2008/12/27

今年の本とCD











すっかり年の瀬で、心だけが焦って何も手につかない毎日です。
連日夜が遅いので、朝早く目覚めても何となく疲れていたり。
この調子で掃除がきちんとできるのか心配です。
そう思うのなら、今やればいいのですが、
できないのが、どうも、ことの進まない原因のようです。


(外は強い風だし、空はすっきり晴れすぎているし、洗濯は終わらないし、、、、)



さて、今年印象に残った本とCDの紹介を。
といっても、正直なところ、例年よりもよほど読む本も聴くCDも、少なかった。
だから、数少ない選択肢の中から、ということになります。
心落ち着かなかったのか、単純に時間がなかったのか、
一人の時間が思っているよりも、不安に満ちていたのか。

まず、なんといっても本については、「芝生の復讐」
以前もちらりと紹介したブローディガンです。
ブローディガンの新しい本が読めるのもうれしかったし、
とても短い短編の一つ一つがブローディガンの思考の雫のようで、
いちいちおかしくて、いちいちたまらない喩で
何度読んでも、素敵でした。

それから、まだすべては読んでいないのですが
「記憶に残っていること」という短編集
これは新潮のクレストから出ている本のいい作品だけを
堀江敏幸が選んだものです。
なぜ途中かといえば、あまりにもどのはなしも余韻がありすぎて
どうも引きずるからです。
印象が強すぎる、でもそれだけ結晶のような
それぞれの作家のよさが詰まっているように思います。
ただでさえ、クレストは良いのに。

CDの方は、もともとあまり買わないので
本当に少なかった。

クラシックが意外に多かったように思います。
恥ずかしながら、昔聴いていたのになくしてしまったものを
もう一度買う、というケースが多かった。
手に入ってよかったのは、チャイコフスキーのヴァイオリンソナタ。
在学中に作業をしながら聴きすぎて
聴けなくなってしまったCDでした。

そしていまさらのジャニス。
突然サマータイムを聴きたくなって借りたライブ盤が、当然のようによかった。

アルバムの一番は、以前紹介したNick drakeです。
それから、これはあまり心からいい、とはいえないのだけど
レイチェル・ヤマガタの「ティース・シンキング・イントゥ・ハート」
一曲目の「エレファント」という曲だけ、何度も聴いていました。
声はいい。
アルバムとしては、テンポの早い曲はどことなく、ラブサイケデリコみたいな感じで
ことばを口にするときに、どんな小さな音でもタ行とカ行をきちんと発音するところが
好きです。

昨日、今年買い収めの一枚を手に入れました。
写真のCD、スウェーデン語で表記ができないので
気になる方は拡大してみてください。
女性の演奏するチェロ二本と男の人のボーカルで
現代宗教音楽、ペルトという人の作品を少し思い出すような
低いトランスに、トム・ヨークっぽい唄が乗っているという感じです。
かなり好き嫌いがあると思いますが、
私は気に入りました。

夏ごろによく聴いていたArcade Fireも
ジョギングのお供にいい感じ。
個人的には、以下のライブ盤映像で、この人達を気に入りました。
勝手に貼り付けました。

ただ、CDについては、

結局のところ、ずっと聴いているものを繰り返し聞いていた様に思います。
やっぱり、Jeff Buckleyが良いし、ピリスのショパンのピアノ協奏曲が良いし、
フォーレのレクイエムを私は聴くべきだ、などと思う。


来年も、素敵な本とCDと出会いますように。
それから、曲がきちんと聴ける、本がするする染みてくるような

いいコンディションでありますように。









2008/12/18

凝りすぎて




またまた、事後報告を。
まだ展示をしていますが、12月9日から28日まで
牛久にあるタカシサイトウギャラリーで
「Takashi Satioh Gallery チャリティーオークション2008」
に、出品させていただいています。

いつも、好き勝手に作っているのですが、
一応オークションだ、と思うと、
普段売れるものを作らないせいか、すっかり困ってしまって
結果として、凝りすぎました。


もっといろいろなアプローチができるかも知れない
そう思っていた本を、また違った形で作ることになりました。
以前にも載せた「三角の家」の、箱型家付きバージョンです。

無駄に銅箔などを貼ってしまっています。
そして、表紙には窓まで、つけてしまいました。
心ひそかに、売れなければいいな、と
思っています。
ギャラリーのホームページを


2008/12/09

cow books


どうも最近、いろいろな新しいものを把握する情報の網を
さっぱりはっていなかったせいで
例えばいい展示だったり、新しい本だったりを
全然網羅できていませんでした。

そんな時、友達からいただく情報はありがたい。
特に私の好みを知っている人。

そして、せっかく教えてもらったのに、時間がなかったり休日だったりで
伸びて伸びて、やっと昨日、
仕事帰りに往ってきたのが、本屋さんです。

古本を基本的には扱っているところですが、
その古本の選別が、私の好きな作家、もしくは気になっている作家ばかりで、
興奮のうちに、本棚を隅から隅まで、見て往くのでした。

ブローディガンの本が充実していました。
ここで、まだ書いていませんが、
ブローディガンは本当に大好きで、
何度も読んでいます。
でも、文庫で出ているものしか手に入らないから、読んだことがありませんでした。

見たことがない本、それから、気になっていたけれど会ったことのなかった本たちが
ずらりと並んでいました。
お店の方に聞いたところによると
ちょうど、以前ブローディガンを特集したそうで
そのときの名残で、まだ種類が充実している、とのこと。

でも、当然ですが、いい値段なのです。

ため息をつき、いつかきっと文庫になるさ、と
うつむくのでした。

お店の方は、ブローディガンを読みつくしていらして、
好きな文を空で覚えていらした。
文庫と単行本の翻訳の違いなど、
ずいぶんと突っ込んだところまでお話されていました。
まだまだ、私はもっているものを読み込んでいって、
楽しめるはずだ、そう思いました。


お店の方のお勧めで、岸田衿子の随筆を購入しました。
表紙や、少し目にした文面から
丁寧で細やかな視線とやさしさがにじんでくるようです。

2008/12/07

ものや、ひとの、纏う


雰囲気、ということばが小さいころは好きでした。
たぶん、母親が、あの人は雰囲気があるね、などと
どこか、素敵な人に、このことばを使っていたから、のような気がします。

大きくなって、ものをつくるようになると
どこかあいまいなこのことばが、
気になり始める。
たぶん、何かを作るときに
雰囲気ということばの実体のない感じが
実体のある、実物でしかない、もの、と
根本的に相容れない関係にある、という
どうしようもない事実と向き合うことになるからだと思います。

だから、雰囲気、ということばを使うとき
往々にして、逃げの姿勢だったり、
はっきりと云い様のないものに対する
あいまいな感想だったりするようになってしまう。
でも、使ってしまうのだけど。

ただ、ものが空気を纏うことは、当然ある。
それがあることによって
周囲の空気に変化が生まれる。
その周りの色が違って見えたり、
緊張感が出てきたり、
時には、音が聴こえてきたりする。

纏う、ということばは、何か身に着けるときのことばだから
やはり、周囲でしかない。
私は、それでも、その身体を包むような
肌の感覚を思い出させる語感が好きです。


もののなかには、でも
それがあることによって、
ある空間全体をがらりと変えてしまうこともある。
もちろん、その場合は見せ方、も重要になってくるし、
空間自体もとても大切になってくるのですが、

何かいいことばはないのかしら、
そうぼんやり思っています。

なぜかというと、
最近手に入れたカップが、そういうカップで
それから、そういう人、にも会った、からなのでした。
時々会うことのできる、そういう人、でした。


とりあえず、カップの写真を。