2013/12/10

美しいものへの、執着


何かを作ったりする時間など
とうになくなってしまって
それが自分にとってどういう事態なのか
自分でもよくわからないまま
いたずらに時間が過ぎていくのを
そういう時季なのかな、と、思ったりする

でも、時々何かを見て
こんなものが世の中にはあったのか、と思ったり
そういえば昔、好きだったな、と思い返してみたりして
きれいだ、と思う感覚を
ひさしぶりに楽しむことができることも、ある

家は寒いので
カフェでカフェオレをすすりながら
買った画材道具を広げて
絵を描いたりする
仕事をしなくてはいけないのだけれど
どうしても気が乗らないとき、とか

制作はもう、できない心持ちだけれども
絵を描くぐらいは、いいだろう


マニュキュアを使ったりしても
誰も文句を云わない
いいところだ

青いマニュキュアをひたすら乗せて
乾いた後に
細かい模様をひたすら描いて
とにかく精進、とでもいうように
無心で線を伸ばしていく

どうも、過程が大事だったのだ、ということに気づく
描きながら
全然関係のないことを考えたり
線が伸びてゆくこと、それ自体を楽しんだり
色そのものがきれいだ、とか
そんな、どうでもいいことを
あらためて知ったりする

帰りがけにお店のおじさんに
フヌーンだね、と云われて
そんな単語もあったな、と思い出す

随分遠いところに来たものだ

さっぱり出来はよくなくても
色それ自体が美しいことは
いまだに、分かる

それだけでも、満足する

2013/11/12

煙の中のはなし


その人は随分ときれいな人だった
ミラノ育ちだと、云っていた
鼻筋が細くまっすぐで
くるりとしたまつげがかわいらしい

スペインのNGOで働いていて
ヨルダンの田舎町へ
シリア難民支援のため
毎日出向いている

休暇で往ったバリ島が
どんなに素敵なところだったか
丸い目をくるくるさせて話す

バリで買った色とりどり糸がみっしり詰まった
手の込んだ花柄の刺繍のバックが
モノトーンの服によく、似合っていた

長い髪をまとめてみては、またほどく
仕事の愚痴を
勢いに任せて
水タバコの煙と一緒に
吐き出していた

アラビア語はむずかしくてね

つらつらと冗談を交えて
世間話をしていたのに
いつのまにか話は
シリア難民の受け入れの難しさに変わっていた

なぜ日本は難民の受け入れをしないで
お金だけ出しているのよ

お金の回り方だけとっても
いろいろだ


正直、シリアから難民で来た人々が
日本の社会で幸せに暮らせるとは思えない
日本の社会は根本的に
ヨーロッパのような寛容さや多様性は、ない

そんなことを云いたかったけれど
あっけに取られるほどの真剣さで
イタリアが移民を受け入れてきた経緯を
話し続けていたから
そのまま、彼女の話を聞いていた


私の両親だって難民みたいなものよ
ユダヤ人だしね

そうだったか
彼女の熱弁の裏を知ったような気がして
よけいに、言葉を失う

須賀敦子の話を思い出す


熱意もその背景もそれぞれだ
それぞれの人が
それぞれの背景と思いを抱いて
支援という仕事と同時に
当たり前だけれども
それぞれの暮らしがあって
暮らしは、していかなくては生きていけないもので
だから、できる仕事を
できるかぎり、していくしかない

できるかぎり、か


何か、私が今の状態で
私のできることをできるかぎりするのに
どんな手段が、あるのだろうか
思いの溜まる感覚が
腹の辺りで
他のさまざまな気がかりと一緒に
もやもやと、煙たく淀む


