先月末から今月頭、
祭日の少ないヨルダンで珍しく
独立記念日やらアラブ革命100周年やらで
随分とにぎわっていた。
アンマンに住み始めて、そろそろ6年目になる。
アラブ革命100周年記念の花火がアンマン中で打ち上げられていた。
今まで一番立派な花火を
新しいフラットで鑑賞した。
アンマンでの最初の住居は
スウェーレヘというアンマンの北西の地域だった。
夏でも涼しく、冬はそこだけたっぷり雪が降るような
標高の高いところだった。
縦長のフラットは北と南に面していて
季節で使う部屋を変えていた。
そうしないと、暑くて寒いからだ。
世帯用のアパートメントがほとんどのこの国では
フラットの部屋数だけは、多い。
仕事が変わってからは
アンマンの中腹の高級住宅街を2転して
ジャバルアンマンにやってきた。
ジャバルアンマンで初めて住んだフラットは
全面ガラス張りで、眺めはとてもいいけれど
建物の上の階のカフェがうるさかった。
そこで、近所の静かな建物に移った。
いいフラットだった。
ただ、これもまた縦長の作りのすべてが北を向いていて
お陽さまを拝むことができなかった。
同じ敷地の違う建物の屋上に、小さな小屋が建った。
元々は、ガードが二人、別々に住んでいたブロック作りの小部屋が
それぞれ拡張されて2階建てになって、
変な具合に、屋上に二つ、小屋が建った。
屋上に住むのが夢だった。
上から、街を見下ろす。
どこか、世の中から置いてかれたような
人の姿や暮らしを、
世の中を俯瞰するような、屋上という場所。
でも、その小屋は確かに、
北側には街を眺める景色が広がっているけれど
南側は、アンマンでも随一の目抜き通りと同じ高さだった。
丘ばかりでできたアンマンの罠だ。
俯瞰するつもり、空を仰ぐつもりだったのに、
その姿を人に見られかねないということになる。
何とも、滑稽ですらある。
そんなことは分かっているのに
結局、我慢できずに、引っ越す。
周囲には引っ越しを反対する人たちも居た。
暑くて、寒いに決まっている、
屋上までエレベーターもないのに、大変に違いない、と。
でも、人の忠告に耳を貸すような人間ならば
たぶん、そもそも今、アンマンに居ないだろう。
既に、夏を迎えたアンマンの屋上の家は、暑い。
でも、日が差し込む部屋は、明るい。
冬の寒さをどうするかは、
また冬なったら、考えることにしよう。