犬山は桜がもう、八分咲きで
私のあまり好きではない季節がやってきました
いつも見送るばかりだったこの季節
出て往ってしまう人を、寂しく、恨めしく、見送っていました。
それが、この春初めて自分が、見送られて
こんなに気忙しく
それなのに
こんなに思いに囚われて
こんなに寂しく
こんなに尾を引くものかと
初めて、知りました
離れる土地でお世話になった方々
本当に、ありがとうございます。
最後の最後までお世話になったお店で思ったことについて、少し。
前のところでも書きましたが
しばらく、自分の居場所について考えていました。
なんだか青臭いことなのですが
単純に、つくばを離れることになって
単純に、つくばという場所について
ぼんやり考えていたから、でした。
18歳までの犬山と
18歳から29歳までのつくばでは
長さに関係なく、全く重みも経験も違う。
だから、いつの間にか私のいる場所はつくばになっていました。
居るべき場所なのかどうかは、ずっと疑問のままでしたが。
例えば実家から、疲れ果てて高速バスに乗って
大きな通りの真っ直ぐな並木を見ながら
ああ、つくばにやっと帰ってきた
そう、思っている自分がいました。
風景のこと。
正直、来たばかりの頃は、この殺風景な風景に
気がおかしくなるのではないか、
そう思っていました。
それが、見るだけで落ち着く、
私のあらたな原風景に、なりつつあったように思います。
それから、居場所のこと。
居場所は、でも、
自分がそこに居るだけではできない。
自分がそこに居ることを、みとめてくれる
自分がそこに居ることを、当たり前にしてくれる
周りの人たちがなくてはいけないように思います。
そのためには、よく、話さなくてはならない。
よく話して、よく聞かなくてはならない。
ならない、と書いたけれど、
本当は、それが一番楽しいし、嬉しいこと
一人でも何とかやってくいけるのかもしれないけれど
だからといっていつも一人では、つらい
ふと、そう思ったときに
すぽ、っとはまる人と人の間があって
それが居場所のようなものだな、
そう、ぼんやりと、思いました。
とりとめもなく、申し訳ないけれど
何となく、そう云う気がしています。
私の居場所を作ってくださった方々に
本当に、感謝いたします。
また、次の場所で
私は居場所を作っていきます。
永久欠番は、きっとないでしょうから
今までの居場所の方々とも
遠方より、カンバセーション ピース
末永く、よろしくお願いいたします。