Jeff Buckleyをバックにかけながら話し始めたので、
思わずじっと、インスタライブに聞き入ってしまう。
どちらかというと、話よりも、音楽の方へ。
それから、どうしてこの曲をかけるのだろう、という
幾らかの興味も、あった。
日本との時差は、夏時間で6時間。
こちらの夜8時は、日本の深夜2時。
そんな時間帯に、ある芸人さんがインスタライブをやっていた。
途中で、最近ずっと聴いているandimoriが出てきたりして、
生まれて初めて、コメントを書きたいという、衝動に駆られたりする。
深夜のライブには100人以上の視聴者がいる。
どことなく、さみしかったり、不安だったりする人たちが、
「灯りの燈るところ」に集まってきていた。
時に、辛辣な言葉がこぼれ落ちながらも、
どことなく、温かな空気の流れるライブだった。
語り手は、自分で選曲した曲を、
自由気ままに歌い始める。
その中でかかった一曲を、絶対私は知っていた。
でも、どうしても思い出せない。
そこはかとなく、自分たちの関係に不安を抱くカップルが、
ファミレスらしき24時間営業のレストランで、
ステーキとスパゲッティを食べている。
気まずくなるような会話の背景では、
暑い外国で起きる戦争のニュースが流れる。
遠い国の戦争よりも、
目の前のステーキがうまく切れないのに、腹を立てている。
でも、僕たちの将来は、よくなっていくはずだ、という曲。
検索をかけると、Bank Bandがカバーした
中島みゆきの「僕たちの将来」だった。
原曲がわかった時、すっかり忘れていた昔の記憶が、
突然溢れかえるように、蘇ってきた。
大学に入学してすぐ、ジャズバーでバイトを始めた。
アップライトのピアノがあって、お客がいなければ好きに弾いていい、
と言われたからだった。
繁盛している、とはとても言えないお店で、
いくらでもピアノを弾く時間はあった。
お酒は弱いので一滴も飲まずに、お客が来ればグラスを洗い、お酒を出し、
出番がきたら、弾き語りをした。
いかんせん、恐ろしく田舎のバーなので、
ジャズの代わりに、中島みゆきの曲をお願いされたりした。
どう頑張っても、ジャズにはならない、とため息をつきつつ、
アルバムをお客さんから借りたりして、練習する。
リクエストされた曲を歌うと、彼女にふられたお客が、
カウンターに突っ伏して、泣きながら安いボトルを空にしていった。
ママはチワワを腕に抱いて、お客と飲み明かしてしまい、
11時を過ぎる頃には出来上がって、お勘定ができない。
横須賀の駐屯地で、米兵相手にサックスを吹いていた、というマスターは
演歌のように、こぶしを効かせた「枯れ葉」を熱演した。
ボトルさえ入っていれば、どれだけ飲み食いしても
2000円しか、取らない。
隣の店は小料理屋で、お店が先に終わる小料理屋のママは、
よく閉店すると、こちらの店に飲みにきた。
ある日、大事な人が亡くなったの、と
泣きながらやってきた隣のママの話を聞いていると、
昔、隣のママは某有名な俳優の、お妾さんだったことが分かる。
あんた、お葬式にも行けないのね、とうちのママは呟く。
そして二人とも泣きながら、夜が更けていった。
よくご夫婦でいらしていたお客の奥様が癌で亡くなった夜、
お通夜を済ませてやってきた旦那さんが、
かすれた声で泣きながら絶唱した、
Summer Timeは、今でも忘れられない。
下手な脚本家が書いたドラマのようなことが起こったけれど、
人生経験の少ないその頃の私は、いろいろと学ばせてもらった。
絵に描いたような場末感が漂う店で、お客からくるリクエストは
フった、フラれた的な曲ばかりだったから、
女って怖いな、と思いつつ、
いつになったら、ジャズが歌えるのだろうか、と
途方に暮れた。
けれども、借りたアルバムの中に入っている、
決してリクエストなどされない、マイナーな曲のいくつかには、
地味だけれど、丁寧に心情や情景を描き出しているものがあって、
詩としての、余白や情緒を気に入ったり、した。
それから、世の中の不条理や矛盾を、さらりと洗い出したものも、
印象に残っていた。
その一つが、「僕たちの将来」
