朝10時から演奏会をするなんて、今までの人生で初めてです。
マイクを片手に通訳とともに舞台に出てくると、アンヌ・ケフェレックは
演奏するのではなく、ピアノ用の長椅子の端に浅く腰掛けて、話し始める。
こちらとしては、音楽家が今から弾く曲を浪々と解説してくれるのが
今までの人生で初めてだ。
ベートーヴェンは闘い続ける人でした。
通訳が入るからなのかもしれないけれど、
どちらかというと、言葉を一つ一つ、区切りながら話しがちで、
何かを言い聞かせるような印象を持つ。
よくありがちな、きらびやかな演奏会用のドレスではなく、
西洋の昔の女教師が着ていたようなワンピースの出立に、
授業を受けているような、もしくは、私の横に座っている
ピアノの先生から解釈について説明を受けているような気持ちになる。
ピアノソナタ30番、31番、32番がその日の演目だった。
ユーゴーやシェイクスピア、フィッシャーなどの言葉を引用しながら
丁寧に、熱心に、解説をする、
時間は大丈夫かしら、とこちらが心配になるぐらいに。
話し出したら止まらないタイプの人なのだろう。
わたしも好きな31番について、殊、言葉を尽くしていた。
随分と簡略に説明するならば、各楽章ごとに、ベートーヴェンの善良さが滲み、
彼の人生そのもの、そして病、苦悶と闘いを、表している、と。
ピアノを使った対位法とともに、譜面に残された細かな演奏の指示についても
例を出して丁寧に解説していた。
31番は、生きることへの愛に溢れた曲です、という言葉が残る。
生きることへの愛、などという言葉を口にすることも
文章で書くことも、なかなかないだろう。
そんな、ひどく計り知れないことを
真に知り、感じている人しか、口にすることができない。
理知的な語りの中に、重みと思索に満ちた言葉を挟む。
32番の解説に、耳の聞こえなくなったベートーヴェンが
「永遠を聴いている」と評したユーゴーの言葉を、
そして、楽譜の最後が16分休符で終わる、
人生をかけて書き続けたソナタの最後は、休符なのです、と
ケフェレックは言葉を添えて、演奏した。
最後まで弾き切り、鍵盤から離れて中空でしばらく止まる手のうちに、
長く苦しい、生涯をかけた闘いの最後に遺した、
音のない音へ、耳を澄ませる。
絶望でもなく、救済でもなく、
でも確実に、音の広がる場の、ほのかな温かさを保ったその瞬間、
生きる苦しみや面倒臭さからも、死への恐れからも解かれる数秒があった。
永遠とは、こういうものなのかもしれない、と
いくばくかの片鱗を聴いた気がした。
きっと誰もが抱いているだろう、心の奥底に流れる河へ、誘う演奏だった。
演奏の後もしばらく、その河のほとりに佇む。
時折、そんな演奏を聴くことができる。
そんな時は、しばらく涙が止まらない、歳をとったのだろう。
今年のラ・フォル・ジュルネはベートーヴェンだった。
(フォルはフランス語でクレイジーという意味があるから、
こんな朝早くから演奏することになるのだろう、と
ケフェレックは冒頭、真面目な顔で冗談を口にしていた)
前日は、アブダルラハマーン・エル・バシャのピアノソナタを聴いていた。
レバノン人である、というだけで、どこか親近感を覚えて、
アルバムをいくつか聴いていたけれど、
やはりアラブ人のバッハは、私としてはしっくりこなかった。
フランスものがよく合っている印象を、個人的には持っている。
彼のベートーヴェンは聴いたことがなかったので、興味があった。
エル・バシャは思っていた以上に、線の細い人だった。
こういう人、どこかで見たことあるな、と思う。
おしゃべり好きが多いアラブのおじさんたちの間で
会話にずっと耳を傾け、時折、何か関心のある話題になると
静かに、でも熱心に語るタイプの人。
あくまで想像の域を超えないけれど。
はじめの印象では、構築感の強い、がっしりとした演奏なのだけれど、
熱情の途中から、奇妙な建造物がぼんやりと見えてくる。
積み上げるのには、いくらか歪な大小さまざまなキューブが
並べられ、積まれ、高くなっていく。
外からだとシルエットは有機的なのだけれど、
何かが、決定的に、収まらない。
そんな建造物の面白さも、もちろんある。
どこか終始、苦渋のようなものを抱えながら
細い身体でピアノと格闘しているようにも見える姿とともに
その建物が、しばらくの間、頭の中から消えなかった。
翌日、エル・バシャの皇帝も聴く。
前日の印象よりも、よほど風格を身にまとい、颯爽と登場した。
皇帝の持つ伸びやかさは控えめな感があったけれど、
軽やかさとともに、前へ進もうとする歩みの力が伝わる演奏だった。
その皇帝は、孤高ゆえの翳りを隠し持ちながら。
前日のキューブは低い中空で、重力を感じながら
あるべき場所に浮いていた。
ベートーヴェンはそれなりに弾いたけれど、ただ譜面から浮かび上がる
密やかな激しさが欲しいときしか、手を出さなかった。
どれだけ弾いても、例えば、まだ小学生だった兄が弾く
エリーゼのために、の小さな曲の中にどこからともなく漂っていた
陰陽のようなものを自分自身は、出せていなかったと思う。
ある作曲家の人生の歩みに寄り添いながら、生まれてから起きた
出来事やそれに伴う感情の揺らぎを追随し、
さらに、自らの感性と譜面を読む明晰さを問いつつ、
形なく消える音を奏でる音楽家の人々の、
あらゆる業を内包するさまを思う。
時折、裏若くして汲み取る音楽家もいて、
その感性の鋭さ細やかさに舌を巻くことがある。
その人格からは、どこからも重さや暗さは感じないのに、
ひどく情緒的な演奏する人もいる。
そして、歳を経て、光と翳りを経験したのち、
それらから得てきた愛情と苦しみと明るさを心の深みに抱き、
音にする音楽家には、影の濃い、静かな彫像のような
底の知れない深淵がある。
空間は、ほの温かく、遠くに柔らかなあかりが灯る。
その深淵には水が絶え間なく流れ、
誰かの心の中のささやかな流れに気づかせ、もしくは、
誰かの強く鋭い流れと交わり流れを穏やかにし、もしくは
誰かの澱んだ河面に細かな漣の煌めきを生み出す。
辿り着いた心の河のほとりで、
誰かが渾身の力を絞りながら生み出した曲に込められた
生きることへの愛、のいくばくかの片鱗でも拾ってまた、
日常へ戻っていけたら、たぶん、とてもいいのだろう。
ただ多くの場合、片鱗を携えて日々を暮らしてもなお、
生きることは、ひどくやっかいで困難が多く、
もう諦めてもいいのではないか、と思わせる
怒りや苦しみや孤独がある。
それこそ、ケフェレックが解説した、ベートーヴェンの人生と
わたしたちの人生は大なり小なり重なる。
まだ自分自身が生きることへの愛情、のようなものは
心の底から抱くことはできないけれど、
それでもせめて、他者が生きることへの愛情は、尊く大切なものだと、
いつでも感じていたいとはずっと、思っている。
32番の2楽章にアリエッタと名がついていることに、動揺するのです。
作曲家があの楽章に、短く小さなアリアを意味するアリエッタ、と名付けたことへ
思いを馳せ、心動かされる音楽家は、
余計な感傷もなく、冷たい達観もなく、
曲と、曲を作り出した作曲家と、
作曲家を含む業を包摂する人そのものを、
愛しているのだろう。