冬にはフランスの国境の街で
スキーをする
そのプランを考えるのが楽しみなの
彼女は云うけれど
それもきっと
随分と一生懸命仕事をしているからだろう

中途半端だな、と
また、自分の思いに留まる

煙が濃くて、ちょうどよかった
うつむくしかない自分の姿も
きっと、ぼんやりとしか
映っていなかっただろう







冷え込む


アンマンも冷えてきた
そういえば
ここの寒さは身体の芯に響くことを
思い出す

立派なオフィスに居るのに
相変わらずコートを着込んでいる
UNRWAの学校に居た時と
変わらない

オレンジ色のコートを
もう一度略奪して
とにかく身にまとう色だけでも
暖かくしておく


家の居心地が悪くて
今日もまた、カフェへ往く
ぼろぼろになった本を読みながら
でも、どこか集中できなくて
隣の席のカードゲームを
ぼんやりと眺める

参ったな、と、思う
どこへ往っても寒いのだ

寒いのは分かっているのだから
どうにか、暖かくする方法を

ラファちを膝に置いておきたい、とか
ガスストーブを抱えておく、とか
冷たいピアノの鍵盤に
姿勢を正して向かう、とか
もこもこの家履き靴を買う、とか

どれもこれもないので
参ってしまう

2013/10/30

ぐるぐるまわる


ものがぐるぐると、まわる
ことがぐるぐると、まわる
そして、あそこには、まえそこにあったものあって
そこには、まえここにあったことがいって
ここにはまえあそこにあったものことがくる

本来そこにあるべきなのかどうか
本来ここに、あそこにあるべきなのかどうか
もう、わからない

でも、わのなかに、ある

だから、わからはずれなければ
いつかはあるところに
もどってくる

やってくる

さまざまなものもそうだし
さまざまなこともそうだし
さまざまなこころもおそらく、そう


ぐるぐるのなかにいる

ふかんのしてんはないのか
とりのように

たかくとぶとりも
そういえば、ぐるぐるまわっていたりする
わたりどりだって
ぐるぐるまわる

ぐるぐるまわることを
しっているのであれば
それだけでいいのかも、しれない

でも
どうしてまわっているのか
しりたいときもある

どうしてまわるのか、と
ぐるぐる、かんがえる


2013/09/16

秋の月


そして、ヨルダンに戻ってきた

そして、という言葉の中には
とてつもなくいろいろなことがあって
だからこそ、そして、としか
書きようが、ない

アンマンの空は今朝
いよいよ秋の気配を増す
標高が高いことを思い出させる
低くてふわふわした雲が
建物の向こう側に浮かんでいた

朝の空気が、冷たかった

仕事を終えて家に戻る
最近食事を作る気にもならなかったのは
たぶん、心の余裕がなかったからだ

腹は減るが、そんなことよりも
目の前のやらなくてはならないことが
多かった

先週買ったブロッコリーが腐ってしまって
料理などしていなかったことに気づく

野菜が食べたいな、と

ひさしぶりに、八百屋へ往く

葉ばかりのネギや、色褪せたトマトや
いろいろな種類のぶどうを
今更ながら物珍しいような気持ちで見る

でも結局
なるべく小さなキャベツと、たまねぎを買って
帰ることになるのだ

もう慣れてしまった
つるつるの坂道を下ったり登ったりして
ぶらぶらと家に戻る

半分ぐらいの、白い月が出ていた
透明なぐらい白い、よく冴えた、月

また、月の世界にやってきた
月の存在が、随分と大きな土地
そして、月を見ながらぶらぶらと歩くことが
許される土地

やっぱり、悪くない

慣れ親しむことを、また、許されたようなきがする


2013/07/29

小さな巡礼




往ったからといって
何が変わるわけでもないと分かっている
でも、とにかく往かなくては、と
訳もなく思わせるものがあった



バスと電車を乗り継ぎ、名取
閖上へ往く

最寄りの駅から
雨に降られて歩く
なんで今更、来たのですか、と
雨がどこか怒っているように思えたのは
単純に疲れていたからだろう

お世話になったNPOのスタッフの方々は
温かく迎えてくださった
事務所の灯りに、ほっとした


閖上で被災した女性たちが
胸の中の思いを言葉にできるように、と
編み物の場を、作っていた
せっかく作るのだから
少しでも活力が出るように
できあがったものは販売する

