skip to main |
skip to sidebar
短編ばかりを手にしていたのは
集中力が持たないからだったのだけれど、
短編のように章が短く、かつ、章それぞれの関係性を考えながら
読み進めていかなくてはならないというところで、
読み応えのある久々のヒット作だった。
16世紀、オスマントルコ時代に設定された物語の醍醐味は
主題となる細密画に託された細密絵師の絵師たるスタンスが
精緻に計算された話の展開の鍵となっているところだった。
イスラム世界における絵画の位は、低い。
ものをあるがままに描くことを良しとする西洋絵画の常識は
現代のヨルダンでさえ、未だに浸透していない。
こちらで美術教員だった時に、まざまざと思い知らされた
幾何学模様と色のバランス、
風景を描く時の、暗黙の了解である決まったモチーフへの執着は
もしかしたら細密画にも起源があるのかもしれない。
ルネッサンスを迎え、絵画に革新的な変化が見られた西洋絵画への密かな衝撃と、
神の視点で描くことが絶対とされるイスラム的な細密画の掟との間で
葛藤する絵師たちの心の在りようが
一人称で書かれる様々な語り手によって
手に取るように、それこそ、細密画が仔細さを掬いとるように
描かれている。
その、一人一人の心情描写からは
絶対的な神の存在と、神の視点を忠実に再現することに執心した
過去の絵師たちの作品と生き様に対して、
ひたすらに畏怖と謙虚さを持って描くことを
絵師たちは要求されていたことが、伺える。
そして、その要求に答えようとする絵師たちの
禁欲で真摯な姿勢は
どこか、日本の禅の思想と、その思想がもたらした画家たちのそれを彷彿とさせて
その勝手な結びつきが、でも自分の中で、とても興味深かった。
おそらく、この作品をこれほど楽しめたのは
少なからずイスラム世界について、
知識と経験があったからなのではないかと
心密かに自負している。
もちろんこちらの文化に造詣がなくとも楽しめるけれども
絵師たちの心の機微が宗教観に帰している限り
物語の主題をより深く体感するには
そのものに対して抵抗がない方が、いい。
反対に、こちらの世界観に馴染みがない人でも
時代は違えど根底に流れるイスラムの何かしらを
一見関係ないと思われる絵画を主題とする物語を通じて
知る機会にはなるのかもしれない。
ちなみに、順当に読み進んだ末、訳者のあとがきまで往き着き
あとがきに作品理解への大きな手助けになる情報が
たぶんに含まれていることに、気付かされた。
ストーリー展開にまでは言及していないので
もし読む機会があるのであれば、下巻のあとがきに
目を通してから読んでもいいのかもしれない。
ところで、好きな街を一つ挙げろと云われて
迷いなく答えられるのが、イスタンブールだ。
中学の時、美術の資料集で見たアヤ・ソフィアの内部の写真が
いつまでも記憶に残っていた。
いつか自分の目でみてみたい、と
けっして旅好きではないのに
どうしても往かなくては、と訪れた街だ。
随分と近くに、姿のきれいなカモメが居て
青い海が街並の向こうに見える、
坂と石と海と緑が絶妙なバランスで在る
美しい街だった。
「わたしの名は赤」は、イスタンブールを舞台としている。
旧市街の有名な観光名所が、物語の随所に出てくる。
入場料が高くてどうしようか迷ったトプカプ宮殿の内部に
主人公が入っていく描写に、興奮した。
少なからず知っている街の描写の一つ一つを
記憶と結びつけながら読める幸せを感じられた
初めての作品かもしれない。
読書の記憶と結びつけることができなかった作品としては
タブッキの「遠い水平線」がある。
ジェノバを舞台としたこの小説は
読んだ後で街を訪れた。
ただ、その街が舞台であったことを知らず、
訪れた後もまた何度か読んで、あるときふと、小さな描写の一片で
ジェノバであることに気がついた。
本を持っていけばよかった、と、後で後悔した。
ジェノバも、気に入った街の一つだ。
結局のところ、
単純に景色の中に石と海があれば、
もしかしたらそれなりに満ち足りてしまうのかもしれない。
なんだかたくさん読んでいたようなので
