満月の夜は、散歩に最適だ。
ドビュッシーとフォーレを聴いたあと、
坂本龍一の最後のアルバム、12を聴きながら歩く。
不夜城のような街を抜け、広大な墓地を往く。
リズムのない、真空のような音の中に
規則的に響き続ける息を聴きとる。
最後の、金属のすれるような音に見える
水の煌めきのような、不確実で脆い残光が
墓地の街路樹の、風に揺れる影と重なる。
まったく、性に合わないこの仕事をしながら、
それでもこの仕事を続けるモチベーションを何かに求めるのならば、
教授にいつか会ってみたかった。
(理由はわからないけれど、教授という呼称を久しく、使っている)
創造されるものと社会のつながりについて、
教授の口から、その考えを聞いてみたかったからだ。
トニー滝谷は、邦画で一番好きな映画だ。
映像も言葉も音楽も、余白が多くを語る。
ラストエンペラーは、一時期ずっと、
海外で一人の正月を過ごす時の、
大事な映画だった。
習慣的に、あの長い映画をただひたすら
安いダラットワインか、秘蔵のウィスキーを飲みながら
見続けていた。
見た後しばらく、頭の中をテーマ曲が流れ続ける。
その余韻が、ひどく正月らしくなくて、気に入っていた。
どうにも自分で自分を持て余すほど、心底ひねくれている。
だから、Energy Flowを初めて聴いた時、
無性に腹立たしかった。
土足で、他者の疲れた心身に踏み入ってくる。
商業的に売れるだろう、という目論見の裏に、
でも、本当に心身を疲弊しきった人間が、
何を欲しているのかを見通している。
知らない人に、なぜ心のうちを見透かされる居心地の悪さを
負の感情で、やり過ごさなくてはならない楽曲だった。
在外の夜は、長い。
疲れ果てた、異文化の土地で消耗した神経に、
何か、別の世界がいつも、必要だった。
ネットの動画で、スコラを繰り返し見て、
過去に頓挫した楽理への憧憬を、必死に満たそうとしたりした。
結局、たぶんよく、分かっていない回もあるけれど。
そこから、楽曲をまた聴いてみると、
ドビュッシーやサティの真髄をそのまま引用したような曲もあった。
そして、まったく別の、開かれた音楽の世界を見せてくれる
面白い楽曲もたくさん、存在していた。
だから、小さい頃は、クラシック一辺倒の家庭で、
忌み嫌われていたYMOの試みの新鮮さを
大きくなってから随分と、享受したりした。
一時期、毎朝、いい具合にうわついた
君に胸キュンのPVを見ながら、ふわふわと出勤したりも、していた。
わたしのピアノの先生は、ドイツに留学していたゴリゴリのバッハ弾きだったけれど、
わたしには、フランス音楽を弾かせていた。
こいつにドイツ音楽の何たるかは、わからないだろう、と
見放していたのかもしれない。
わたしの身体には確かに、フランス音楽の方が馴染んだ。
久々、浴びるようにクラシックを聴く機会を持つ時、
ラヴェルやドビュッシー、フォーレを好んで聴くようになる。
だから、教授の曲は、どこか耳の馴染みがよかった。
クラシックに傾倒していた子ども時代から、
音楽の世界の幅広さとその面白さを知っていった10代から20代、
民族音楽に随分と魅了された。
土臭さと、時にトランスに見られるような、地を這うような息苦しさ、
例えばリズム、例えば音階の中に、
音楽の持つ、原始的な不可欠さや喫緊性がある。
もしくは、限りなく快楽を追求したような、たゆたう音の中に
自分のまったく知らない生活、時間の感覚、そして感性があることは
ひどく興味深く響いた。
海外で暮らす時、その土地の伝統楽器を習い、
できるだけオリジナルに近い古い音楽を好んで聴いていた。
(今でも、地方の民謡を巨大な集音器を山奥まで持参して、
音を収集していたバルトークの楽曲が、とても好きだ。)
願わくば、今まで西洋的な世界の中で
