8年ぶりの、夏の日本への帰国だった。
記憶の中の日本の夏は、茹だるような暑さと湿気。
典型的だけれど、入道雲と蝉の声。
ずっと夏には帰っていなかったから、時々日本との会議で
背後から蝉の声が聞こえたりすると、じんわり切なくなったりしていた。
だから隔離中の朝、蝉の声に目覚めて、しばらく横になったまま聴き入っていた。
でも、暑い日はそれほど続かなくて、呆れるほど曇りか雨の日が続いた。
日本では雨が降り出したらずっと雨か曇りなんだとか
当たり前のことに気づいたりした。
ヨルダンでは雨雲と風はセットのことが多いから、
雨が降り出したら、その後には虹が見える確率が高い。
雨が降る冬は、空にかかる虹を待っているのが
すっかり習慣になっていた。
日本の雨は終わりがなくて、しっとり濡れた緑が映える。
私の記憶の中では、なんだか寒い日本、だった。
どうにも寒がりなので、季節外れのフリースを慌てて買った。
心構えのない寒さは、苦手だ。
期待外れだったのだと思う。
期待外れについて、結構ずっと考えていた。
それは、例えば入国の時のおかしさだったりした。
なんでこんなにたくさんの人が入国にかかる手続きにいるのだろう、とか。
電子化が定着しつつあるヨルダンに比べて、どうして圧倒的に
日本の入国にかかる手続きはアナログなんだろう、とか。
働いていらっしゃる方たちの中には、不安を感じている人たちもいるだろう。
ヨルダンは隔離対象国なので、ホテルに連れて行かれる。
そのバスには、ビニールがあらゆるところにかけられて
外など一ミリも見られない、護送車みたいな状態になっていた。
海外からきた人は誰も彼もがコロナにかかっていることを前提にした
対応をされていることに気づいて、途方に暮れる。
こんな対応をするより、入国前の検査数を1回から2回に増やすとか
しっかり何度かPCR検査をしてほしいな、と思った。
PCR検査だけではないけれど、
なぜ、日本政府が支援対象としている国の一つである
ヨルダンでは円滑にできていることが、なぜ日本ではできないのだろう。
そして、何よりも日本で街中を行く人たちの行動様式が、
ヨルダンよりもコロナ対策がなっていないということに
何度も唖然とした。
それなのに、罹った人には冷たい。
こんな状態では広まってもおかしくないのに、罹ったらおしまい、
みたいな空気感への矛盾に、ぞっとした。
ルールが形骸化するシーンを何度も見て、
それが個々人の判断への責任だけでは語れない話なのだと
次第に気づいていったりした。
私を含め、誰もが知らない間にあらゆる場所で、目的の見えない実験台になっている。
実験をしている人は誰なのだろうか、と薄寒さを感じる。
だから、色々な意味で、寒かった。
日本ってこんな国だったんだ、と今更気づく。
(ところで、日本を私は「にほん」と発音する。
「にっぽん」が正確な音だけれど、統計的には
半数以上の人たちは、にほん、と口にしているらしい。
自分の国の発音が違う、というのはなんだかおかしなことだ。
個人的には、にっぽんという音を聞くと
戦争中のラジオ放送の音声を思い出してしまって
いちいち気になってしまったりする。
コロナ禍ではよく出る文脈だと思うけれど。)
いつか、日本へ戻ってこなくてはならない。
日本人として、違う国に住み、日本の何かしらの強みを伝えていくのが仕事ならば、
今の日本には問題が多すぎる。
特にコロナ以降、自分自身が帰国のたびに問題を体感してしまって、
このまま仕事を続けていいのだろうか、という
疑問をずっと抱き続けている。
短い帰国だったから、展覧会によく行った。
ヨルダンとの仕事は午後から始まるので、午前中に出かける。
ピンとくるものも、さっぱりなものもあった。
ルール?展にきている人が圧倒的に若い人たちだったのが
新鮮でなんだか素敵だった。
体験型のコンセプトが面白くて、
展示内容のどれにも、新しい発見があった。
アナザーエナジー展のレバノン人の作家の絵が
静かに情熱的で、でも暖かでよかった。
それから、高層ビルの屋上から見える景色の手前に置かれた彫刻が