長過ぎるから、続きの、紹介。
全く関係なけれど
満月の前後は両日ともほぼ、まんまるなのに
2日経つと、一気に萎んでしまうように見えるのは
気のせいなのかしら。
久しぶりに、池澤夏樹の読んでいない本を、読む。
新刊ではないのだけれど、日本で買ってしばらく、
これもまた、大切にしすぎて本棚から出していなかった。
震災をテーマにした本は、おそらく本人の徹底した被災地での視点が
元になっている。
それでもなお、ファンタジーに留まって話を書き上げているところに
底知れない本の力を思い知らされる。
双頭の船
一章ごとに出てくる、人物とその人が連れてくるものや考え方が
根底で作者の世界観や思想と混じり合い、波打ちながら
最後まで変化し続けていく話の展開に、
確実な希望を宿していく。
亡くなった人々と、亡くした人を思いながら生き続けていかなくてはならない
残された人々の思いが
物語の中にたっぷりと、でもそこはかとない明るさを持って
描かれていた。
けっして、性善説だけを説いているわけではないのだろうけれど
池澤夏樹の本は、混沌の末に、
人を肯定的に描いているように、思う。
それぞれの心の中の形になりにくい善や
暴力とも取れる正義というのは
やはり、状況を変えていくのには
必要なものなのだ、と思ったりした。
最近持ってきていただいたナウシカの漫画全巻も
正義や善とその反対にあるものを見せつけてくる。
これは読み出すと朝までコースとなるので
読み出す時間が問題になる。
週末は気にしなくてもいいので、
これ幸いと読み始める。
とりあえず、この2週間ほどで、3回読んだ。
相変わらず文字が多いな、
あれ、トルメキアのぷっくり王子たちはいつから出てくるのだっけ、
腐海の図は裏表紙になかったっけ、
これもヒドラだったんだ
などなど毎回新しく疑問や記憶違いや発見があるから
あまりきちんと読んでいなかったのかもしれない。
それでも、世界というものの成り立ちや戦争の形が、
これほど分かりやすく描かれているものはない。
青い衣を纏った神はやってこない現実の世界では、
本質的にナウシカのような心を持ち続けることはできなくて
ただ彼女が最後に神と立ち向かう時に云い切った
人間の存在のしかたに、ただただ感心することになる。
久しぶりに、夏目漱石の倫敦塔も、読む。
ふとした会話の中から出てきた漱石の話で
おすすめを訊かれて、すぐに、倫敦塔、と答えてみたものの
そう云えば詳細がよく思い出せなくて
青空文庫で検索をかけて
深夜にまた、読み直していた。
意味をなさない描写を伴う言葉が一つもなくて、
一語一語が言葉以上の存在感を持っている文章の高潔さに
当たり前だけれど、文豪の所以を知り
舌を巻く。
神経衰弱と胃炎に悩まされていたはずなのだけれど
だからこそ、一字一句に心血を注ぎ続けたその情熱を
深く、体感する。
どんな話でもそうなのだけれど、
気に入ったものや好きなものの話をする時の
人の話はおもしろい。
漱石の倫敦塔への思い入れが、よくよく伝わってきて
でも、漱石らしく、最後にはきちんと
その熱の行き過ぎの恥じらいのような追記が、
一緒に書かれている。
胃潰瘍の理由は、たぶんそのあたりに、ある。
初めてのオルハン・パムクが、
現在のところ一番の楽しみだ。
わたしの名は赤
やっと下巻が手に入って、心置きなく先が読めるようになった。
全く、下巻を買わずに日本を出るなんて
失態としか、云いようがない。
前回帰国した時から4ヶ月ほど、悶々としていた。
細密画の絵師とその編纂者たちの話なのだけれど
各章が、異なる登場人物による視点から書かれていて
設定と書き方だけでも、かなり凝っている。
さらに、恋心と殺人と絵画の歴史と細密画の極意が
織り交ぜられていて
それぞれの視点から書かれている各章を
それこそ細密画を鑑賞する時の視線の動かし方のように
一つ一つ、仔細に追っていくことを読み手に迫まってくる。
きっと最後には、
その絵の全体像を見ることができるのだろう。
大切に、読まなくては。
未読の本が
秋を待たずしてほとんど、無くなってしまうから。