編み物をしながら
近所の人の最近の様子や
政治のこと、取れた野菜のこと
畑のこと、津波のこと、を
話し、また、編む

どなたかと一緒にやってきた小さな犬が
うずくまったり、しっぽをふったりして
足元をゆきかう


仙台空港まで歩いた
間近に飛行機が見える
飛び立った飛行機は
あっという間に、灰色の雲の中に消えた

一体どこまで、波が来たのだろう
田んぼの中をまた、歩く



閖上の土地を
閖上で被災した方と一緒に回った
何度も見た、灰色の水と車と家の
訳のわからないVTRの跡が
目の前に広がる

青く茂った草が低く続く
真っ平らな土地だった

家の基礎さえも残っていなくて
土地を仕切る塀だけが残っていた

お盆が近いから、と
お墓の周りの草刈りをするご夫婦と会う
お墓でさえ、流された墓石を何とか
元の土地に戻した、という

随分と海に近い土地だった
土地の緑をそのまま
薄青い灰色にしたような
のっぺりとした海が続く


生徒が亡くなった中学校は
校章に躍動感のある波の模様が使われていた
土地の方にとっては皮肉なのかもしれないけれど
その図柄は素敵だった

中学校の碑の前には
きれいな花が供えられて
草刈りをしたり
側溝を掃除したり
土地に戻るか戻らないか逡巡したりしながら
その後、の暮らしを
生きていらっしゃった


当たり前だけれど時間は続いていて
それぞれがそれぞれの思いで
今と、その先を
暮らしながら、考えている

見に往けて、何もできなかったけれど
やはり、よかった


2013/07/28

たとえば、ベランダで


日本に帰ってきてから
落ち着かない日々を過ごしている
物理的にも落ち着かず
気持ちもまた、落ち着かない

元来、外へ出てゆくのが好きだったことを
実家に戻ってきて、思い出す
そういえば、文章を書くのも
ものを作るのも
可能な限り、外でしていた
カフェがなければ、生きてゆけないような暮らし

国を変えても習慣は変わらなかった
ホーチミンでもアンマンでも
とにかくカフェに居た
開かれた場所ならば、なおいい
青い空が見えれば、なおいい


それなのに
実家の周りはさっぱり地理に明るくなくて
暑いのも手伝って
家にすごすごと引きこもる
仕方がない
ベランダから、雲ばかりの空を見上げる
物干竿が、視界をはばむ


どんな些細なリスクも想像できないのに
遊牧民に憧れてみたり、する


2013/06/29

そして、日本 そして、東京



そして、日本に帰ってきた

ベトナムから戻ってきた時
とにかく、ベトナムが恋しくて仕方なかった
道往く人の中に
東南アジアらしき人を見かけたら
恋しさが募って、たまらなくなった

ヨルダンから戻ってきた時
身体はそれでも、きちんと
東京に慣れていた

身体がきちんと馴染んでゆく分だけ
気持ちに違和感を感じる

大きな、きれいな街で
それなりに、年相応にふるまうことに
馴染んでしまう自分や
それを強要はしないけれど
ゆるやかに
そうであるべきだ、と無言のうちに
たたみかけてくる何かに

そして、その何かに、ひっかかる

そのうち、わからなくなるのかも、しれない


東京でさえ
欅の緑色はきれいで
梅雨の晴れ間の青空は
よく澄んで、さわやかだった


ただ、ここに居る自分は
ここに居る時点で根本的に
アンマンに居る自分とは違っていて
その存在と心持ちの
有り様の違いに
自分自身、戸惑う

それも、そのうち、わからなくなるのかも、しれない

そして、わからなくなるのが
自分にとっていいことなのかどうかも
わからない

2013/06/24

アンマンの月


もう、あと1日で、ヨルダンから去る

アンマン城からの月は
オレンジ色でまあるくて
ずいぶんあったかかった

涼しい夕方の風と
街の灯りが
いとおしい

アンマンは、素敵な街だ

2013/05/23

痛い、ということ


左膝が痛い
使い過ぎ、らしい
びっこをひいて歩くなんて
こちらとしても
キャンプの中でシャバーブにからまれたりしたときに
逃げようがないから困るのだ
だけれど、痛いから仕方ない
ぼやぼやと歩くしかなくなる

ダニエルさんを思い出す
野良犬だ
とてもとても弱ってしまった冬の日に
今までいじめて遊んでいた猫たちに
尻を咬まれていた
きゅいん、と啼く

いじめてなんていないけれど
弱っている時にシャバーブに
尻とか、触られたくないな
などと思う

全く、困った話だ




痛い、というのは
きっと誰にでも経験があることで
だから、万国共通
痛いんだ、と云ってみたり
痛いんだ、と身振り手振りで表したりすると
それがどんなことなのか
何となく、わかる

