クラシカルな音楽と一ミリの親和性もない、
誰もが眠そうにぼんやり歩く早朝のアンマンの街角。
頭の中をずっと、ラヴェルのLa Valseが回っている。
それは単純に、朝の出勤時からヘッドホンで
この曲を聴き続けているからだ。
浮遊感がより極まった、チョン・ミョンフンの指揮するLa Valseは
感電しそうに大量の電飾をつけ、不規則な緩急に任せながら、
回転するメリーゴーランドのように
幻惑と危うさを孕んで、ひたすら頭の中を回り続けている。
自分だけに聴こえるこの音楽を通して見ると
すべて幻想で存在していないのではないか、と思えてくる。
そこにはどこかしら、わたしの願望も含まれているわけだけど。
久々のヨルダンは、知ってはいたけれど、なかなかタフな土地だった。
わたし自身のことでも、いろいろスタックしているし、
私の周囲でも、あり得ないことが、さも起きて当然、かのうように
存在していた。
正気を保つには、久々のヨルダンはいくらか心細かった。
なまじっか日本に長くいたから、余計に心細い。
日本にいる人々に助けを求めても、勝手も意味も、わからないだろう。
それは、わたしが仕事で難民の方々の話をすると、
あら、大変ですね、という方々のコメントに心潰れるのと少し似ていて、
何かしらわたしの気力を奪う。
わたしもたくさん、立場の違う人々にそんな、想像力の方向が見当違いな
心薄い言葉をかけていたのだろう。
思い返すだけで申し訳なくなって、しばらく仮死していたくなる。
そんな行き場のない心模様を払拭するべく、
朝っぱらからある種、破滅的な音の波で頭の中を埋め尽くす。
朝一で会議をこなし、スタッフとの話し合いや書類作成をしていると
事務所の水周りを修理するおじさんがやってきた。
このおじさんに最後にあったのはちょうど1年ほど前、
やはり、同じ箇所に問題があって修理をお願いした時。
水周りの根本的な解決ができていないばかりに
また直してもらうことになる。
キッチンのシンクの下、上水をタップに供給するねじが錆びて
錆が水道管の中で詰まっていた。
ついでに、キッチンからの下水を流す管も詰まっていた。
これは、粉をそのまま煮立ててカップに注ぐアラビックコーヒーの
その粉が溜まっているからのようだった。
前者はシンプルに建物の老朽化が原因だし、
後者は下水管の設置角度が悪いのが原因だった。
どちらも直すべき、根本は見えている。
けれども、事務所の場合においては予算がなく、
根本的な解決に取り組むことができない。
そもそも、両者とも建物のオーナーが関与してしかるべきなのだけど、
ここでもまた、責任の押し付け合い現象が起きる。
さらに、今の事務所を格安で借りているので、
もしわたしたちが修繕してくれないオーナーに愛想を尽かして
出ていったならば、オーナーとしては好都合、
もっといい客に高値で貸したらいい。
修繕にまつわるこの、解決に至らない残念なループはまさに、
ヨルダンではしばしば、さまざまな場面で見られる現象だ。
その時のテンポラリーな応急処置で、
その場が何かしら取り繕えたらいい、
根本的な解決に目を向けたがらない、もしくは
解決する手立てやお金がない、という類の話である。
修理のおじさんは何度となくスタッフを呼び立てては、
現状を報告する。
コーヒーの粉だよ、ここが錆びてるね、
いや、まったくひどい状態だよ、
見えるかい?ここだよ。
その度に呼び出されるスタッフは苦笑気味なのだけれど、
愛想はよくて、どこかおどけた雰囲気を纏うおじさんの話し口に、
スタッフたちは慣れた様子で耳を傾けていた。
本当に心の広い、よくできた人たちだと心底、思う。
水場周辺から仕事部屋に戻ると、違うスタッフが泣きながら電話をしている。
踵を返し、水場に戻ると他のスタッフから事情を聞き出す。
夫が運転免許を取るのを許してくれない、
結婚前からお願いしているし、自分の給与で免許代は工面すると
言っているのに、どうも許しが出ないらしい。
理由はなんなの?と当事者ではないスタッフに詰問する。
妻が自由にどこかへ行くのが嫌なの?そう尋ねると、
車買うのも維持するのも、お金がかかるからじゃないかな、という。
あの子だって稼ぎはあるじゃない?
