と宣言する。
その間も、娘さんは弟たちの面倒を見続け、
気がついた時にはまた、コーヒーを作って持ってきてくれた。

それまで子どもたちの話や最近のキャンプの様子を話していた旦那さんが
おもむろに尋ねてくる。
知り合いにUNHCRの職員はいないですか?

この質問はもう何度も、難民の人たちから訊かれていた。
知り合いはいないし、いたとしてもコネが使える世界ではない。

急に語気の強くなった旦那さんは、最近第3国定住が決まった
近所の人の話をする。
自分たちの名前がリストの上の方に来るように、
ヨルダン人スタッフにお願いしたから行けたのだ、と言い張る。

そういうことは国連機関では考えられないですよ、と口にする
こちらも本心では返事に、窮す。

過去に同じ質問をしてきた人々の顔が、突如頭の中に
次々と浮かんでくる。
あぁ、あの人もその人も、まだヨルダンからどこにも行けず
ただただ切に、他の国へいく新しい希望に満ちた未来を夢見ていた。

こんなに多くの人たちが同じ質問をしてくるのだから、実のところ
何かしらのコネは存在するのかもしれない。
でも、残念ながら本当に知り合いはいないし、いたとしても私の立場で
誰かの名前を指して、平等性を欠く操作の一端を担うことはできない。

新しい国に行った人の全てが、いい生活を築けているわけではないんです、
ここも苦しい、でも、新しい土地もまた、苦しくない保証はない。
それでも、閉鎖された土地にい続けるより
まだ、可能性のある土地へ行くことに、未来を見出したいでしょう。

アラビア語と英語を混ぜながら、必死にそんなことを口にしていた。

その時ちょうど、日中配給されるはずの電気が、止まってしまう。

慣れた様子で、子どもたちがカーテンを開ける。
電気が来なければ、一気に部屋の中は薄暗くなってしまう。
暑さを防ぐためのカーテンも、光には負ける。



ふと、諦めにくぐもった表情だった旦那さんの口調が穏やかになって、
お菓子の話へ変えてくれた。

ガライベ、という私の大好きなこちらのクッキーの味が
ヨルダンとシリアでは全く違う、という話題で盛り上がる。
一度だけ食べたことのある、シリアのガライベは、
サムネという脂の味がしっかりしていて本当に美味しかった。

そうだった、と声をあげて、お母さんが立ち上がって部屋を出る。
両手に立派なプラスティックの入れ物を抱えて
部屋へ戻ってくる。
マグドゥース(ナスの漬物)と、ブラックオリーブだった。

今度私が家に来た時には渡そうと、取っておいてくれたらしい。
それから、また台所へ行ったかと思うと、
琥珀色のゼリーのようなものの乗った皿を持ってきてくれた。




16時間煮続けて作る、かぼちゃのお菓子だった。
繊維質で甘さの弱いこちらのかぼちゃをお菓子にするには
砂糖をたっぷり入れてゆっくりじっくり、煮る。
ジャムを作る要領と同じだった。

歯に響くぐらい甘い、羊羹のような味のお菓子だった。

これ、日本のお菓子にそっくりだから、緑茶と一緒に食べたいな、
などと口にしたのがいけなかった。
そそくさとお母さんが立ち上がったかと思うと、
瓶に入ったカボチャのお菓子を持ってきてくれた。

本当に羊羹のようだったし、懐かしい味だけれど
なんでもかんでも思った通りに口にしてはいけなかった、と
心底後悔する。
特にベドウィンの人たちに多く見られる慣習だけれど
こちらの人たちは、他者が自分の持ち物を羨んだら
あげてしまう、という慣習がある。

どれだけ自分たちの生活が大変でも、
他者の喜ぶものは、進んで差し出してくれるのだ。


断っても聞く耳を持ってくれなくて
気がついたら、ペットボトルに入ったオリーブまで
お土産の入ったビニール袋に入れられていた。
入れてくれたビニール袋では重すぎて
取手が破れてしまう。

結局、両腕に抱えて、帰路に着くこととなった。
じわりと胸に広がる喜びと後悔で、なんとも言えない心持ちになる。

でも、美味しいものを美味しいと言わないのもおかしいし、
美味しいと言わなかったら、それも相手が傷つくでしょ、
やっぱり、日本のお菓子みたいだって言ったのがいけなかったのかな、
同行してくれたスタッフに、ぶつぶつ私は言い訳をする。

