2015/11/26

彼らの話と暮らしの、断片 11月3週目

3週は日本からの訪問者が一緒だった。
保健分野の人たちだったので自然と質問の内容が変わってくる。
今まできちんと聞いてこなかったことが多くて勉強になった。

ただ、正直、あまりシリアの人たちの話を集中して聞くことができなかった。

そもそも、よほどきちんと耳を傾けていないと
語彙の限られている私のアラビア語では
話についていけない。
話についていけなくなる感覚は、
小さな頃、大人の話の輪に連れられてしまった時に似ている。
どうしたらいいのか分からないし、でも話の腰は折れないし、で
仕方ない、話している人の口や身振りを一生懸命観察したりする。
そのうち、また内容が分かるようになってきて
やっとメモも取れるようになる。


ここのところ天気が安定していて
すっかり冷えてはきたものの、青い空が戻ってきている。
ただ、どうしたって建物の中の方が冷えるので
暖かい日など特に、暗い北側の部屋の寒さは
通り雨のアンマンで、マンホールから道路に漏れる濁った汚水のように
じわじわと身体の奥底まで染みてゆく。

3週目 2件目:North Marka

家の近くで車が止まると、坂の中腹にあるアパートの階段の踊り場に
目立つピンクの服を着た女の子が立っていた。
おじいさんらしき人が一緒に踊り場まで出て来て
こちらを見ている。

最上階の部屋の入り口の脇は
きっとガラス張りのベランダだった。
けれども、そこには使わなくなったベッドマットや
家具の断片がばらばらと置いてあって
倉庫のようになっている。
居間に通される。
居間は多くの家庭と同じように、調度品が一通り揃っている。
質には上下があるけれど
だいたいの家には、ソファのセットと小さなテーブルが何脚かある。

こちらと向かい合わせに座ったお母さんは
極端に声が小さくて、高い。
さっきのピンクの服を着た子から一番上の娘で
歳にして19歳離れていた。
一番下の子はヨルダンで出産している。
一番上の娘はもう学校に往く歳でもなくて
家で家事を手伝っている。

娘の顔は少しきつめなのだけれど
細い黒い目で、こちらをしっかりと見定めながら話をする。
お父さんはホムスで家具に張る布を織る仕事をしていたという。
きちんと、縦横の糸を通して作る、伝統的な織の職人のようだった。
初め、スタッフも言葉がわからず困っていて
私も身振り手振りで当てようとすると、
やっと少し、一番上の娘がふっと、笑う。

このアパートで5件目、引っ越しを繰り返して来た。
ずっとこの地域にはいるのだけれど
坂が多くて、リウマチもひどい。
中学生ほどの女の子もリウマチで
薬ももらえないので困っている。

この日の家庭訪問で
随分遠くにある保健センターまで
セルビスやらタクシーやらを使いながら通っている家ばかりだということがわかる。
でも結局、遠すぎて継続的には通えなくて
薬も治療も、おざなりにことがほとんどのようだった。

息子は17歳、この家族で1人だけの稼ぎ頭で
プラスティック加工の工場で働いている。
朝9時から夜11時まで、14時間労働だ。

息子が居てくれてよかったのだけど
もう学校には通わせられないんです。
そう、お母さんは小さな細い声のまま、うつむいた。


3件目:North Marka

くねくねと道を曲がると
時々、車も入れないような小さな道が
大きな通りから伸びているのが見える。
坂ばかりだから、下に降りるか、上にのぼるか。
上に伸びている道を見上げると
小さな女の子がふたり、ぱたぱたと小走りで道の途中までやってくるのが見えた。

袋小路の脇には、3階建てのアパートがそこだけ
くしゃっと、3棟集まっていた。
それこそ、戦後の平屋通りのどん詰まりのようなところで
家の小さなベランダで
ものすごく太った女の子が
お人形遊びをしていた。
集まった建物の間が小さな広場になっていて
2歳から4歳ぐらいまでの
随分小さな子たちが6、7人、ただただ走り回っている。