程度の差はあるけれど
我慢しようが、痛みを訴えようが
変わりなく、痛い

この話は、精神的なことではなくて
身体的な痛さの話だ

我慢が美徳の国で育ったものとしては
あまり、騒がないようがいいだろう
などと、思ったりする
みっともない、と

こちらの子どもは
ものすごい剣幕で叱られても
取っ組み合いの喧嘩をしても
泣かない
でも、病気で熱がある、とか
けがをして傷口がうずく、などというと
思いっきり、泣く
そうしないと、分かってもらえないからだ

仮にも大人、らしい歳になってしまうと
泣くことはできない

たっぷり甘えられたとしても
そうしている自分がやはり
何だかみっともなく思えてきたりして
自分でいやになって、ふてくされるのだ


なんでこんなことになったかと云えば
週末にマラソンに出ようと思い
練習をしたことが、原因

走れなくて悔しい、などと思うことが
自分の感情として湧いてくるなんて
思ってもみなかった

とりあえず、どこにも悟りの兆しはなく
ただ、うんざりしている

自分の身体的な問題が
何かを成し遂げられない原因になる
能力いかん以前の問題
それがどれだけ苦痛なのかを
初めて知る







2013/05/03

今年も、展覧会



今年も子どもの作品展が始まった
今年は、バカアキャンプではなく
アンマンの遊歩道の中での展示だ

作品はできるだけ
一つのクラスや、一学年が
全員参加できるような絵にすることを
目標として作った

だから、子どもたちはパーツを作り
こちらでそのパーツを組み合わせる

会場の真ん中には大きな木
葉っぱの大きさだけは合わせて
子どもたちがいろいろ工夫をして
色を入れている



私が働いているバカア
No.3の学校はバカアのスークの様子
バナナの形が、いちいち面白い

No.1は低地にあるバカアを上から見た
夕暮れの景色を描いている
本当に、バカアの夕暮れは美しい
スクラッチの技法は日本では有名だけれど
ここの学校では初めて使うアイディアだった



そして、週1回だけ往っている
ジャバルアンマンの学校は
校庭にある大きな2本の松の木を描いた
3年生のこどもたちは
松の木の上で遊べたらどんなことができるか
想像して描いている


市営の展示会場は管理人も居る
全面ガラス張りの、きれいな会場だ
ガラスの下の方には
子どもたちがカラフルな色遣いで
色を入れたヒトガタが手をつないでいる


できるだけ多くの人たちに見ていただけたら、と思っている




2013/03/16

同じような色の



確かに美術に関わる何かしらをしているけれど
色の使い方が上手ではない
よく、自分で分かっている

色相や彩度、明度で統一性のある色を
操る程度

それで納得してみる

そのせいか
同じ色相か同じ彩度、明度のものが並んでいると
それだけで満足してしまう


そういえば昔
実家でたくさんの布を
色別に引き出しに仕舞っていた
どの引き出しも
微妙な色に溢れていた
しろっぽい色が好きだった




ヨルダンのワディに往ったとき
同じような彩度や明度の石が
流れ着いて転がっていて
朝の光が薄明るくて
随分と美しかった



きっとそろそろ日本では
さまざまな緑が
雑木林を彩り始めるだろう

そう、柿の新芽が
ほとんど蛍光の黄緑色だったのを思い出す

部屋に今
まだ片付けられない石たちが居る
それらを、並べる
どんな風に並べても
それなりに色や形に近しさがあって
単純に、楽しい


今更の、カーテン



ヨルダンの空は広くて青い
雲が多い雨期の冬でも
晴れ上がった日には
山の上のような、青い空が見える

そんなだから
もともと部屋についていたカーテンを外して
ろくにカーテンをひかないまま
1年半以上、過ごしてきた

だけれども、ふと気づく
北側の窓には白濁色のカーテン

ホーチミンに住んでいた時
自然光が好きだった
北側の大きな窓には
象牙色のカーテンがかけられていて
向かいにもアパートがあったせいか
滅多に開けることはなかった

部屋は薄暗くなる
でも、柔らかな光がほんのりと部屋を照らしていた

もうあと、3ヶ月ほどしか居ないのに
気になってしまって
気になり始めるとずっと気になってしまう
そして、結局、買ってしまった

カーテンをかけて、納得する
何かが足りなくて
ずっと思い入れが弱いままだった部屋に必要だったもの

相変わらず何もない部屋だけれど
やっとどこかで、愛着をいだけるようになった




2013/02/23

جاءت الربيع


おかしな土地だ、と思う
少し雨が降れば
今からまだ寒くなるというのに
緑の下草がいっせいに、伸び始める
それが、11月

その後何度か雪が降って
冷たい風が幾日も止まなくて
一体どうしてこんなに
極端な気候なんだろう、と
ストーブを抱えるようにして座り込んだまま
ずっと、耐え忍ぶように
窓の外を眺めていた




