ハミングをする癖がある。
無意識のうちに、取りとめもなく旋律もない音が
文字通り、ふんふんふん、と小さく漏れてしまうのだ。
決して調子がいい時に漏れてしまうのでもなく、
ただ、ふとした時に、音を鳴らしてしまう。
どんな時に出るのか、意識できることはほとんどないけれど、
極度に緊張している時だけは、認識する。
ハミングをする時の、鼻から空気が流れて
わずかに振動する、あの状態が、いくらか緊張を和らげてくれる。
けれども多くの時は、ただ音を鳴らしたい、という
無意識の欲求がうっすらと漏れ出てくるわけだ。
”こもりうたのようなハミングを、
わたしたちはうたわなくてはならない 死の際まで”
以前読んだフレーズを、なんとなく覚えている。
戦禍を生きる、子を持つ親の話だったはずだから、
死に顔が恐怖に慄いたままでは、見つけた人も辛いだろう、
安らかに、気持ちを軽くして死んでいけたらいいだろう、そう
思った大人の言葉なのかもしれない。
ハミングの効用は使う場面によって、さまざまだ。
ハミングをする人たちの音を聴くのが好きだからか、
勝手に、ハミングしているだろうと思い込んでいる人、もいた。
ずっと昔に読んだ本を、久々に手に取る。
物理的には、ハミングなどもしているけれど、
ハミング的生き方、からは程遠くなってきたから、かもしれない。
藤本和子の「リチャード・ブローティガン」
絶版になっているらしい。
あんなに素敵な本だったのに、とうっすらとした記憶をたぐりながら、
古本を手に入れて表紙をしみじみ眺め、思う。
ブローティガンこそ、わたしが勝手に、
ハミングをしているだろうと思い込んでいる人、だった。
かしこまった表情ではあるけれど、その口元から、
調子っぱずれな音が漏れ出ていたら、面白いだろう、
そう、わたしが勝手に想像していただけの話。
わたしはブローティガンの短編も詩も小説も、大好きだ。
中でも、「芝生の復讐」の中にある短編、
「シンガポールの高い建物」が好きだ。
”すごく心がふさいでいて、まるで液体鉛筆みたいにしか
機能しないじぶんの心を見つめながら道を行く”
男の横を、若い娘連れの母親が通っていく。
ずいぶん小さい子どもは喋っていることが言葉になっていないのだけれど、
それに答える母親の言葉が
”なんとも奇妙な啓示をともない、わたしの一日を爆破してしまうのだ。”
”「シンガポールの高い建物だったわよ」彼女がこの小さな娘にそういうと、
娘はキラキラと輝いて音をだす一セント銅貨みたいに、
とても心をこめて答えるのだった。
「そうよ、あれはシンガポールの高い建物だった!」”
液体鉛筆のような心持ちと、
シンガポールの青い空を背景にすくりと立つ高い建物を、想像する。
ものを書く人にとっての、細く丈夫でまっすぐな鉛筆
(ブローティガンはいつもタイプライターを使っていたけれど)が
とろとろと液体になってしまう様と、
不動に輝き立つ建物、しかも、きっとブローティガンもこの母娘にも縁がないだろう
シンガポールにある、ビルでもない”建物”、が
見開き一ページもない短編の中で、まさに”奇妙な啓示”のように
共存する、ブローティガンの短編の中でも、特に
そこはかとない暗さを跳ね飛ばす、”爆破”力と美しさがある。
彼の中の精一杯の善きもの、が漏れ出る作品だと思っている。
「リチャード・ブローティガン」は
生前のブローティガンと交流のあった藤本和子が、
自身のブローティガンとの会話や、彼の娘、友人や知人から
聞いたブローティガンについての話を、軸に、
彼の人生、そして彼の佇まいを描いている。
彼がどんな姿で立って、座って、
話をしていたのか、という描写が詳細にあるわけではない。
生きていくうちに、自然と作り出されてく雰囲気が、
本の全体に一貫して、佇まい、として立ち上がってくるように、思える。
ブローティガンの死にざま、から始まるぐらいだから、
明るいものでは、決してない。
歯形を調べなければ、彼だと確認できないほど、
死んで日が経ってから、暗い森のなかにあった家、で発見される。
周囲には未発表の詩が散乱する。
友人たちは、”泥のように酔い、それでもまだ呑みつづける”彼は
もうすぐに死んでしまう、と思っていたのに、助けることはできなかった。
”自分の腕を切りおとすようにして、周囲の人々から遠く離れていった”からだ。
”宗教音楽”のような音でタイピングする、ヘミングウェイのタイピストに
タイプを依頼すると、”ギリシャ神殿のようにも見える段落”で