こんな情景も、そういえば珍しかった。
外で遊ぶ場所がないし、車の通りも激しいので
庭付きの家にでも住まない限り
こういう遊びはできない。
バカアキャンプの中には、袋小路の道がたくさんあって
子どもたちがボールを追いかけて走り回っていたのだけれど。

アパートに一歩足を踏み入れると
漂白剤と薬品が混じったような
つんとした匂いがする。
ドアもきちんとついていないような
作りかけなのか、壊れかけなのか分からないような建物だった。

訪れた家には息子が2人、娘が2人
息子の1人は中学1年生のはずだけれど
学校が怖くて、もう往けないという。
娘のうちの1人は、くすりとも笑わず
狭い部屋の、きっと寝具にもなっているのだろうマットの上で
ただこちらの様子を見ていた。

お母さんはこちらの娘に対しての質問に
なんとか答えさせようとするのだけれど
頑として、口を開かない。
いやぁよね、ほんと、この子学校がきらいなのよ。

学校ではどんなことをするのが好き?
ワラ イシー
なんにもない、ぼそっと云う。
じゃあ、きらいなことは?
膝を抱えたまま、その質問にも、答えなかった。

ちょうど学校に往く時間が近づいていて
お母さんは下の娘の髪を結いながら
私たちの質問に答える。
下の娘はどちらかというと、屈託ない感じの子で
髪を引っぱられて、うぅ、と小さな声を出しながら
それでも楽しそうに、結い終わるのをじっと待っていた。

狭い部屋なのに、部屋の天井にほど近いところに
鳥かごが二つ並んでいて
文鳥とそれにサイズの似た黄色と赤色の鳥が居た。
帰りがけに、かわいいわね、というと
上の娘が、そうでしょ、と
でもやはり笑わずに、鳥を見上げていた。







2015/11/18

彼らの話と暮らしの、断片 11月2週目


アンマンは珍しく、天気の悪い日が続いた。
丘から流れてくる水は川になって、
ワディと呼ばれる谷間に集まってくる。

出かけるときには晴れ間が見えていたのに
西の空が真っ黒になってきて
見る間に黒い雲が空を覆っていった。

こちらの天気は、こちらの人たちの気性に、少し似ている。
とても、分かりやすい。

この日の訪問先はアンマンの中心部から少し南西にずれたところにある、一つの丘。
どの道の間からも、アンマンの街並みが俯瞰の視点で見ることができる。


1件目:Hai Nazzar

家の前まで往くと、窓からヒジャーブを被っていない女の人が

窓からこちらを確認してあわてて、部屋の中に入っていった。
部屋にお邪魔をすると、そこには随分と立派なシャンデリアがあって
花の形をしたテーブルセットがあった。
部屋の壁にも金色の模様が乗っていて
なんだかどこかのクラブみたいな雰囲気だ。

ここに来たのはつい最近で、

それまで住んでいたところでは、近所との折り合いが悪かった。
それに水漏れもするから、住みづらくて移って来たらしい。

お母さんは、随分きれいにお化粧をしていて

聞けばヨルダン人だという。
お父さんはシリア人で、家族一緒にアレッポに住んでいた。
なかなか豪快な感じのあるお母さんで
おもしろおかしく、お話をする。
いいことも悪いことも、同じようなトーンで話していた。

この地域はよくない若者がたくさん居て

どの通りもそういう人たちで溢れているから、怖くていやだ、と
娘がやってきて云う。

そういわれてみると、確かに

家への道のりに、まだ下校時間ではないのに
ぶらぶらしている若者がたくさん居た。
この丘に住んでいるスタッフが同行していて、
みんなぶらぶらしていて、目が合っただけでけんかを始めたりするんだ、と云う。
シリア人とヨルダン人だけのけんかではなくて、
ヨルダン人同士でも、よくけんかしているよ、と
当たり前のように、教えてくれた。

きらきらの部屋には窓がない。

奥の扉からは、窓からの弱い光に白くぼんやりとしたキッチンが見えた。
そこから8歳ぐらいの女の子がでてきて、こちらをじっと見ている。
韓国ドラマが好きなのよ、とお母さんは云って
ほら、挨拶しなさいよ、と女の子をせかしていた。
女の子はにこりともせず、
ただただこちらをじっと、見ていた。


