2019/10/31

ブーゲンビリアと、口をつく唄



沖縄に関する幼い頃の記憶は、あまり楽しくない。
連れて行ってもらえると思っていた、かの島には、
結局姉と母親しか行けなくて、
とことん愚図った。

大学生の時には、小さな学部の同じ専攻に、
沖縄出身の子がいた。
私のあだ名を口にするその子の発音は、他の子と、違っていた。
よく台湾に遊びに行くらしい。
近いんだよぉ、行ってみたら、と云う。

学祭の最後の夜は毎年、沖縄出身の学生が総出で、
エイサーを踊っていた。
何事も斜めにしかものを見ないのが、美術学部のあるべき姿だと信じて、
学祭なんて、などと思っていたけれど、
同級生が話していたから、見に行った。

自殺の名所を背後に構える、
コンクリートだらけの建物に囲まれた大学の広場で
たっぷりの照明の中、艶やかな黄、赤、紫の服を着た
呆れるほどたくさんの学生たちが、
歌い、踊っていた。
今でも何がそれほど、響いたのか、うまく言葉にはできないけれど、
涙が出てきた。


その時も、懸命に踊る見知った姿を目で追いながら、
思い出す唄が、あった。


高校2年の修学旅行は、その頃の流行りにもれず、沖縄だった。
毎年11月はまだ、台風が来る、とわかっているのに、
11月に行って、しっかり台風に当たった。

だから、突風の向かい風に髪が飛んでいきそうな
浜辺の集合写真の図と、
目に鮮やかなブーゲンビリアのショッキングピンク、
そして、深く濃い緑しか、
自分の目で見た記憶の絵は、残っていない。

とにかく、修学旅行には行きたくなかった。
サボろうかどうしようか、さんざん迷って、
サボる勇気もないまま結局、参加した。

行くからには、見られるものはすべて、
記憶に収めておこうと思ったはずなのに、
修学旅行でお決まりのコースのほとんどもまた、
どんなところだったか、断片的にしか、覚えていない。

ただ、バスの添乗員さんが唄ってくれた唄だけは、
鮮明に覚えている。
そして、今でも、しっかりしなくては、と思う時には、
この唄を思い出し、小さく唄ったり、する。






どういう文脈で唄うことになったのか。
他の添乗員さんに比べて、生真面目さが漂う
うちのクラスの添乗員さんは、
沖縄の民謡、という紹介で、
マイクを手に、朗々と唄ってくれた。

本土からやってきた、浮かれた気分の高校生たちに、
もっと有名な沖縄民謡ではなく、
この曲を選んだ添乗員さんには、
どんな思いがあって、
何を伝えたかったのだろう。


たまたま、先日wikiで、唄の所以を調べていた。
私の大学の同級生は、この曲を知らなかったのを思い出し、
一体、どのような位置付けなのか、気になったからだった。

戦前、勤労奨励のために、歌詞を公募して出来上がった唄のようだった。
なるほど、いわゆる、身近に耳にし、
根付いた唄とは、違う位置付けなのかもしれない。


あしみじゆながち はたらちゅるひとぅぬ
〈汗水流し働く人の〉
くくるうりしさや ゆすぬしゆみ
〈その心の嬉しさは 働かない者は知ることがない〉
しゅらーよー しゅらーよー 働かな
しゅらーよー しゅらーよー 働かな
二.
いちにちにぐんじゅ ひゃくにちにぐくゎん
〈一日一厘 百日に十銭〉
まむてぃすくなるな んかしくとぅば
〈守って忘れるな 昔の言葉〉
ユイヤーサーサー 昔言葉

三.
あさゆはたらちょてぃ ちみたてぃるじんや
〈朝から晩まで働いて 貯まっていくお金は〉
わかまちのむてい とぅしとぅとぅむに
〈あたかも若松の盛りが年を追う様だ〉
ユイヤサーサー 年と共に
     
四.
くくるわかわかとぅ あさゆはたらきば
〈心を若くして朝から晩まで働けば〉
ぐるくじゅになてぃん はたちさらみ
〈五十歳六十歳になっても二十歳のようだ〉
ユイヤサーサー 二十歳さらみ
  
五.
ゆゆるとぅしわしてぃ すだてぃたるなしぐゎ
〈年を忘れて育ててきた我が子〉
てぃしみがくむんや ひるくしらし
〈学問を広げる者になって欲しいものだ〉
ユイヤサーサー 汎く知らし
  
六.
うまんちゅぬたみん わがたみとぅうむてぃ
〈全ての人のためも 自分のためと思って〉
むむいさみいさでぃ ちくしみしょり
〈勇気を奮って力を尽くしてください〉
ユイヤサーサー 尽くしみしょり