改行された原稿が戻ってくる。
カリフォルニアの海岸には”蛙人種”、ゴムスーツを着た
若い綺麗な娘が”蛙人種的話題”で話し、
”おたまじゃくし的会話の夏”が過ぎていく。
アメリカの場末の映画館、ヒッピー、黒人、年寄り、兵隊たちが
映画を見ながら”エリザベス王朝風の流儀で生きそして死んでゆく”
父親の愛人も泊まるホテルの朝の光は、娘にとって”人工的で、過酷なほど清潔”で
メイドが「メイド鼠」となって、”空中にぶらさがる不思議なお化けベッド”
のように、光を置いていく。
以前は心通ったはずの女の家に深夜、コーヒーを飲みに行くが、
彼女は台所でコーヒーに必要なものを準備し、お湯を火にかけて
別の部屋へ入ってしまう。
”湯が沸くまでには一年かかる”、水を半分にしても、”六ヶ月はかかる”だろう。
バスで気がふれた老婆は切れ目なく話し続け、
”土曜の夜の荒れ狂うボウリング場のまぼろし”のように
”彼女の歯から幾百万本というピンがはじけとぶ。”
隣に座った、死んだふりをする男の耳は”小さな黄色い死んだ角のよう。”
公園で子どもたちの吹いているシャボン玉が、虫に当たって
”とても死亡率の高い脈拍を打つ”。
その一つがバスに衝突すると”霊感をうけたトランペットと
壮麗なコンチェルトとの衝突”のように、他のシャボン玉に
”大往生とはいかなるものであるか”を示す。
父親は、ずいぶん愛していたのだろう最初の妻との
若い頃の結婚を、”一家のクロゼットにかくされた骸骨”
のようなものにして、秘密にしておきたがった。
短編の中では、目に映る情景を心の内で咀嚼していく過程で生まれる、
たくさんの奇妙な映像が、映し出される。
どれだけ悲しかったり、辛かったり、理不尽だったり、
不条理だったりするものごとを目にし、経験しても、
言葉にする過程で、かろみを持たせたい、とでも
思っているかのように、どこか面白味が滲んだりする。
”人物をよく知っているという前提で書くことにつきまとう傲慢を、
彼は拒絶していた。
人格は行動でしめし、行動する人間の観察者として自らの役割を限定していた。
読者はまず、意味ではなくイメージを受け取る。
イメージはさまざまな機能をもつが、やがては普遍性をもつ感情、
認識などを共有させてくれる。観念までも。”
藤本和子の、ブローティガンの文章に関する洞察は、
人間を、ものを見る時の、あるべき姿勢そのものであり、
彼の文章の一番の魅力でもある。
他者、特に貧しくアメリカの底辺を生きる人々への温かな視線は、
どれだけビートジェネレーションの波に乗り、
売れる作家になってもなお、底辺にいた自分自身の過去を
捨てられずにいたからだった。
幼少期は極貧で、両親がすぐ離婚し、次から次へ父親が変わり、虐待を受け、
父親の違う妹たちの面倒を見ていた。
ラジオ一つ、壊れても容易には新しいものが手に入らない。
数日間も何も食べられない日々もあった。
警察署に石を投げたのは、刑務所なら食べるものがあるからと、思ったようだ。
けれども、統合失調症と診断されて電気ショック療法を受けたことは
あまりに辛い経験だったからか、その後、ほとんど語られることがなかった。
ワシントン州タコマとオレゴン州の、冬はひどく寒い。
森と川しかない山奥から、カリフォルニアへ向かう。
藤本和子はブローティガンと偶然、
サンフランシスコのジャパン・タウンの定食屋で会う。
「アメリカの鱒釣り」の翻訳を手掛けようとしていて、
表紙にそっくりの男が、隣に座っていた。
藤本和子は、その頃のブローティガンの家にも行ったことがあった。
サーモンスフレを手土産に訪れたら、
彼はアスパラガスを付け合わせに作っていた。
”アスパラガスは切っていなくて、色褪せた絵つきの中皿の上に
神妙に整列していた。”
空気を入れられるビニール鱒、を見せられる。
旅行するときにはいつも持っていくこと、
飛行機の中で飲み物にマティーニを2杯頼み、2杯であることを尋ねられると
”「このビニールの奴さんをポケットから取り出し、
ぷーぷーとふくらませ」”て、”「こいつも一杯やりたいといってるから」”と
言うようにしている、と話す。
ブローティガンは最後の十年ほどの間に何度か、日本へ来ている。
日本人の妻がいた時期もあり、六本木には彼がよく通ったバーがある。
日本に滞在しているときには、必ず朝と夜、
藤本和子にその日あったことを、電話で報告していたようだ。
普段ならすぐお酒を飲んでしまうけれど、日本に娘を連れてきたときは