3件目:Hai Nazaar


丘の側面には急なところもあり、

そんなところに建てられた家々は
岩場にしがみつく貝類のように、見える。
そんな中の一件は、住人が勝手に作ったのであろう階段が
随分と急な勾配で上に伸びていて
その上に、アパートの基礎が見えてくるような、随分と急な作りだ。
迎えに来た男の子は、リズムよく軽々と階段を上ってゆく。
遅れまいとついてゆくが、よほど身体が慣れていなければ、きつい階段だった。

部屋は最上階にあった。
入り口からすぐにテラスがあって、窓付きのテラスからは
2サークルの裏がきれいに見えた。
ちょうど、同じぐらいの高さなのだろう。

プラスティックの椅子を勧められる。
お母さんも男の子も立ったまま、
質問に答えてくれた。
奥で私たちの様子を見ていた女の子は
本来ならばプログラムの対象者だった。
けれども、彼女は往きたがらない。
交通費も高いし、勉強はあんまり好きじゃないの、
とはにかみながら云う。
バスも出ているし、勉強は本当に大事ですよ、と
スタッフが説得しようとする。

学校で好きなことは?と訊くと、
家庭科が好きで、家庭科の先生も好き、と柔らかく微笑む。
学校でいやなことは?という質問に
ある女の子の名前を出した。
シリア人で午後シフトに通うその女の子が苦手で苦手で
だからあまり、学校も好きではないようだ。
好きではない女の子の名前が
未来を見ることのできる伝説の女性の名前で、
聞き慣れた名前がなんだか、おかしかった。

理由がそれならば、と
お母さんも一緒になって説得にかかる。
わかった、今度の土曜日は往ってみる、と
しぶしぶうなづいた。

立って話をするお母さんの下には
真っ赤なフリースを着た2歳過ぎの男の子が
もじもじしている。
その二人に対峙する場所には、迎えに来てくれた男の子が居て
まだ7歳なのに、青い目で家族の様子をしっかりと、見守っているように、みえた。


4件目:Hay Nazzar


建物の一階にあるホブズ屋から
吹き抜けになった階段に、焼きたてのホブズの香りが立ちのぼってゆく。
家に入ると顔立ちの美しいお母さんが迎えてくれた。
角に当たるようで、通された部屋はいびつな5角形の部屋だった。
西に向かった窓の外では
黒い雲がぽつぽつと、大粒の雨を降らせ始めていた。

お母さんにの女の子はお母さんの横に座ってじっと
話を聞いている。
夫はムスタシュヒドゥで亡くなった、という。
今日2回目のその単語の意味がわからない。
つい怪訝な顔をすると、スタッフもどう説明したらいいのかわからず
後でね、と云って、次の質問を続けた。

一番上の娘は成績がよかったから、支援をもらってタウジーヒ用の塾に通えているらしい。

初めは静かな口調で話していたお母さんも
だんだんと早口になってきて
私たちに慣れてくれたのか、いろいろと話をしてくれていた。

HCRの登録証を見ると
お母さんは私の2歳年上だった。
子どもが6人居て、旦那が亡くなって、ヨルダンに逃げて来て
クーポンだけで3年間なんとか、暮らしているという、女の人、となる。
そんな人たちに、もうたくさん会ってしまった。

5角形の部屋から見える玄関から
身体の大きな男の子が入って来た。
シューローネッチュ
息子で14歳、たっぷり太っている。
歩き方がおかしかったのでつい、足下を見ると
右足の土踏まずがえぐられていた。
ダラーにまだ居るとき、負った傷だと云う。
外からやってきたのに裸足だった。


家を出て車に乗ると
さっきの家の女の子と男の子が
西の窓から身を乗り出して
腕をつきだして、雨を確認している。
にこにこしながら話をしつつ、空を二人で見つめていた。