今度は緑茶をお土産に持っていったらいいんじゃない、と
スタッフは言う。
でもたぶん、彼らは苦い緑茶をあまり好きではないだろう。
甘い羊羹のようなお菓子でさえも、甘い紅茶でいただくから。

私が持ってくる得体の知れない異国の食べ物ではなく、
一番彼らにとって嬉しいのは、雇用し続けることだろう。
当たり前だけれど、私という個人の人格だけでは、
きっとこんなお土産はいただけない。

難民のお宅でものを頂いていてしまった後ろめたさに加え、
また違う種類の後悔と苦しさが、頭をよぎる。
それがマグドゥースの喜びに勝って、仕事の問題の色々が頭を擡げる。
異なる意味を帯びて、その意味に物理的な重みでもあるように
お土産はまたずしり、と重くなる。

単純に美味しい、懐かしい、嬉しいという気持ちに応えたい、という
純粋な思いも必ずあったに、違いない。
もしかしたら、すべてはただ純粋な優しさだけなのかもしれない。

ただ、その純粋な優しさには、雇用される立場がなせる
無意識の保身や保険も含んでいる可能性は拭いきれない。
そうさせているのは私の存在そのもので、彼らにはどんな非もない。

考えていたら、知らない間に音に出して唸っていた。
横に座るスタッフが、窓の外を見つめていた私の顔を覗き込む。

とにかく、受け取ったものは大切にいただく。
それぐらいしか当座、私にはできない。

頂いたカボチャのお菓子は、でも気がついたらカビが生えていた。
どうやって保存したらいいのか、きちんと訊いておかなかったからだ。
申し訳ない気持ちで、いっぱいになる。

カビの生えたところは除いて、もう一度火を通して
深夜なのについ、お皿に乗せて頂いてしまう。
手元にあったコーヒーでも十分、苦味が甘さとよく合った。
でも、お宅でいただいた時の、トルココーヒーの方が結局
味に締まりが出ることに気づく。


2021/07/11

クララとお日さま ー 盲信と、善と、人を人たらしめるもの


子どもの頃のおかしな習慣を思い出していた。
どこにいる、どんな存在なのかわからない神さまに
身近な人たちと知らない人たちの健康と幸せを毎晩、なぜか祈っていた。

就寝する前、頭をすっぽり布団で覆い、
同じ順番でお祈りをボソボソと小さな声で口にする。
順序を間違えてはいけないから、結構毎晩、真剣だった。
いつ始まって、いつ終わったのか分からないその習慣の
断片的な記憶の多くは、口にする時の緊張感と、必死さだ。

小説の中にも主人公が思いを一心に込め、お願いする場面がある。

夫が出張に行っている間、夫の無事の帰還を祈って
コーヒー断ちをする妻の話を聞いたことがある。
一晩中起きて祈り続ければ、拾ってきた死にそうな白い鳩が
元気になると信じて家族に内緒で、一晩中起きていたことがある。
その白い鳩は、結局血を吐いて次の朝、死んでしまったけど。

小説の中にも主人公が自分の犠牲を払っても、
願いを叶えるために、勝手に思い込んだ使命を果たそうとする場面がある。






この小説のストーリー展開だけを端的に説明しようとするのならば、
おそらく、主人公である人工友だち(AF)クララが、
自分を友だちに選んでくれた、病気がちな少女ジョジーの健康を取り戻すため
自分で作り出した契約に含まれた使命を遂行する話、となるだろう。

クララの存在は、社会性を育むのに十分な環境を享受できない
未来の世界に住む子どもたちのために、創造されている。
自分を購入した家族の中にいる子どもが
孤独を感じず、思いやりを持って他者と関わり合えるよう、
将来生きていくのに必要な情緒を整え育めるよう、
献身的に尽くす人工人間だ。
(この観点がとても興味深かった。
ヨルダンはオンライン教育に拘ったために
社会性育成の場がなくなることを、個人的にひどく懸念していた。
オンライン教育の弊害について、限定的ではあるけれどまさに、
危惧している世界を小説の中で見せてくれていた。)


特にクララは、観察力に長け、そこから多くを学ぶ特質を持っている。
素晴らしい人工知能を携え、人間と同様に、時には人間以上に
周囲の様子を感知し、思考を深める能力がある。
そして性格は謙虚で、自分の至らぬところを
幾らかポイントはずれているけれど、反省するきらいもある。
(ある意味、人間にとって、一番都合のいい特質を持っている。)

思春期の子どもの繊細で残酷な言動や、
自分で下した人生の選択へ、疑問を抱き続ける保護者たちの言動に
つまずきつづも、複雑な人の思いを相手に、
理解と思考、学習を深めていく。
そして、太陽のように、常に楽観的であろうとする。