存在し、愛されてきた音楽と融合できれば、個人的な趣向からしても
それほど幸せなことはない。
けれども、その作業は往々にして西洋至上主義を
結果的に形にしてしまう作業にもなりうる。
そのせめぎ合いに挑戦しようとするアーティストに、
随分と執着していた時期があった。
教授もまた、わたしの中では、その一人として、
興味を持ち始めたのだった、と20年近く前のことを
今振り返り、思い出している。
民族音楽というアイコンの活用と、
音楽を通した世界の広がりを伝える、
そこに着目し、形にしようとした姿勢から透けて見える
開かれた視点が、人として信頼感を抱くきっかけとなった。
考えてみたら、もう10年以上断続的に、教授の関連動画を見続けている。
実直とも言えるほど、素直な語り口を、気に入っていた。
インタビューからコント、ライブからドキュメンタリーまで
ヨルダンの長い夜と、生気を失った空白の休日に
ただただ、動画を見ながら、ずっと
一体、この人は何の作曲と社会へのメッセージには
どのような関連性があるのだろう、
曲がりなりにも、いわゆる、社会問題の一端に触れる仕事をしながら
ただ、知りたかった。
それは、私自身が、過去に従事していた芸術分野での表現活動と
今の仕事をいくらもうまく繋げられずに、悶々としている現状に
解を見出したかったからなのだと思う。
シンプルに、生きている時代と表現活動を
本来、切り離すことができないのだ、という事実に
日本に帰ってきて、気付いたりした。
奇しくも、仕事に精神面で頓挫して、
どこにいても役に立たない自分の惨めさを、心底味わう日々の中で。
Energy flowを今、あらためて聴いても、
わたしには癒される音楽ではない。
けれども、不可解で矛盾を孕み、収まりの悪い
静かな人の感情の起伏を、音にしているように、思う。
その表向きの軽やかさとは様子の異なる、内に秘めた孤独を見る。
人の人生に思いを馳せる楽曲を提供し続け、
亡くなった時には、自らが作った音楽で、
映画の中の人物ではなく、この作曲家の人生について、
思いを馳せる余白を、残しておいてくれていた。
訃報のあと、SNSにはたくさんの人々が
教授との交流について、触れていた。
わたしの業界にも、お会いしたことがある人が何人もいて、
温かな言葉とフラットな視点、そして
ジャンルの垣根なく人に会うことを躊躇わない人だったことを、
知ることになる。
根本的に人が好きな人物が、こんな音楽を作るのか、と
今更ながら、不思議な印象を持つ。
教授の作った楽曲の多くには、
音の余白の中に、深淵で埋めることのできない孤独がある。
音楽的な趣向や手癖もあるだろうけれど、
おそらく好んで使う音の響きの中に、
とてつもなく空虚で
深淵で底の知れない孤独な空間が見える。
頻度には差があれ、孤独を体感せざるを得ない瞬間は
どんな人にもあるだろう。
少なくともわたしにとって、その孤独を掌の中で、
いくらか客観的に把握するための、切実な道具として、音楽がある。
究極的に、その音楽をどのように享受しているのかを、一人で聴くかぎりにおいて、
いくら言葉を尽くしても、他者には完全には共有しきれない、という
孤独もまた、音楽は知らしめる。
それでもなお、例えば今、こうして
喪失感という孤独の一つの姿を、何とかして誰かに伝えようとする。
そのひどく不毛な作業を、でも、どうしてもしたいのだ、と
奮い立たせてくれる音楽を享受できることに、
一個人として、ただただ、有り難さを心いっぱい、感じている。
そして、なのか、けれども、なのか、
4月2日からずっと、ところどころフランス音楽を挟みつつ
ずっと教授の曲を聴き続け、
ぽっかりと物理的に暗い空間が、
巣喰うように、身体の中にできてしまった。