2009/05/31

船便


やっと、船便がとどく
なんと2ヶ月半以上、私の荷物は旅をしていたことになる

ベトナムでは、この国についた時点で
必ず中身がチェックされる
だから、同封してあった手紙が消えていたり
化粧品が盗られてしまっていたり、なんて話は
日常茶飯事のようだ

ありがたいことに、
私の荷物は、何とか無事、全部届いたようだった
きっと本など、日本語で書かれたものをとる気にもなれなかったのだろう
仕事場に届いたので、周りの人たちが荷物を覗く

ぼろぼろでほこりっぽい本がいっぱい

食べ物を期待していたようで
なんだ、とつまらない顔をされる

でも、私にとってはとてもとても大切な本たちで
その中でも、「プラテーロとわたし」は、
手元にきて嬉しい本だった

ただ、
どうも、下巻をつめ忘れたよう

今度帰ったときに、下巻を持ってこなくては。

2009/05/25

制作を続ける





平日も休日もどこかしらで仕事のことを考えながら
制作をすることになる
今、本だから作れるけれど
彫刻だったら、できる気がしない

本は細部を語ることができるけれど
彫刻は存在自体が恒久的だと思っている
その存在のあり方に添えるような
思想がない

などと、思いながら
ちまちまと本をつくる

材料を調達するところから思わぬ困難があったけれど
何とか、できた

「くじらのドレミ」がお気に入りだ

2009/05/22

トラン・アン・ユンのこと 村上春樹のこと

ネットニュースをチェックしていて
以前の見出しでは
ふん、そうなの、ぐらいにしか思っていなかった項目が
とても気になりはじめてしまった


日本のニュースとこちらの日本人向けニュースを見ることが多い
こちらの日本人向けニュースの中に
トラン・アン・ユンとのインタビューの記事があった
「ノルウェイの森」のこと


今まで多くの人に公言してきた

35を過ぎて「ノルウェイの森」が好きだと
向かいの女の人に云う男の人には気をつけたほうがいい

もっともその中には
本当に読み込んで好きな人も居るだろう
あの、赤と緑の本を
ファッションのように持っていた人の話

実際何人も見てきた


世の中には村上春樹を絶対的に信望している人が多いから
わたしが村上春樹に関して何かを話すと
顔をしかめられてしまうことが多い

中学生の頃「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を読んで
なんだかわかるようなわからないような、だけれども
部分部分に印象深い画面、というのか
組み合わせ、のようなものがあって
その詳細や部分の蓄積が新鮮だった

読み終わったあとの余韻に
今までにない感覚があったことをよく、覚えている

他の作品もかなり読んだけれど
たぶん「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」が
私の中では一番
短編での凝縮された世界観の結晶のようなものがあって、好きなものも多い

ただ、どうしても長編になると、部分や詳細の蓄積、にしかならなかった
だから、いつも余韻、止まり、になってしまう


その中で、「ノルウェイの森」は
まだ、掴みどころのある筋道だったし
共感のしどころ、というのがはっきりしていた
今度はその分、物足りなかった
その筋道だったら、戦前の小説でもあったし
そこにいくら生々しい要素をいれたとしても
結局逝ってしまったものの幻影を追うようにもとれる話の展開は
ある意味、しみったれていた

しみったれていない小説など
恋愛が絡んだ話の中にはないのだけれど
もっと別のところで
しみったれていた方が、らしい、と思った

ただ、「ノルウェイの森」が流れてくる場面
状況と曲の組み合わせなど、美しくて
何かが、としか云いようがない
小説を形づくる上での何かが、完璧だったのだけれど



しみったれの要素を抜くと
それはたぶん時代性、ということが出てくる
もがきながら無気力、という印象がある小説の時代は
どうにもつらかった
それはちょうど村上春樹が好んで翻訳をしている
「ライ麦畑」や「ギャッツビー」などでもそうで
わたしはいまだに「ライ麦畑」を、読めない

ぐだぐだと書いてしまったのだけど
いろいろな意味で
「ノルウェイの森」はひっかかるものだった


さて、トラン・アン・ユンのことを

たぶん今、わたしがここにいる
ひとつの大きなきっかけは
この監督の映画を随分見たから、だったと云える

わたしのベトナムは、映画からはじまる

「夏至」などは何度も見たし
姉妹で唄を唄うシーンなど大好きだった
「夏至」がホーチミンではなくハノイだと知って
正直がっかりしたぐらいだ
「青いパパイアの香り」は
フランスでセットを作って撮られているけれど
舞台はホーチミンだった