人工知能のあり方や人間関係の複雑さ、
人間が根源的に抱いている寂しさや愛情など、
さまざまなテーマがストーリーの中で折り重なり混じり合っているけれど、
私が心奪われたのは、純粋さの危うさと美しさだった。
それは人の純粋な感情の美しさではなく、
周囲の人々の言動から、その人々の心の動きを察知し、
自分の与えられた役割に応える最善の行動をしようとする、
クララという人工人間の思考の、危うさと美しさだった。

お日さまの光が自分の栄養分となるだけではなく、
人も救うのだと信じているクララの、
お日さまへの熱烈な信頼と必死な祈りは、ある意味、子ども騙しで
大の大人には、信じられる代物ではない。
クララがお日さまと取り決めた「契約」と
自分に課した「使命」が、大人たちに信じてもらえないことを
本人もよくわかっていた。
そして、「契約」を口にすることでその効力がなくなってしまうと
信じて疑わなかった。だから、
お日さまと交わした「契約」の内容は誰にも明かさず
でも周囲の人の力を借りて、必死に遂行しようとする。

クララは純粋に、お日さまの力を盲信している。
そして、自分を友だちに選んだジョジーの健康の回復のために
勝手に作り出した使命をも盲信する。
その純粋さと必死さが危うく、だから美しい。

今日日、盲信の危うさを美しいと感じるなどと
大きな声では言いづらい。

私自身、ものごとはあまりそのまま信じはしない。
だから、本来忌み嫌う類の思考のはずなのだけれど、
本当のところ、本の最初のページの、
お日さまへの思いを綴った部分でもう、胸がいっぱいになってしまった。


この小説の中には、カズオ・イシグロの他の作品同様
心の動きを丁寧に描写したり、
心の動きを想像させる登場人物たちの仔細な行動が描かれている。

行動の詳細から見える心の動きは、
クララの目を通し、クララの思考を通して、解釈される。
クララは目にする物事から知識を蓄積し、
ジョジーの孤独を埋めるという役割に、
的確な行動と的確な言葉で応えようとする。

心の機微を敏感に感じながら、学習を深めていく
忠誠心に富んだ優秀なAFであると同時に、
でもなぜか、お日さまだけは、盲信しているのだ。

その幼稚とも受け取れる頑なさと、人工人間という存在のアンバランスさが、
小説そのものを、ひどく情緒的にしていた。

祈りを叶えることが、クララにとっては
自らの存在を危うくするものなのに、彼女は叶えることに懸命だ。
他者に対して善である、という在り方そのものが、
小説を読み終えたあともずっと、心の中で引っかかる。
それは人工人間を作り出した人間の願望であると同時に
他者がそうあって欲しい、自分がそうありたい、という
欲求のようにも受け取れる。


私が私であらしめるもの、あなたがあなたであらしめるものは
一体何なのか。
寂しさや愛情ゆえに、
かけがえのない人を何かに代替できるものなのか。
これらが小説のテーマとなる問だろう。

いくらでも代替が可能なはずの人工人間クララが
この小説の中で、他のどの登場人物にもできない役割を担い、
最後まで、ある性格と特性を備えたクララであり続けている。
ひどく人間らしい、私には少なくともそう思える。
誰かのために存在し、その人のために全霊を傾けるクララが
私の中の、人としての資質の大事な何かと重なっていたからだろう。

個の自由が希求される時代だけれど、究極的には
他者のために存在する自分の方が、
自分のために存在する自分よりも、
幸せなのかもしれない、と、どこかで思っているからだ。

今の時代、はやらない考え方であろう。
けれども、他者をなくしては、自らが存在し得ないし、
一人だけで満たされる幸せもあるけれど、同時に
それでは完結し得ない幸せもあるのだと、思っている。




恥ずかしい話だけれど、大きくなってからも結構
どこの誰だかわからない神さまに、他者の事事をお祈りする。
こちらでは、すでに立派な神さまが存在しているので、
あまり大きな声では言えないけれど。

ある卑小な、でも切実な祈りを叶えるために、自分で定めた使命を果たしたい。
大人になってもなお、そう心のどこかで思っている人は、でも
結構多いのではないか、と密かに勘繰っている。

利他的か利己的か、という二分した考え方だけでは捉えきれない
人間の生きる世界について、自己のあり方について
改めて考えるための小説なのだと、個人的には、思っている。

 