アルコールを控えて、娘にできる限り様々なな日本を、見せようとしていた。
日本は気にいっていたようだけれど、日本語は話さなかった。
周囲の人々が何を話しているのか分からない、いつも、
彼はひどく一人を感じながら、それでも日本に来ていた。
日本に来始めた時期にはすでに、アメリカでのブローティガンの名声は廃れ、
時代の波はビートジェネレーションの作家に目を向けることもなくなった。
だから、アメリカに居ようが、日本に居ようが、
孤独であることには、違いなかったのだろう。
”「ある意味ではね、日本は父に、人間は孤独であってかまわないのだ、
ということを教えたのではないかしら。
日本にいくことで、かれは自分の過去と文学的に折り合いをつけることができたと思う。
私的には、とうとう折り合いをつけることはできなかったけど」”
そうブローティガンの娘は語っている。
日本に来て思想的に解放された、と解釈している自分を
父は笑っているかもしれない、とも。
藤本和子は、ブローティガンの娘に会いに行く。
父親について書こうとしていた娘は、父との思い出の断片を語る。
一緒には暮らしていなかったけれど、長い休みは
父親のもとで過ごしていた。
父親を喪ってからも、彼をより理解し、断片を残しておこうと本を書く
娘がいることは、かけがえのない救いのように思える。
貧しさと寂しさの記憶に満たされた故郷へは一度も帰らず、
親族とも連絡を取らず、”過去との断絶をもくろむ意思”を持ち続け、
それでもなお、”「いまはなくなった家の壁」に耳を押しあてて
書いている異邦人の記憶の回収録が
読者の心のもっとも繊細な部分を刺激するのだ。”
と、藤本和子はエピローグで書いている。
カリフォルニアでの話を描く短編には、
その場にいるのに、どこか場違いなのか、
心安い場所を探そうとしているのか、そんな心象が見え隠れする。
過去の記憶をもとに描く短編の方が、
たとえ、その場にいることが諦めであろうとも、
まだ心なしか、不安さを感じさせない気がするのは、もう何度も
自分に起きたことを他者の身に起きたことのように、
物語へと昇華しようとし続けていたからかもしれない。
けれど、昇華しようと向き合うたびに、傷みを負い、
どれだけ明るい現在にも、傷みは影のように必ずついてくる、
それがブローティガンの言葉の孕むやさしさ、危うさ、愛情でもある。
どこにいても、他者のいる情景と他者の行動に対して
言葉を尽くす。
そして、自分自身についてでさえ、
心に浮かぶさまざまな、時には悲痛であったり切実だったりする思いを
持て余すこともできず真摯に見つめ、その状態に言葉を探そうとする
ブローティガンを、想像する。
ブローティガンの書く文章に、音楽はあまり、出てこない。
ただ、印象に残っている短編が一つ。
妻が家を出てしまったと”びしょぬれの傷ついた雑巾”みたいな目をした男と、
海岸でラジオを聞きながらポルトワインを空ける。
ジュークボックスで歌われ続けた歌たちは、
”アメリカの塵に収録され”、
”ありとあらゆるものの上にふり積もり、椅子や自動車やおもちゃやランプや窓などを
無数の蓄音機に変身させてしまった。”
”そして、恋に破れたわたしたちの心の耳にそっと歌を聞かせるのだ。”
その後の人生をどう生きたらいいのかも分からない男も、
ラジオから流れるヒットチャートを聞くのだけれど、
おもむろに、彼はラジオに火をつける。
音は次第に歪み、”誰かを愛しているんだという内容の歌のコーラスの真最中に、
それは二七位に落ち”、”すべての歌にとりかえしのつかない終末がおとずれた。”
ブローティガンは、ハミングする人だったのだろうか。
おそらくは、ハミングして心落ち着かせることも、
鼻から抜ける空気の震えに心軽くすることも、なかっただろう。
だから、腐乱してわからなくなってしまっていたけれど、
きっと死に顔も安らかでは、なかっただろう。
それでも、彼の文章を読み終えたあと、ハミングするときのような、
心安さの携え方を、視点を、手にいれる。
どれだけ小さきものにも、底辺の人々にも、自分自身にも、
微弱であろうとやさしく愛ある視線で、ほんのり温かな心持ちを抱かせる。
そんな言葉をつむぎ、ときには絞りだすには、
歯を食いしばり、唇を噛み締めなくてはならない。
ブローティガンの書いた言葉の中に、
ひたむきさ、必死さをそこはかとなく感じれば、感じるほど、
彼の一つ一つの言葉がつむぐ情景が、
そして、彼の本を読んだ後、目に映る景色が、
ひどくひどく、大切なもののように思える。