2010/12/24

よく音を聴く




毎朝、最近はグレン・グールドのバッハやハイドンを聴いている

小さな頃、よく休みの朝に
父親と一緒に喫茶店へ往った
その時にきっと
バッハのプレリュードやイングリッシュスーツは
店の中でずっと流れていたような気がする
よく分からないけれど
とにかくずっと、弾いている
切れ目なく流れる音を
それこそするすると聴き流していた

毎朝聴けばそれなりに
音が身体に入ってきて
終止音へ向かう音の連なりのおもしろさや美しさのようなものが
分かってきたような気がする

新しい洋楽を手に入れることはできないから
自然とクラシックのCDばかりを手に入れてきた
耳がようやく
本当に楽しむことに、慣れてきた

グレン・グールドの演奏の何が
例えば独創的だったりするのかは
未だに聴き比べるところまでいかないせいで
分からないけれど
均等のとれた情熱があって
不思議な気持ちになる

また、ブラームスの交響曲の2番も
DVDでよく聴いている
1楽章目のメロディーが好きで
その部分を
バーンスタインが簡単なアナリーゼをした
映像もついてる

バーンスタインがピアノに向かって
そのメロディーと和音を簡単にさらっている
そのあまりにさらりと
でも味わいながら弾いている姿に
ピアノという楽器の魔法のようなものを
見た気がした

今年の音楽は
どうもクラシック一辺倒のようだったが
新しい耳を手に入れたようで
一つの大切な財産になった

写真は、今年よく通った
ホーチミンのオペラハウス
二日通ったシューマンのピアノコンチェルトの舞台で
2階のすみっこの
2つしかない席から


2010/12/19

児童書の楽しみ

岩波の出している児童書に
実は小さな頃は、手を出したことがなかった
そんなお行儀のいい感じの子どもではなかったし
どれもこれも
たぶん教訓めいていて
つまらないだろうと
勝手に思っていた

あるバザーで
そろそろ終わりに近づいた頃
1冊の値段で
もう1冊もらえることになった
たまたま手に取ったのが
「コウノトリと六人の子どもたち」だった
他に、そそる本がさっぱりなかったから
どちらかというと仕方なし
何としても持っていってほしい店員さんに
根負けしたようなものだった

表紙のカバーも取れてしまっていて
よれよれだった

読み始めの感触は
正直、あまりよくなかった
やはりどこかにお仕着せがましい言葉や
わざとらしい台詞が気になってしまった

ただ、こんな機会でもなければきっと
出会わなかった本だろう
モーリス・センダックの描く挿絵の
どこか懐かしい白黒の子どもたちに励まされるようにして
読み進めていった


幸せを運ぶコウノトリのつがいを村に呼ぼうと
巣に使う車輪探しをしてゆくうちに
今までは話したこともなかった村の人たちと
仲良くなり
みなで力を合わせて車輪を手に入れる、というお話

6人の子どもたちと先生
そして、錫屋のおじさんやら
93歳のおじいちゃんやら
知りたがりのおばあちゃんやら
足のない意地悪なおじさんやら
個性的なキャラクターの人々と
子どもとの関わりが面白い

マインダード・ディヤングという著者は
アメリカに移住してこの作品で
ニューベリー賞を取っているけれど
本当はオランダの出身で
オランダの漁村に住む人々の様子が
生き生きと描かれている

また、どうもはじめにまどろっこしいと思った書き回しは
この著者の癖のようなもののようで
この書き回しによって
堀の泥に埋まった鉄輪をいろんな方法で探したり
難破船の中にある車輪をどうやって引っ張り上げたかなどが
随分と詳細に書かれていたりした
それがきっと、子どもにも興味深いだろう

きっと子どもが好きだったに違いない
子どものしそうなことが
よく描かれていて
それだけでも心躍った

いつかまた、
こんなふうに本と出会う時を
楽しみにしていたい


2010/12/12

当たり前で難しいこと


この週末は仕事で
いろいろと面倒なことが起きて
久しぶりにものすごく腹を立てた

腹を立てるのには相手がいて
もちろん自分についても落ち度があれば
自分にも腹が立つ

そしてすっかり疲れてしまった
でも、どうしたらいいのか
賢明な判断をしたいとも思った

愚痴を云うのは簡単だけど
そこに、解決の糸口がなければ
ただの悪口や不満だけで終わってしまう

そうならないためには
自分一人で納得を持って決めていかなくてはいけないことがあって
それだけの聡明さがなくて
難しいものだ、とぐるぐる思いが巡った

仕事のことだから
きっとそれは
ものを作る方の仕事にも云えることなのだけど
何かや誰かに対する
誠実さがなくては
仕事を続ける意味や意義を見失う

誠意を見せたり
誠実さに執心して仕事をするのは、実は難しい

他人に対してそれを要求するより前に
自分がそれをできているのか
自問しなくてはならない

果たして、できているのか
見せていけるのか
あらためて考えさせられる機会を、得た