映像も美しいけれど
映像から立ち上がる監督の視点が好きだった
細部へのクローズアップなど
近視眼的なシーンが多くて
そのどれもに愛着のようなものを感じたし
つい、目がいってしまう、というものものを
一つ一つ丁寧にひろい上げていっているような感じがあった

もう少しでに日本では公開になる
「I come with the rain」も本当はとても見てみたい
ベトナムではないところでの映像に、
どういう細部を見せてゆくの、気になっている



小説を読んだ時の余韻、を
新聞の記事を読みながら思い出していた
あまり色が豊かではなかったけれど
色の浅い京都の山奥での静かな空気感が
映画の映像として見えてくるような気がした

本を読んでから映画を見てはいけないという原則を思うと
少し気が重いのだけど
たぶんトラン・アン・ユンは
小説の叙情性を昇華させる視点を
見せてくれるのではないか、と
もう、今から期待している



















2009/05/18

夜の街に出る



夕方からにぎわいのある1区に往くことは少ない
住んでいるところから遠い、というのも理由だし
食事のお店に入るのが面倒ということもある
それに、例えば昼からあちらの方へ往くと
夕方にはぐったり疲れてしまっていたりする

今回の外出は、飲み会と結婚式
二日続けて出る

飲み会はビアホール、のようなところで
一応銅製のタンクやタップがあった
苦みの強いビールと食事
ソーセージなど、少しだけ西洋風なものものが並ぶ
久しぶりに氷の入っていないビールを飲む



次の日は、ホーチミンでも有名なホテルでの結婚式だった
日本の結婚式と見た目はとても似ている
丸いテーブルにステージ
ケーキカットにシャンパンタワー

でも、何となく人が集まってきて
集まったらいくつかのイベントをして
一通り食べたら三々五々帰る
緩い雰囲気がよかった


有名なホテルとあって、食事もおいしかった

結婚式のあと
花嫁にお祝いのことばを伝え
外へ出る
まだまだバイクが多い、9時過ぎ

せっかく1区に来たのだから、と
ビリヤードへ無理矢理連れていってもらう
12時過ぎまで遊んで外へ出ると
さすがにバイクの量も減っていた

いつもなら渡る度に
いつか死んでしまうのではないか
と、不安になる波のようなバイクに溢れるロータリーに
いくつかしかバイクがないのを見て
初めて、どことなく寂しさを感じる













2009/05/14

続 偽物王国(ホーチミンCD事情2)




仕事の同僚がオメガの時計を買ってきた。
喜び勇んでベンタン市場、という大きな市場に足を運び
1500円ぐらいで、オメガの時計を購入する。

みんな興味津々で時計を覗き込む
デザインも確かにこんな、だったし
よくできている、といえばよくできているから
この制作費で1500円、と云えば
全くもって納得の価格だった


私は待望のCDを購入する
9枚組、というなかなか壮大なセットで
ベートベーンのソナタが全て入っている

買おうと思い店の人に声をかける
いくらですか?
まずジャケットの裏を見て枚数を数える
店の人は電卓をもってくる
1枚210円だから
9枚で1900です

セットではないのか?

格安だけれども
何となく納得がいかない

でもまあ、いいか、と買って帰る
紙ジャケットで紙の質もいいのでどことなく安心し
パソコンに入れようとCDを入れると

セットのはずなのに
どれもが違う表紙で出てくる

どうも私は、このそこはかとない逞しさが気に入った

というわけで
最近はよく聴いている
はっきりとした潔い演奏をするピアニストだった


2009/05/12

散歩と植物




赤道に比較的近いこの土地では
大好きだった植物園で見たような花々がたくさん
そこら中に咲いていたり、実っていたりする

向かいの空き地の隅にはバナナの木
植物園の温室の中で
いくらつま先立ちしてもよく見えなかったバナナの実が
もう随分大きくなって熟れはじめている

花も色彩豊かで
そちらかというと丈夫な印象の花が多い気がする

ただ、雨季か乾季しかないので
今のところまだ
いつが植物たちのはる、なのか
よくわからないままでいる

休日の夕方、家の周辺では散歩に出る人が多い
何となく便乗して
外へ出る