2021/07/02

砂塵と鳩の舞う土地 - あの世の暮らし 子どもたちの存在

朝から、うっすらと望んでいることが、自然と実現する。

遅刻しかけてまずいな、と思っていたら、ドライバーさんが遅刻した。
途中でコーヒー買う余裕はないかな、と思っていたら、
ドライバーさんが遅刻のお詫びにコーヒーをすでに、買ってくれていた。

この日、親族が亡くなったヨルダン人スタッフの家でお葬式があった。
一親等二親等の場合、もしくは会ったことのある方なら
弔問に行くけれど、そうでない場合は判断に迷うところだった。
結局、休むはずだったスタッフが仕事場に顔を出し
声をかけてくれたので、行くことになった。


キャンプへの行き道は、その親族の話になる。
どうも、自死したようだ、と他のスタッフから話があった。

イスラム教では、自死は鬼門だ。
宗教的に、とても悪いことだという認識がなされている。
それが、何が鬼門の理由なのかを同行したスタッフに尋ねる。

神の助けを信じて、生を全うするのが教えだから
自死をしたら、神を裏切ったことになる、つまり
自死をしたらもはや、イスラム教徒ではない、という。

亡くなる時に、信じていた神に見放される、というのは
自ら見放される道を選んだとしても、辛いことだ。
せめて、自死を選んだとしてもその選択に、
神は寛大であってくれないものなのか、と
きっと私が親族ならば、切に思うだろう。
敬虔なご家族であることを知っているばかりに、
なんとも言えない辛さが、身体中へ広がる感覚に襲われる。

自死をした人のお葬式には、通常あまり弔問しないらしい。
それもまた、亡くなった本人にとってもご家族にとっても
辛いことだ。

日本の自殺率の話から、天国の話になる。
最後の審判の日、地獄行きの判決が出ても
地獄を経験した後、天国へ行けるらしい。

私の知り合いは、天国について
この世では経験できない素敵なことが待っている、と言っていた。
具体的にはどんなことなのか、と訊いてみたら
綺麗な女の人に囲まれて、お酒も飲めるらしい、と言う。

それは本当なのか、と同行するイスラム教徒のスタッフに尋ねると
彼女は顔を顰める。
想像できないような世界である、それから
ぶどうやいちじく、オリーブの木などがある、という記述はあるけれど
それ以上のことは、もはや知人の想像らしいということが判明する。
そもそも、想像できている時点で、その想像は天国で実現しないことになる。

たぶん、綺麗な女の人は、天使のことだ、とスタッフは言う。
では、女性にとっての天国には美男がいるのか、という話だ。
それに大前提として、天使に性別はあっただろうか、と記憶を探る。
美男美女の天使がいたとして、天国でも伴侶は同席している、という。
夫婦仲が悪かったら大変だね、とコメントすると
一番幸せで美しい時期が、天国では永遠に続くのだ、と説明してくれる。

人の記憶の中の一番美しい時期はそれぞれ違うから
必ずしも夫の幸せな時期と、妻の幸せな時期が同じとは限らないね、と
意地悪なことを口にする。

自分だったら、どの時期を選ぶのだろう。
そして、亡くなった方は、どの時期を選ぶのだろう。
地獄をくぐり抜けて天国へ行けた時には、
無邪気で愛情に満ちた世界の中で過ごしてほしい。


まだ、若かりし日の寺島進と井浦新がいい役で出ていた
ワンダフルライフ、という映画を思い出す。





一通りキャンプでしなくてはならないことを済ませ、
スタッフの家を訪問する。

いつも通される広い居間には、スタッフのお父さんとお母さんがいた。
訪問した先のスタッフは、用事があって外出中だった。


お母さんは私の正面に座って、じっと一点を見つめている。
もともと心臓も悪いし、コロナでめっきり弱っていたのに
今度の件でまた、ひとまわり小さくなってしまったように見える。

夫が不在の間、上司の相手をしなくてはならないと思ったのだろう。
スタッフの奥さんは私たちの横にいてくれたのだけれど、
何を話していいのか分からない様子だった。

お父さんは必死に、訪問客をもてなそうとして
スタッフの奥さんにコーヒーやお茶、お水やカスラというパンを
持ってこさせる。
いろいろ話しかけてくれるのだけれど
返事を一通り済ませると後は、何を話題にしたらいいのか
戸惑っているようだった。
私もまた、何と声をかけたらいいのか、分からない。