二重の意味で均衡を感じさせる贅沢な展示だった。
イサムノグチ展の作品は、もちろん素晴らしいのだけれど、
来場者の数が多すぎて、彫刻の周囲に空間がもはやなくなっていた。
山城知佳子は、どこまでも剥き出しすぎて
少し混乱した。
フェルト、脂肪、そしてフィクション展は
作品の語る言葉が多くて、もっとよく聞き取りたかったけど、
たぶんうまく聞ききれなかったと思う。
一番記憶に残ったのは、Walls&Bridges展だった。
きっと、美術を一線でやっていたら、反対に興味を引かなかったかもしれない。
でも、紹介されている作家の作品にどれも
手に触れられるような、ものを作り出す人独特の愛情があって
なんだか、とても安心した。
日記映画、として日常を撮影し続けた作家の映像に
柔らかい光が溢れていた。
本もたくさん読んだ。
いつ持っている新しい本を読み終わってしまうのか
不安になることがない、というのはどうにも素敵なことだった。
とにかく圧倒的に良かったのは、「すべての見えない光」だった。
物理的に私の好きなものと、私自身が常に気にしていた類の人の心の動きが
交差して、ひどく美しい作品だった。
読む本がなくなると本屋へ行って、ピンとくるものを探す。
あまり遠くの本屋へは行きづらかったから、
徒歩圏内の2件の本屋を行き来した。
それから、自分では普段手に取らない本も人から紹介されて
それらのどれもが、新鮮だったり、納得できたりした。
以前は好きな作家が決まっていたから手に取ろうともしなくて、
人から紹介されても、よほどでない限り進んで読まなかった。
人から本を借りる良さに、気づかせてもらった。
本を読むと、その感想を会ってくれる人に話していった。
うまく話せることもあったし、うまく言い表せないこともあった。
けれど、人に話すというのは、自分の理解度や咀嚼具合を確かめるのに
随分役に立った。
普段読んだ本の話を興味を持って聞いてくれる相手もいないので、
耳を傾けてくれる人たちがいるのは、ありがたかった。
会ってくれる人たちは、誰もがコロナ禍のこの状況に
それぞれのフィールドでできることを、精一杯していこうと
考え、行動する、本当に格好いい人たちばかりだった。
地味だったり、キラキラしていたり、一見した見え方は異なるけれど
誰もが、しなやかに闘う勇者みたいに見えた。
だから、だと思うけれど、誰に対してもとても温かくて、
それが何よりもありがたかった。
きっと会えなかった人たちもまた、さまざまなことに戸惑い、闘いながら
何かに精一杯なのだろう。
想像するその様子は、私とたぶん、同じだ。
人たちに会った帰り、時々ぽつぽつ夜の東京を歩いた。
一人になると、急に寂しくなるし、なんだか不安になった。
深夜の街灯に艶めく常緑樹の葉っぱやアスファルトはきれいだけど冷たくて、
薄く濃淡を残す雲はじっと動かなかった。
日本での宙を浮くような暮らしは漠然と不安を駆り立てる。
それでも、出会う人たちがそれぞれの基軸をしっかり持って、
その人たちと家族や大切な人や周囲の人たちの生活や心持ちを、より良くしようと
絶え間なく試みを続けている姿を見させてもらった。
不安や疑問は、動いて向き合っていくものなのだな、と
説得力を持って提示していただいた。
ヨルダンに戻ってきたら、こちらもまたいつの間にか
雲が空を漂う秋の景色になっていた。
雲は少しずつ形を変えて流れていく。
今年は例年よりも少し早く、雨が降るかもしれない。
ずっとヨルダンは水不足に悩まされているのに、
食器を洗う水を盛大に出してしまった。
金木犀の香りが好きだけれど、日本にいる間には花がまだ咲かなかったから、
香水を大枚叩いて買ってきた。
まだ日本を引きずっているな、と反省する。
意図せず、かもしれないけれど、温かな人たちは
地道に仕事をしていけ、と私を励ましてくれたのだと勝手に、思っている。
シリア人のお母さんたちみたいに、いつか強くて温かい人になれるように、
まずは足元から地道に仕事をしよう、と思う。
大体いつも同じことを、毎回初心に戻るように思うのだから、
よほど忘れっぽいのだろう。