もう一つが、「蕎麦屋」。
落ち込んで、腐った気分になっている時に、
偶然を装って、友人が蕎麦屋に誘ってくれる。
大相撲中継を聞きながら、蕎麦とうどんを食べる。
「あのね、わかんないやつもいるさ」
友人の一言に、泣きたくなる、という曲。
この曲は、斉藤和義がカバーしていて、
どれも今では、カバーしか聴かないけれど、
誰が歌っても、いい歌詞だな、と思う。
日本語の曲は、どうしても歌詞が気になってしまう。
だから、どれだけアレンジがカッコよくて、旋律のいい曲でも、
歌詞が軽くて、よく練られていないと
ほとんど、聴かない。
反対に、音楽的には野暮ったくて、いくらもカッコよくなくても、
言葉がきちんと選ばれていて、センスが良ければ、
結構、ちゃんと聴く。
洋楽が好きなのは、歌詞がすっと入ってこないから、
純粋に音として、曲が楽しめるからだと思う。
もし、しっかり何を言っているのかが分かってしまったら、
我慢ならないものも、多いだろう。
歌詞は大事だ、と明言しているのにもかかわらず、
ヒップホップは、音楽的要素の中の大事な旋律が抜けているから、
今まで全く、聴いてこなかった。
けれども、先日、Kate Tempestの名前をニュースで見て、あらためて、聴いてみる。
以前、KEXPをランダムに聴いていた時、
周りの電子楽器には興味があったのだけれど、
ヒップホップだから、と飛ばしてしまっていた。
その、比較的地味なビジュアルと、キレキレでエッジの効いた感じにグッとくる。
歌詞を確認して、なぜか、野間宏の小説を思い出した。
おそらく、ロンドンの郊外あたりの、どうにも明るい未来なんて
描けないような若者たちの、黒く蠢く感情が、吐露されている。
暗い夜ばかりを想起させる曲たちだけれど、
語気の強い、でも、緩急を使い分けた言葉のリズムに乗せて、
白黒のショートフィルムのように、
心の動きと、断片的な情景を刻み込んでくる。
ヒップホップの世界は、思ったよりも豊かな広がりがあった。
ディテールは大事だ、と再確認する。
それは、歌だろうが、語りだろうが、
ニュースだろうが、馬鹿話だろうが。
結局、一度も歌わせてもらえなかったけれど、
その、場末のバーでのバイトが終えると、
寒風吹き荒ぶ欅並木を自転車で疾走しながら、
よく、Caravanを練習していた。
疾走感のあるベースラインに、
滑り落ちるような旋律が乗る、あのアレンジは
仔細まで正確に思い出せるのに、
誰のCaravanだったのか、思い出せない。
古いジャズの女性ボーカルをかたっぱしから検索していたら、
Nina Simonとか、Cassandra Wilsonとか、Sara Vaughanとか、
昔のジャケットがYoutubeにたくさん、出てくる。
最終的に、Madeleine PeyrouxのBetween the barsに行き着き、
また、原曲のElliott Smithのライブが見つかる。
曲の間に言葉を探す、その声が思ったよりも
柔らかくて優しくて、すっと、胸梳かれる。
2000年のフジロックの映像が見つかる。
どことなく、居心地が悪そうで、早く終わらせたいのか、
先を急ぐように、どんどんと歌っていく。
アルコールが抜けたからか、ニコチンが抜けたからか、
ぶるぶる震えながら歌っているのをみて、もっと胸梳かれる。
そんな映像などを確認したりしていると、
もうこちらも、深夜2時を回ってしまったりして、
明日も仕事があるのに、眠れなくなる。
仕方がないので、1日の終わりに、「シンガー」を聴く。
最近ずっと、頭の中を回るから、口ずさんでいる曲だ。
コンビニにも行きたいし、何だか疲れてしまっているから。
日本はもう朝の8時。
健全な人たちが、健全に仕事を始める時間だ。
深夜のヨルダンの、終わりのない空気感に
誰も寄り添ってくれたりは、しない。
でも、こんなに一生懸命歌っている人の声が聴けるのだから、
その歌声だけで十分じゃないか、と思いながら、
真夜中の静かな、街並みを見つめる。
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