2016/01/26

分数の割り算ができない子の行く末


雪が降る、というとヨルダンでは大騒ぎになる。
今週はずっと天気がぐずついていて、
早速事業の日程を振替にしてみたり、調整を余儀なくされる。

仕事のことを考えたら

もちろん天気がよくて、
すべてが予定した通りに動いてくれる方がありがたいのだけれど
心のどこかでは
雪の静かな一日を、楽しみにしていた。

あのアルバムを聴こうか、このアルバムにしようか

勝手に選曲をしていたのだけれど
残念ながら
アンマン城が見えるジャバルアンマンは
標高が低くて、雪が今回、ほとんど降らず
一日中、雪見をしながらぼうっとする、という訳にはいかなかった。

それでも家は寒くて

預かりものの猫たちは
私の身体の一部を枕にしながら
ずっと寝ている。

棚からぼたもち休暇を期待していたのだけれど
すっかり期待はずれになってしまった。
それがなんだか悔しくて
今週は家に戻って一息つくと、
寝ている猫を起こしてはいけないから、といいわけしつつ
いただいたデータから
ひとりジブリ祭をしていた。

ヨルダンに来て初めての夏の暑い夜に

ワインを飲みながら見ていたら
ワインがこぼれてパソコンが壊れて
豚もお酒もハラームだからか、、、、と身をもって思い知らされた
苦い思い出の怨念と後悔の紅の豚を何度も見る。

昔は、ジーナって素敵だな、と思っていたのに

今回、飛ばない豚はただの豚さ、という台詞を
心底かっこいいな、と思い
いつまでこういうものに憧れているのだろう、と
自分に呆れながら、台詞をつぶやいてみる。

ナウシカともののけ姫のストーリー展開は
随分似ていることを発見して、
やはり神髄は漫画だな、と
大学生の頃に徹夜して読破した
ナウシカの漫画が読みたくなった。

ラピュタのほろびの言葉は

なんだかやっぱり口に出してはいけない気がするし
ドーラ船長のロブスターの食べっぷりは
何度見てもうらやましい。

ハウルの中に出てくる帽子屋の仕事場は魅力的で

初めてこの映画を見たときには
いつかこうやって、
何か見にまとうものの職人になりたい、などと
ぼんやり思っていたのを思い出した。
それから、倍賞千恵子の声が好きだ。

千と千尋の電車のシーンを見ると

いつも、昔読んだ絵本の「まっくら森」を思い出す。

耳をすませばを初めて見たのは

金曜ロードショウで
その頃高校2年生だったから
年下の映画だな、などと思って見始めたのに
話がうまく書けなくてもがく雫と何かが重なって
ものすごい泣いた、電気をつけていない
建て替え前の家のテレビのある部屋の様子が
鮮明に見えた。


いい年の大人が、

よなよなよくもこれだけ見たものだ。


最後に、おもひでぽろぽろを

はじめて真面目に、見た。


主人公は27歳だから、もうすっかり私の方が歳を取っている。


時代設定も一昔前の年代なのだけれども

年上の姉からのお下がりにだだをこねたてみた
学級会で周りの様子をうかがっていたり
生理の授業のあとで何ともいえず戸惑ったり
学芸会で冴えない役を必死に工夫してみたり
作文だけちょっとできたり
5年生の頃を回想シーンのどれもが
一つ一つ自分とよく似ていて
もう、おそろしいほどだった。


最後の、転校して来たアベ君の記憶と

田舎暮らしを気軽に楽しんでしまったことに
どこか偽った気持ちを
自分で見透かしてしまったと感じる場面にも
また、あぁ、と心突かれる。

エンディングで、自分の気持ちに素直になった主人公を尻目に
いつまでも、見透かしている自分に
云い訳をすることばかりを覚えてしまって
でも、もうこの歳では仕方あるまい、と
歳のせいにしたりしている。



ジブリの映画を定期的に見ていると

見たときのことがどんどんと重なっていって
膨大な記憶が蘇ってくる。

でも、今回最後の映画で

一人静かに、動揺してしまったのは
もっと昔の記憶がやってきて
それが物語についての記憶ではなく
自分自身の記憶だったことのようだ。


分数の割り算のわけがわからなくて
頭の中でいくらリンゴを切り分けても
どうしても答えに辿りつけなかった記憶も
見事に、酷似していた。
分数の割り算の仕組みが気になってしまった子どもは
素直にすくすくとは育たない、というシーンに
文字通り頭を抱える。

肘枕をしていた猫が不意打ちをくらい
うう、っとうなる。



ドーラ船長のように早く走れて

ピッコロ社のばあちゃんのように元気に働き
ニシンとかぼちゃのパイがうまく焼けて
銭婆のように懐深い
地球屋の西主人みたいな
おばあさんになりたい。