それなのに、気がついたら
アーモンドの花が満開になっていた

緩やかな、切れ目ない丘陵の
緑の野原と冬を越えたオリーブの葉の
日本とは違う、でもどんな土地でも美しい
あらゆる緑の色相のなかに
まるで桜のような、その木々が
ほわほわと、浮かぶ


死海の近くと、ヨルダンバレーへ往く
死海に近い土地は標高が低い
海抜がマイナスになってしまうような土地だから
アンマンよりも随分、暖かい
ヨルダンバレーもいつになく
緑が濃くて、鮮やかだ


ミツバチの羽音が
耳元で、遠くで幾重にも重なりながら
絶え間なく響く

ルッコラのいくらかくすんだ白い花
フェンネルのふわふわと柔らかな葉のかたまり
菜の花に似た黄色い花
日の光を透かして
濃すぎるようなアネモネや芥子の赤
その他の名前の分からない
たくさんの緑と、たくさんの青や黄色や白やピンクが
目の前に広がる






どうしたらいいか、わからなくなる

たぶん、浮かれていいのだろう
でも、うまくこの
春を感じている自分の気持ちを
言葉も声も指先も髪の毛も
どう表したらいいのかわからなくて
戸惑っていた

結局、ただ、静かに鑑賞する

こちらの季節の移ろいのように
はっきりと分かりやすいこの土地の人々は
草木や花畑の中で
バーベキューをしたり、寝転がったり
アルギーレを吸ったり、駈けたり、する

明るい声が響き渡り
羊やヤギの群の
鈴の音と重なって
遠くのお祭りのようだった


2013/01/11

雪がやってくる


アンマンで住んでいる地区


スウェーレへ  صويلح
アンマンでも標高が高い土地だ

今年もまた、雪の季節がやってくる

寒いのは分かっている
でも、出かけてしまう

ピアノの音をipodで聴きながら
アパート周辺を散策する

雪だるまをつくる親子
雪合戦に燃えるシャバーブ
物珍しさにこころは浮き足立って
でも、随分と慎重に歩みを運ぶフィリピーノたち
そして、ただ景色を楽しむ、私


家の色がほとんど同じ象牙色だから
白と象牙色と、時々暗い緑が
混じり合う


雪に埋もれてしまった野菜たち
摘み忘れられたオリーブの実
枝に身を寄せる小鳥たち




2日間降り続いた雪も
今日は止んで
青空が見える

雪が溶けだすと
道の角のゴミの山なんかも
見えてきたりする

2013/01/02

新年


年が明けた
新年の景色は随分と美しかった

今年は年越しにワディ・ラムへ往く

欠けた月が出てくるまで
空は星で溢れていた
弱く冷たい風のせいか
星が小刻みに揺れる


岩の陰から月が顔を出す
ごく、小さな石にも影をつくり出すほど
光は明るく細やかで、透明だった

夜、砂漠の上に布団を敷いて、寝る

明けきらないうちに、朝、目覚めてしまう
月が天上よりも少し西で
まだ、キャンプのテントや
枯れた低木や、わずかな緑の葉や
複雑な岩の細かな皺を
照らしていた

少しずつ東の空が白んでくる
辺りを照らす光源が二つになる時
景色が一瞬、青白くなる

日の出を見ようと
岩に登る
いつの間にか、青さは消える


日が昇り始める
太陽の熱をそのまま色にしたような
暖かな色のあらゆる色相が
照らす対象によって少しずつ色を変えながら
岩と砂を染めはじめていた



どこまでも、私の周りには
シンプルなものしかなくて
つまり、自然のものしかなくて
ただ、夜になり、朝になるだけだった




もう11万回以上
私は夜を過ごし、朝を迎えている
それと同じ回数だけ
こんなに美しい景色が繰り返されていたことに
陶然とする