開け放したドアから、なぜか黒いビニール袋が
強い風に舞って部屋の中に入ってくる。
皆が呆然とそれを見つめ、ふと我に返ったのだろうスタッフの奥さんが
立ち上がって、ビニール袋を掴む。

じっと、お母さんの様子を見つめる。
いつもお顔を見るたびに、抱きしめたくなるような
小柄で可愛らしいお母さんが、今日は
白い足の裏を手でずっと小さく撫で続けていた。
私が来たらきっとお母さんの気が紛れるから、とスタッフが言ってくれて
お宅の訪問を決めたのだけれど
私には、どうすることもできなかった。

家にいる女性たちの手を伝って、スタッフの息子が奥さんの手に渡される。
さっきまで寝ていた生後半年ほどの赤ちゃんは
目こそぱっちり開いていたけれど、頭はぼんやりしているようだった。
見知らぬ私の顔をしばらくじっと見つめて、
はたと気づいたのか泣きそうになる。
お母さんであるスタッフの奥さんは、頭にキスをしながら
息子の気をそらせようと、体を抱えて
足で立つ練習をさせる。

亡くなった若い青年にも、当たり前だけれど
こうやって、大人たちにあやしてもらった時期があった。

赤ちゃんは可愛らしくて、その様子につい、顔が綻ぶ。
赤ちゃんの後ろでは、亡くなった方のお母さんが
じっと、赤ちゃんの横顔を見つめていた。



以前訪問した時、たくさんのちびっ子たちが家にいた。
親族が皆、同じ土地に住んでいるから
スタッフの兄弟とその家族の子どもたちだけで
サッカーチームで対戦できるぐらいの人数になるのだ。

大人たちが沈痛な面持ちで居間に集っている。
けれども廊下では、子どもたちが私の姿を見つけて、笑顔で手をふる。

こちらのお葬式は3日間続くから、
ずっとこの空気に支配されては、子どもたちとしてもどうしたらいいのか
分からないのだろう。

子どもたちに挨拶をしたい、と言って
奥の部屋を覗いてみる。
すると、ざっと15人ぐらいの歳も性別も異なる子どもたちが
何をするともなく、集まっていた。
部屋の中で話をしていると
スタッフの姉妹や兄弟の奥さんたちもまた
顔を出してくれる。
居間を離れると、どの顔も少し解けてきて
普段の顔つきに戻りつつあった。

でも、子どもたちが空気を察しつつ、小さく騒ぐ部屋の窓の先では
亡くなった方のお父さんが、一人で木陰に座っている。
ほとんど身じろぎもせず、タバコを吸いながら、ぼうっと何かを見つめていた。



聞けば、親族以外の近所の人たちには、
事故で亡くなった、という話にしているようだった。
私もまた、何が原因だったのか、とても訊くことなどできなかった。

亡くなったらもう、自分の意思や思いは伝えられないし
たとえ生前に伝える手段を持ち合わせていたとしても、
法的な手段を使わない限り、
それを公表するか否かは、残されたご家族の判断に委ねられる。
亡くなったら何もできなくなるのだな、と
しみじみ、思う。


何をどう話したらいいのか分からない時間だった。
だから、初めに挨拶した時にはしなかったけれど
お暇する時、挨拶の代わりにお母さんとスタッフの奥さんの手を握る。
アッラーヤルハム(神のご慈悲を)という言葉しか口にできない。

彼らの信じる神にご慈悲を乞うことができるのだとすれば、
この願いほど、乞うものはないのかもしれない。
彼らの理論からすれば、ご慈悲が彼に注がれることはない。
だから私は、残されたご家族へのご慈悲を神に乞うていることになる。


じっと私を見つめるお母さんの小さな目は、やはり虚ろだった。

まだ裏若い奥さんは、少し目を細めてくれる。
初めて会った時にはまだ20歳ほどだったのに
子どもを産んですっかりお母さんになった彼女の手は
こちらの強力で色も鮮やかな洗剤のせいで
すっかり荒れてカサカサしていた。


未来は、いつも生きている人々に委ねられる。
彼女の赤ちゃんが、亡くなった従兄弟のことを知る日がやってくるだろう。
この家族は、たくさんの子どもたちがいる。
亡くなった方の生きていた証を、受け継ぐ人々のいることが
一つの救いなのかもしれない。


ひどく暑い日だった。
キャンプの中を歩いて、その後キャンプの外の家を訪問して、
なんだかどっと、疲れてしまった。
行きはそれなりに、軽快に話をしていたのだけれど、
帰りは、私もスタッフも、ただぼうっと白茶けた景色を見つめていた。