2017/04/21

言語の隙間で失ったものを


 今更ながらさっぱり言葉が操れないことに一念発起して
 アラビア語の学校に通っている。
 
 無理をして一番難しいクラスに入ってみたら
 さっぱり分からなくて、
 小学生が大人の会話に参加してしまったような状態だ。

 昔、親の客がやってきて、一緒の席に座ってみるものの
 何を話しているのかさっぱり分からずただ、
 ぼんやりとその時間をがまんして過ごすしかなかった、
 などという思い出に、
 レッスン中思いを馳せたりしている。

 レッスンを受けていて何よりも難しいと思うのは
 そもそもディスカッションでテーマとなっていることが
 自分の中で今まで、問題にしていなかったことだったり
 そういうものだから仕方がないのだ、と
 思考の中に組み込まれなかったものであることだ。

 あらためて、言語の豊かさは、思考の豊かさに帰依するものだと
 実感させられる。

 いきなり、夏のように暑くなったアンマンで
 季節に付随して思い起こさせる
 様々な記憶や感情には敏感であることは、
 ふと、気候が変わるごとに気づかされる。

 ただ、人を介して生まれる感覚には
 すっかり、心を閉ざしてきた数年間だったのだと、
 今更ながら、思い知らされる結果となっている。

 これは、愚痴になってしまうし生産性がないから
 考えることを止めよう、と決めてしまったことを
 まだこの土地に新しいクラスメートたちは
 当たり前の疑問と、健康な感覚を持って
 どう捉えたらいいのか、真剣に考えているのだった。

 新しい単語なんてほとんど頭に入ってこないし
 感情を表す様々な単語を
 適切に使い分けるタイミングがない。
 何かを話したい、と思う時に
 それをどの言語で誰に話したいのか、という選択肢が
 自在に使いこなせるようになりたい。
 

2017/04/01

この国への愛情のようなものを



相変わらず、春なので
そわそわして、また週末に出かける。
今までヨルダンの春を謳歌したことのない
旅のおともの方たちも、一緒だった。




春の用事があって、小さな細い、ワディへ往く。

ワディの脇にあるはずの花の株を探そうと
小さな川の脇を昇る。

お目当ての花は見つからず、盛大に葉を伸ばした株だけをみて
どこにも花の気配がなくて、落胆する。

地元の人に訊いてみたけれど、
あそこらへんにあるんじゃないか、などと
ぼんやりとした解答しか得られず
泣く泣く諦める。

川の脇を戻っていくと
川の脇のザクロやオリーブや樫の森の中で
バーベキューをしたり、ゆったりと横になったり
思い思いの過ごし方をする人たちのグループが
至るところにあった。

川の中では子どもも大人も、大はしゃぎで
水をかけあったり、ずっぽり水に入ったりして
何だかあきれるほど、楽しんでいた。

たくさん声をかけられる。
ようこそ、という言葉もあれば、からかう言葉もあって
そんな言葉たちにすっかり慣れてしまっているから
適当に流して歩いていく。

でも、初めてこの景色を見た同行者たちは
挨拶に一つ一つ、応える。
いい国だね、と。
この国が好きだ、と。






ジェラシュの遺跡にも往く。

春に来たことはなかった。
たくさんの地元の人たちが、
広大な遺跡の中をゆっくり歩いていく。

観光客にはガイドが勝手についてくる。
そういうのにも慣れていたから
適当にあしらう癖がついていた。
でも、同行者は話を聞き、
あれよという間にガイドが付くことになってしまう。

あらら、、、と困ってみたけれど
そういうこともあるのかしら、と流れに任せてみる。

ガイドはあまり案内には熱心ではなかった。
たぶん、値切ったからだろう。
観光客が減ってしまって大変だと、云う。
そう、この国の観光はがたがただった、ということを思い出す。

どちらかというと景色に気を取られて
説明もあまりきちんと聞いていなかったけれど、
いつもは素通りするような細部に
話が往くと、なるほどな、と感心してしまう。

ガイドは日本が好きだと、すばらしい国だと、繰り返し云っていた。




夕暮れにさしかかかったジェラシュの春は
少しの雨雲と、きれいな青い空が混じって
草の色をより、鮮明にする。

こんなにきれいな季節は、本当に一瞬で
それがまた、ヨルダンらしい。
そう、毎年毎年、同じことを思うのだけれど、
何だか今年は、景色とともに人の姿が
ひどく印象に残った。

春の陽気に、少しだけ心が開くと
いつも見ていたはずのものが、随分と違っていた。

本当はみようと思えば見えるものがあったはずだったのに
随分いたずらに時間を過ごしてきたことに
途方もなく恥じ入る。


この国の景色はとても好きだ、と
わたしはいつも答える。
なんでこんなに長く居るのですか?とよく聞かれるから
それなりに満足してもらえる答えを用意していた。
それは本当だ。
ただ、人は、と訊かれたら
手放しに好きだと云えるほど、楽な仕事もしていない。

だけれども、そのせいで
ぐっと歯をくいしばるのが精一杯な自分を
どうしたらいいのか分からずに居た。
自分に足りないものは、分かっている。

もっともっと、愛情があっていいのだろう、と
傾く日に影を濃くした
白や緑の丘を眺めながら、帰った。


家に帰ってから、しばらく静かに、混乱した。

とりあえず、いい音楽でも聴こうと、高木正勝を聴く。
自動再生をしていたら、以前観た映画のサントラにあたる。








たぶん、こういう感覚が、必要なんだな、と
とてつもない説得力で、説き伏せられる。