アンマンはひと雨ごとに、寒さが増す。
フィールドに出た日、今シーズン初の、本格的な雨が降った。
元来、ヨルダンの街はどこも
雨がたくさん降ることを想定していないから
排水溝などは、ほとんどない。
水は小川のようになって、
坂ばかりのアンマンのいたるところで、道路を流れる雨がきれいな波を作る。
およそ7ヶ月ぶりの、しっかりした雨だった。
こちらで雨がたくさん降るのは冬なので
まだ、そこまで冷えきっていないその日の雨は、
どこか秋雨に似ていた。
湿気に冷える身体の感覚が幾分、柔らかい。
1件目:Jabal Al Hussein
広い道路に面した建物の一部は改装中で
ガラス張りのテラスには、大量の布のロールが並べられていた。
きっと、大家の部屋になるのだろう。
大家の部屋の脇にあたる 細い路地の扉から階段を上がると、
廊下の窓には、木製のブラインドが朽ちかけて
歪んだままぶら下がっていた。
窓の外には、枯れかけた葉が揺れる。
招かれた部屋は、ドアを開けたすぐ左手に洗面所があって
ビニールのカーテンがかかっていた。
こちらの家の床は、古い家ならだいたいが石でできている。
夏には心地よいが、冬は容赦なく熱を奪っていく。
それなのに、あまりこちらの人は靴下を履かない。
見るからに、寒そうで、どうも私は気になって仕方がない。
通された居間はがらんとしていて、対のソファとカーペットのみ。
ただ、窓のない真っ白な四方の壁に
ピンクや黄色や青の、淡いいろの風船が飾られていた。
もういい具合に萎んでいたけれど
そのサイズと柔らかな色合いと気ままな風船の貼り方が、随分とかわいらしい。
あなたたちが作ったの?とまだ登校前で家に居る二人の女の子に訊くと
少し恥ずかしそうにはにかみながらうなずいた。
上の子は学校で会ったことがある。
お互いにお互いの顔を覚えていることを確認した。
女性が私たちの質問に答える。
難民登録証は彼女を家長としているけれど
どう考えても歳が合わない。
32歳、上の子が14、5歳。
結局頭の中でした年齢の計算から納得いく答えは得られなかった。
再婚している、という。旦那は週に2、3回しか会えない。
もしかしたら、再婚した人の子どもなのかもしれなかった。
その女性は大きな茶色い目で表情を様々に変えながら
子どもたちの様子や学校の様子、近所との関わりを話してくれた。
アルハムドゥリッラヒ ラッビルアーラミ
節度のある抑揚、魅力的な語り口だった。
ただ、そうやって話している内容は
息子の手術のことで、足に障害のあるその子は
何度矯正の手術をしてもなかなか治らない、という話だった。
家をあとにするとき、もう一度握手をする。
相変わらず裸足にビーチサンダルで玄関まで見送ってくれた女性の手は
ほわりと柔らかかった。
2件目:Jabal Al Hussein
息子がまだ2歳、居間の中央に置かれたベビーカーの中で
家族の注目を一身に浴びていた。
すべてが落ち着いた、堅実な空気を具現化したような家族だった。
家具は少ないけれど、隅々まで清潔な部屋。
お母さんの横で、眼鏡をかけた女の子が二人、
きちんと座ってこちらの話を聞いていた。
お父さんはプラスティックの椅子に腰掛けていて
ちょうど、私たちと家族を囲む位置に居た。
些細なことだけれど
座る位置一つで、家族の様子の何かが分かるような気がした。
親族がここら辺に固まって住んでいるので
この土地を選んだという。
7年生の長女は、理科が好きだ、と云っていた。
正直、珍しい、初めての回答だ。
地理の授業が最近なくなってしまったんです、
先生が妊娠して休職すると、代わりが入らない。
困った話です、と真剣な顔をして、お父さんは子どもたちの顔を見た。
何がきっかけだったのか、小さな息子が突然、
ベビーカーから降りたがって
何か言葉にならない言葉を大きな声で云いながら
身体を動かし始めた。
お父さんの持っていた携帯がいじりたいようだ。
まだ乳歯の生えそろわない小さな息子の口元が、
屈託なく、そこに居るみんなの笑いを誘っていた。
4件目:Jabal Al Hussein
3件目は以前もう、来たことのある家だった。
入り口で6歳ぐらいの女の子がずぶぬれになって、待っていてくれている。
夏の終わりに来たときにはまだ小さかったヘチマが
幼稚園の子どもぐらいのサイズになって、重そうにぶらさがったまま
雨に濡れていた。
よく覚えている、青い目と真っ黒な瞳孔、
なかなか豪快そうなお母さんで、以前来たときには、
しっかり染まった茶色い髪を無造作にまとめながら
親しい友達と話すように私を会話に入れてくれた人だった。
通り雨のように、日が射したり雨雲に覆われたりする、不安定な天気だ。
車を降りて、迎えにきてくれたお父さんと一緒に路地に入ると
ジャバル・ウェブデが見える。ウェブデに面した丘を下がっていくと家のようだった。
建物と建物の隙間、流れる雲と向かいの丘の建物が、
不思議と明るいハイライトで切り取られる。
階段を降りていくと、斜面に建ったアパートの一階が、その家族の家だった。
通された居間は窓に面しているけれど
奥は窓もなくて、随分暗かった。
その奥の廊下から、家族がぞろぞろと1人、また1人と出てくる。