いや、旦那さんは自分のお金もあの子の稼ぎも自分のものにしたいのよ。
おれのものはおれのもの、お前のものはおれのもの、
ってセリフがあるわよ、ドラえもんの中に。
あぁ、それ聞いたことあるわ、こっちでは、
結婚すると嫁が言う言葉よね、でも
あの子の家ではどうも、事情が逆なのよね。
ふん、と納得いかない風情を全面に出していると、
修理が終わる。
修理代を支払うと、おじさんは
明日でも明後日でも、いつでも言ってよ、
なんでも直してあげるからね、と無邪気に言う。
随分修繕に時間がかかったんだけどな、と思うと苦笑が顔に出る。
あのおじさんはドクターよ、わたしたちに起きるどんなことも、
直してくれるって言ってたわ。
おじさんを見送ったあと、スタッフは言いながらニヤニヤ笑っている。
修繕ですっかり汚れたトイレをスタッフと二人で掃除していると、
さっきまで泣いていたスタッフがやってきた。
免許のこと、聞いたわよ。
根掘り葉掘り事情を聞き出すのは、
わたしの好奇心もいくらか働いているからだった。
仕事をしている旦那だから、
決して彼女の稼ぎをあてにしているわけではないはずだけれど、
将来の投資でもある運転免許を、自分のお金でも取れないなんて、
理屈が通らないから、
反対している理由を明白にすべきだ。
甲斐性があるのかないのか、よくわからない旦那の話を
しばしば聞いてきたわたしは、我慢強くお人好しの彼女に警告する。
だって、あなたの稼いだお金もあてにしているんだったら、
仕事がなくなったら、あなたの価値がなくなるってこともありうるのよ。
”あだみっく ざはぶ”
当事者ではないスタッフが舞台女優のセリフのように、笑いながら言う。
あなたの骨は金でできている、という意味だ。
え?それってだめでしょ、とすかさず私が反応すると
いや、冗談よ、旦那さんは愛してるわ、と笑っている。
やー、っさらーむ、わたしは大仰に肩をすくめる。
当の本人は、さっぱり怒っているでも、悲しんでいるでもなく、
あっけらかんと会話を笑いながら聞いている。
女性がお金を稼げることが、まだそれだけで、
名誉なことなのだろうか、とか、
稼ぎがあることは結構な魅力になるのだ、と本人もまた、
肯定的に考えているのだろうか、とか
憶測が頭を巡る。
そんなわたしの頭の中の混乱をよそに、
彼女たちはネスカフェを作って、
楽しそうに仕事場へ戻っていった。
まったく、強い女性たちだ。
安造りの舞台の上で、現役をとうに過ぎたバレリーナが
気品だけをそのままに、鈍くなった動きを隠せもしないまま踊り続ける。
もしくは、今の身体に合わない若かりし日のドレスを無理やり着て、
真っ白に塗ったおしろいに皺を浮き立たせながら老婆がにこやかに挨拶する。
腰を据えて仕事を再開して、
いつまで経っても決まらない、仕事の大事な用事を調整すべく
話し合いを続けている最中、頭の片隅でそんな想像をしていた。
話に集中していない証拠だ、と頭を激しく振る。
話に決着がつく頃には夕方になっていて、
スタッフたちは元気に帰っていき、
いくつかの書類をまとめたり、メールを送ったりする。
その間もずっと、頭の中をLa Valseが回り続ける。
観念して、ひたすらヘッドホンで同じ曲をひたすら繰り返し
聴き続けていた。
どんな曲でも、その楽曲自体が、身体に沁みて自分のものになるまで、
聴き続ける癖がある。
他人が付き合わされたら本当に、うんざりするだろう。
おそらくしばらくは、他の曲を挟みつつも、
これを聴き続けることになる。
なぜなら、音の世界だけでも浮遊させてほしいし、
破壊して再生させてほしいからだ。