もしかしたら、本土からの倫理観や思想を
美徳としようとした唄なのかもしれない。
けれどその前、すでに、ひめゆりの塔を訪れていたからか、
その、地に足ついた、
誰しもが、しみじみいいと思える、暮らし方を
たおやかな伸びのある旋律に乗せて、語る唄が、
無残に踏みしだかれる歴史と交差して、
いつまでも、耳に残った。

城へ向かう同級生たちを尻目に、
添乗員さんから、歌詞を教えてもらって、
ノートに書き残していた。
譜も自分で書き起こして、
家に帰ってから、ピアノで弾いて、復唱した。

だから、youtubeで聴く唄と
私の記憶の旋律は、少し違う。
自分の記憶の旋律の方が好きだから、
唄が下手になった今では、時々、チェロで弾く。
弾くと、何だか、心落ち着いて、
あぁ、人は、私は、しっかり働くものなんだと、
自分に云いきかせる。
過不足なく、しっくりと、腑に落ちる。

お金を貯めて、いつまでも元気で、
子どもたちが学を身につけ、
力を尽くして働きたい、と願う。
それはでも、どの土地でも、堅実な生き方を望む人ならば、
同じように、抱く願いと姿勢だろう。

何か、大それたものを願っている訳では、ない。
ささやかとも云える、その願いを、
阻むものがあまりにも、多すぎるのは、何故なんだろう。


旋律と言葉遣いがあまりにも特徴的だから、
沖縄と切り離して、この唄を聴くことも、唄うことも、できない。
だから、いつも沖縄に関するニュースを目にするとき、
この唄を思い出しながら、
その土地で、それでも粛々と働き、暮らす人々の姿を、思う。

2019/10/28

その輪郭を作り出すもの


禁断のiTunesに手を出したのは、
前回の帰国時、もう10年ぐらい使っていたipodを
実家に忘れてしまったからだった。

曲を探す時に出る、カリカリと鳴る音が
この上なく好きだったのに。
そして、走る時には必ず、一緒だったのに。

走り出しは必ず、この曲からだった。



歩く時の定番は、Dollar BrandのKaramatだった。
これこそ、問題だった。







過去に手に入れ、大事に保存してある音楽データは
これもまた、8年目の瀕死のmacに繋がれている。
家ではいいけれど、外には持ち出せない。
すでに、8年目のmacは、新しいosが入らなくて
iTunesに同期できない。

死活問題が浮上したことと、なる。

今までの、大事な大事なデータを、
どうしたらいいのだろうか。

仕方がないので、一つ一つ、iTunesで探しては
入れていく作業になる。
でも、当然iTunesには入っていない曲もあって、
心の中で悲鳴をあげる、不毛な夜がやってくる。


所蔵する本と、音楽データは、まさに、
その人をかたちづくるもの、だ。

殊、娯楽などない海外暮らしで、
まったく不適合な仕事をしながら、
音楽と本にしか、鋭敏にセンサーが働かない人間にとって
ほぼ唯一、自分が何者なのか、ということを
輪郭だけでも留めておくための、
ツールだということを、改めて認識する。

一通り、確実に必要なアルバムだけ、入れていく。
radiohead, Asgeir, James blake, Jose Gonzalez, Nick Drake
Jeff Buckley, Elliot Smith, Bon Iver, Beirut
キリンジ、スガシカオ、くるり、大橋トリオ


それにしても、こんな暗いアルバムをよく聴いていた、
というものも、ある。
どちらかというと、縁起担ぎに、
憑き物でも落とすような気分で、
入れないでおこうか、と思ったりする。



そして結局、それでさえも惜しいと躊躇するのは、
もしかしたら、その音楽とともに残る記憶そのものに、
まだ心残りがあるからなのかもしれない。

というのが、この曲。





記憶は、しんと冷えた初冬の夜と、
日本で暮らしていた、小さな平屋の板間だったりする。
曲自体はいいのに、記憶がしみったれ過ぎている。

そういうものを、一つ一つ整理していく作業になってくる。

マリのアーティストもいくつか持っていたのに、
最近聴いていなかった。


これは、西アフリカへ行けってことなんだろうか、とか
どうでもいいことを思ったりする。
歩みの感覚。小さなトランス。
やっぱりいいな、と思い、結局リストに入れる。

そして、違うアルバムを視聴してみたりして、
結局、増えていく。

同じく、こちらも捨てがたく、リストに入る。


何にもないところを、ひたすら歩きたくなる。

これも久しぶりに聴いた。
聴いた時の、衝撃を思い出す。




まだ、Aから先に進めない。
一体この作業は、いつまで続くのだろうか。

寄り道が、止まらない。

そして、すっかり秋も深まったアンマンは、
毎年のように、音楽を身体に、染み込ませていく。