小学校中学年ぐらいまでの子が3人、
そのうちの1人だけがこの家族で、他は親戚のようだった。
裸足に半袖、その上に毛布を被った子と、やはり裸足で体操座りをする子、
それから、歳の大きな子が二人も居て、こちらを興味津々で見ている。
興味津々なのは子どもたちだけではなく、
お父さんも、いろいろと知りたそうに、こちらの様子をうかがっていた。
ホムスでドライバーをしていた、というお父さんは
もともとお話が好きそうな雰囲気にあふれている。
一番上の娘は17歳ほど、学校に行かない理由を
いろいろと話してくれた。
お父さんも交通費が高くて、とか、勉強についていけなくて、とか、補足してくれる。
自分の云い訳しているようにも聞こえるし、
でも、どこかあっけらかんとして、そういうものさ、と開き直っているように聴こえる。
そう、息子は絵が上手なんだよ、ほら、ノート持ってこい、
そうお父さんが云うと、まんざらでもない、という表情で
息子がノートを取りに往く。
14歳なので、反抗期でもおかしくない歳頃のように見えたけれど、
周りが姉妹ばかりだからだろうか、女の子っぽい絵が多い。
少しだけ恥ずかしそうに、でもものすごい真剣さを目の奥に秘めて、
絵を一枚ずつめくる私たちの顔を見ていた。
顔には、まだどことなく幼さが残っていた。
このノート全部に描いたの?と訊かれて、いや、全部じゃないよ、
とふいに、ノートを閉じる。
家族全員が、見送りに玄関まで来てくれた。
玄関の扉から身を乗り出したり、スリッパを履いて外にでてくれたりしながら。
居間についた窓の先にはテラスがあって、眺めがいい。
毛布をひきずったり、裸足だったりする小さな子たちが
形のはっきりした灰色の雲が広がる空を、見上げていた。
通りに戻る路地の階段、アパートの半開きになった入り口に
金色の髪をくしゃくしゃにした3、4歳の女の子が
1JDを握って立っていた。
7件目:Jabal Al Hussein
Nuzuhaの方角、丘の東側、最上階の部屋は
キッチンが窓に面していて、見事な遠近法で家々を見下ろすことができる。
おばあさんと、その娘が部屋に居た。
屋上に住むのに憧れているから、スタッフが話をしているのを尻目に
きょろきょろと首を伸ばして部屋を覗いていった。
ふと、気がつくと、
難民登録証をこちらに手渡しながら、おばあさんは泣いている。
私は、間が悪い。
水をはじきながら通る車の音が響いて
何を話しているのか、聞き取れない。
怪訝な顔をする私に、スタッフが説明をしてくれた。
お母さんは内戦で死んでしまって、
お父さんは亡くなったのか、生きているのか
どこにいるのか、わからないそうです。
おばあさんは一度立ち上がり、顔を洗いにいく。
自分の孫だけれど、世帯は違うから別の登録証らしい。
見せてもらった登録証の右上の部分、家長の欄には
たった11歳の女の子の写真が印刷されていた。
おばあさんは、いろいろな紙を持ってくる。
それはすべて、診察カードやら診療結果やら、レシートやらで
おばあさんが預かっている6歳、10歳、11歳の3人の孫は
誰も彼も、病気ばかりだという。
心臓、目、耳、歯、どうにも悪いところばかりで
治療費も出せないし、痛がるし、どうしたらいいのか分からない。
アリフティ ケーフ?
この手術に96JD、あの手術に65JD、
見せられた歯の診察券には、次に診察する日付が書いてある。
いろんな色の、診察券と白くて薄い診療結果の紙が
おばあさんの膝の上やソファの周りに散らばる。
教育支援だから、医療支援はできない。
けれども、シリア人専門の医療機関のリストはあるので、
後で照会できるように連絡先をお伝えできます。
おばあさんの娘は、オープンキッチンの中で
おばあさんと一緒に説明をしてくれる。
身体のパーツ全部がまるっこいその人は
眼鏡の奥で、大きくはないけれど力強い、若々しい光のある目を見据えて、
一人一人の子どもたちの病状や様子を話す。
耳が悪くて話すのがうまくできない、でも書くことはとても上手で
賢い子だ、など。
こちらの質問で、子どもたちの得意なことや好きなことを尋ねると
音楽も絵も、手芸も好き、勉強もできるのよ、と
病状を説明する時よりも少しだけ表情を和らげながら
話してくれた。
おばあさんの歯は虫歯だらけで
前歯にまで、茶色い穴があった。
学校に往っても勉強していない感じがするの。
大きい学校だからって、子どもに掃除をさせるのよ。
廊下に絵を飾ったりする手伝いだったら分かるけど
掃除をさせるなんて、あり得ないわ。
こちらの学校では、雇われているクリーナー1人では掃除しきれないから
よく子どもたちをかり出して、掃除をさせる。
冬など、見るからに寒そうな廊下を
撒いた水で靴をぐっしょり濡らしながら掃除をする子どもたちを
よくUNRWAの学校でも、目にした。
それでも、勉強するよりも楽しそうにやっているので
そういうものか、と慣れてしまっている自分が居たのを、思い出す。
この家族の子は、どんな気分で掃除をしているのだろう。
あの子たちは、なにもかもが悲しすぎるわ。
帰りの車の中で、スタッフが云う。
ドワール・フィラスの喧噪の中、
丘の上の開けた空には、晴れ間が見える。