ムスタシュヒドゥの語根はシャハダ
活用の中には殉教と云う意味があるけれど、おそらくは
元一般市民で戦争に戦いに出た人のことを云うようだ。

きれいな奥さんと6人の子どもが居ても
戦いに出る。
きっと亡くなった人は、その後家族がどのような暮らしをしていくことになるかまでは
想像する余裕がなかっただろう。


5件目:Hay Nazzar

気がついたら道には立派な川ができていて
ここら辺だろうと車を止めたら
バックをして出てくるトラックに当たられる。
話し合いは長くなりそうだから
とりあえず外に出て、迎えにくる女の子を待つことにした。
通りの向こうに女の子の姿を見て
道を渡ろうとすると、あっという間に靴がぐしょぐしょになった。

女の子は空き地をすたすたと横切り
塀の一カ所だけ壊れたところから、短い階段を降りていった。

部屋は半地下のようなところで
電気が暗く光っていた。

お母さんの後ろで
二人の娘が寄り添うように立っていた。
家賃が高いから引っ越して来たのだけれど、と
水漏れもひどいし、と話を始めて少ししたところで、
お母さんは泣き出す。

近所のまだ大きくない子どもたちが
半地下の家の窓をたたいたり、
外から石や野菜を投げ込んでくる。
注意をしても止めない。
ついにお父さんが怒って、準備した食事を全部床に投げ捨ててしまった。

外にではなく、内にしか出せない怒りが
お母さんを泣かせる。

娘が二人、じっとお母さんの話に耳を傾けながら
私の顔を見ている。

しばらくして、娘の一人がティッシュを持ってくる。
でも、渡すタイミングを失ってしまったのか
膝の上で丁寧に、ティッシュを畳んでは開き
また畳む。


ここの地域の学校では
家庭科の先生が子どもたちの信頼を得ているようだった。
学校の様子を訊き始めたころから
お母さんの表情も少し、柔らかくなってきた。


半地下の家に暮らすシリア人家庭は多い。
家によってそれぞれだけれども
たくさんの人の下に住む、ということそのものに
何か、拭いきれず重いものを感じることがある。

家を出るときに、濡れてしまった靴にもう一度足を入れながら
振り返ってまた、暗い電球の下で見送る
お母さんと娘たちに、お礼を云った。


2015/11/06

彼らの話と暮らしの、断片 11月1週目


 その日に往く地域は、
 過去にも何度か家庭訪問をしたことのあるところだった。
 余計なお世話かもしれないが、
 その地域は、アンマン中心部にほど近い新興住宅地なので
 多くの建物が新しく、見るからに高そうでなのだ。

 どうしてここを敢えて選んで住んでいるのだろう、という疑問。

 過去の訪問でお世話になったお宅は
 皆、親族が先にここへ移って来ていたから
 自分たちもこの土地に決めた、と云っていた。

 親族の中で最初にここを選んだ家庭には
 まだ会ったことがない。

 新興住宅地という場所には、盲点みたいところがある。
 大きなアパートメントが乱立している、その裏には
 広大な空き地が広がっていたり、
 一画だけ小さな家がくしゃっと集まっていたりする。
 大通りから路地を何度も曲がらないと、見つからない。


 1件目: Tabarboor

 高台の端には、南に向いた日当りのいい土地に
 平屋の小さな家が、2件並んでいた。
 ちょうど、日本で私が借りていた家に似ていた。
 一昔前、日本の郊外にもあった
 台所も入れて2、3室しか部屋のない、賃貸用の平屋みたいな雰囲気だ。
 
 縦長の家に縦長の庭があって
 そこには、オリーブの木が植えてあった。
 トタンの庇の下にはぱらぱらと並んでいるのかそうでないのか分からない感じで
 サイズの違う靴があった。

 通された部屋には、マットとござが敷いてある。
 どこかで見たことがある、と少しだけ気になっていたけれど、
 キャンプから出て来たときに、一緒にもって出たという下りで、合点がいく。
 今まで伺った家でも、見たことがあった。

 お話をしてくれるお父さんは、
 どこか、視線や話し方の奥に、恐ろしくまっすぐな感じのある人で、
 きれいに切りそろえられた髭とあいまって
 例えば、先生とか弁護士の話を聞いているような気になってくる。
 難民登録証を見ると、家長が奥さんになっていた。
 聞けば軍隊で働いていたから、自分の名前で登録されることによる
 様々な支障を避けている、とのことだった。

 お父さんの持っている雰囲気にも、どこかで納得がいった。

 一つの質問に、丁寧に答えてくれる。
 こちらが少し突っ込んだ質問をすると、
 子どもや家族、また家族が関係しているあらゆる人たちとの間で
 問題になったり、傷ついたり、傷つけられたりしないように、
 表現に気をつけて、言葉を尽くしている感じがした。

 平日の授業の数学の先生はよくない、
 ただただ黒板に解き方を書いているだけで
 生徒に理解させよう、という気がないんだ。
 でもね、例えば英語の先生は本当にすばらしいんだ、
 だから、一概には悪い悪い、って云えないですよね。

 学校に往って、校長と話したこともあるよ、
 でも、具体的に誰がどう、という話はしづらいですよね。

 でも、家族と関係がない、もしくは作れない人たちの話をするとき、
 目がきっと、鋭くなる。
 娘が準備した書類を持って学校に登録しようとしたのだけれど
 門前払いだよ、シリア人だから、って。
 

 奥さんが来て、知らぬ間に準備してくれていたコーヒーの乗ったお盆を差し出してくださる。
 目尻の下がった、顔のパーツがみんな丸っこい奥さんは
 お父さんの少し後ろに座り、
 いつでも高校生の娘が、部屋を覗くと一生懸命勉強している、
 と誇らしそうに云った。

 家を出るとき、門の外まで見送ってくれた。
 最後まで、きちんとしたお父さんだった。



 2件目: Tabarboor

 1件目を後にして車に乗り、高台を降りて地域の中心に戻る。
 2件目の人に電話で場所を説明してもらいながら走っていると、
 何度も何度もぐるぐる同じ道を回っていることになるのだった。
 最後には電話の主のお父さんが、迎えに来てくれた。
 そして、お父さんを乗せて往った先は
 1件目と全く同じ場所だった。
 確かに名字は一緒だった、けれど近所に住んでいると思っていた。

 平屋のうち、奥にあるもう1件が、その訪問先だった。
 1件目のお父さんよりも、
 より愛嬌があって話好きで、随分と楽しそうに
 眉毛とほほと口元を上下に上げ下げしながら
 目力を変えながら、お話をしてくれた。
 本当に、目を見開いたり、目を細めたりすると
 目にも話にも強弱が出るのだ。

 玄関から入ってすぐの居間には
 1件目と同じマットが置かれていた。
 やはりキャンプから出るときに、持って出たとのこと。

 足の腱がが傷ついているのか、と足首をさすっている。
 特に冬になると、冷えて痛みが増す。
 病院リストを見ながら、一番近くて
 診療内容も適切な病院を探す。
 実のところ、持っているリストの医療の種類にはバリエーションがなくて
 しかも本当に適切なのかどうか、はっきりとは分からない。
 それでも、2つ丘を越えたあたりの病院を紹介した。

 医療費と薬代は、どうなんですか?
 薬はないと辛いし、薬代は高い、
 往って薬を買えずに帰ってくるっていうのは、
 交通費がもったいないし。

 まだまだ、こちらできちんと調べなくてはならないことが
 情報を共有する前に、たくさんある。

 キッチンに通じる入り口の脇で
 2、3歳の小さな女の子がこちらをじっと見ていた。
 ちょうど、こちらの小学生の女の子たちが好きな
 ドラというキャラクターにそっくりな
 おかっぱと大きな目だった。
 でも、ドラのように黒目に黒髪ではなくて、
 青い目に濃いめの亜麻色の髪、
 どうしても口元がきっちり閉まらないのか、
 開いた口に時々指をいれながら、
 興味津々そうに視線を私に定めていた。
 
 お母さんが居間に入って来たのと一緒に
 その子も走りながらやってきて、お父さんの腕にからまりながら、
 こちらを見ている。

 時々、こちらで云われる言葉を、またここでも聞くことになる。
 この子持って日本にいってくださいよ。
 お父さんがそういうと、その子はよくわからないからか
 きゃっきゃ、と笑う。
 どうして?ど訊きたかったけれど、
 訊いてみて、例えば
 日本はいいところだろ、とか勉強できるだろ、とか
 もしお父さんが真剣に云って来たら、どうしよう。

 こんな小さいのだから、家族一緒が一番ですよ、とか
 日本に1人でついて来たって、言葉もわからないし大変なだけですよ、とか
 勝手に、会話のパターンをアラビア語で想像する。
 
 ホディ ハー イル ヤバーン
 何度も云われると、もう、冗談なのか本気なのか分からない。
 彼らの生活が本当にきついのならば、
 家族一緒とか、言葉がどうのとか、それほど重大な問題ではないのだろう。
 
 そんなことを考えていたら、
 お父さんがその子をぎゅっと抱きしめてさらさらの髪に、自分の顔を埋めていた。
 きゃっきゃと笑うその子の様子に
 何を私は勝手に考えているんだろう、とばからしくなった。


 
 3件目:Tabarboor


 1階にテナントの入ったアパートの最上階まで
 もう制服をきて学校へ往く準備を整えた男の子が
 連れて往ってくれた。

 こちらには、扉式のエレベーターがまだ結構残っている。
 エレベーターに扉がついていて
 その奥にもう一つ、普通のエレベーターの自動開閉のドアがあるタイプだ。
 扉が二つある意味も分からないし、閉塞感がより、増す。
 個人的に嫌いだと思っていたけれど、現地のスタッフもいやがった。
 帰りは階段を使おうね、と云い合いながら、しぶしぶ乗って上に往く。

 質素だけれどきれいに保たれた調度品のある居間で
 女の子二人、お父さん、お母さん、男の子が
 4方に置かれたソファの上に均等に感覚を空けて座っている。
 それぞれが、私たちの顔をきちんと見て話ができるところに居るのだ。

 子どもは4人、さっき迎えに来てくれた子は
 唯一の男の子で、4年生だった。
 ホムスでドゥッキャーン(小さいけれど何でも揃っている日用雑貨店)をしていたというお父さんは
 手足が極端に短くて、おそらく身体的に支障がある人だった。

 だからなのか、その男の子をはじめ
 家に居た他の女の子二人もとてもしっかりしていた。
 男の子には、この家を守るという意識がもう、しっかりと芽生えている。

 とにかく記憶力のいい子で
 1度か2度しか往ったことのない、うちのスタッフの名前までも
 1人1人覚えていた。
 どんなアクティビティをしたか、とかどんなことが楽しかったか、とか。
 
 どんなことが好きか、趣味はなにか、という質問に
 サッカーは苦手なんです、と生真面目そうに男の子は答える。
 こういう子が日本にも居たな、と思い出す。
 絵を描くのが好きです、と。
 
 女の子のうちの1人は、やっているプログラムからあぶれてしまった。
 風邪でしばらく休んでいたら、登録の機会を逃してしまった、とのことだった。
 その経緯を、一つ一つ、順序立てて話していく。
 5年生のその女の子も、詳細をとてもよく覚えていて、
 面接でもしているかのように、背筋を伸ばして
 床から浮いてしまった足をぶらぶらさせるでもなく、
 膝に手を置いて、親の助けを借りずに説明をしきった。

 学校担当のスタッフから、登録が可能かどうか連絡をする、
 そういうと、随分とうれしそうな顔をした。
 
 配布したバッグの使い道を訊いてみたら、
 男の子は真剣な顔で
 すぐダメになってしまわないように、土曜日だけ使っています、と答えた。

 本当に礼儀正しい子どもたちだったねぇ、
 車に乗りがてら、スタッフと感心ししあった。
 でも、個人的には、あの歳で気苦労が多そうで、
 子どもらしいところが見えなかったことが
 少し心残りだった。