2018/06/04

道徳心とわたしたちを取り囲む、システム、のようなもの



以前一回読んだきりだった、この本の曖昧だった記憶の一つは、
いいにおいだった女性が、
刑務所に居るある時点から
ぶくぶくと太ってしまって、
何年ぶりかに会った女性からは
老人のにおいがした、という下り。

それから、ナチスに加担した罪に問われた
主人公の過去に愛した女性が、法廷で
「では、どうすればよかったんですか?」と
裁判官に訊くシーン。

どちらかというと愚直な女性がした問いかけは
どこもかしこも不利なばかりの裁判の中で
彼女が口した、混乱の果ての、心の底からの疑問だった。

ストーリーは、なんだかんだ云って、どこか究極的に情緒的で
それがこの本の売れた理由の一つなのだと思うのだけれど、
私の記憶の中の本の印象は
果てしない無力感の、重く灰色をした塊のようなものだった。

ナチスの作り上げたというシステムの中にいた女性は
彼女にとっては不条理な判決の中で
自分なりのプライドを守りたいばかりに、
逆らう気力を失い、その後も何かに、諦めるしかなかった。
最後のあがきは、自死することで、
それは、おそらく彼女なりに、
塊を払拭する方法だった。


もう一度久々に読んでみて、気がついたことは、
その灰色をした塊が
そこかしこに、実は、存在している、ということだった。
昔よりも社会というものを、
私もその一員として、ある程度
把握できるようになったからなのかもしれない。

与えられた仕事や与えられた立場に忠実であろうとした人が、
道徳心を封じ込める、もしくは失う場面は
どこの社会にも、ある。
ごくごく、人間として当たり前の、
最低限の倫理でさえ、
時として、失う状況がある。
ある程度まともな人ならば、その後、
ひどい後悔の中を生きることになる。

歳を取ってきて同時に、見えてくるものもある。

そういう人たちに、道徳観を問いただすのは、
実は当たり前のようで、酷なことだったりする。
あまりにもたくさんの背景と文脈があって、
誰ひとり、責められている当事者の、その詳細を
追いきれないことの方が、多いからだ。

なんでこんなことを考えているか、と云ったら
日本に居る時に気になっていたことと、このことに、
私の中で、随分ぼんやりとだけれど
接点ができたからだ。
とてもぼんやりだけれど。

日本に戻っている時、こちらの子どもたちの話をしながら
でも、云いながらふと、
相手の心がしゅぅっと、音を立てて閉じていく瞬間を
幾度か、感じた。
それは、ある意味、子どもたちの存在が遠すぎて
当たり前の話なのだけれど、
一体どこに、閉じさせるポイントがあるのだろうか、と
ごく客観的に、疑問に、思った。

人の良心は搾取してはいけない、というのが
私の中でずっと、守るべきものの一つとしてある。
だから、ではないけれど、けっして相手を責めているわけではない。
ただ、シンプルに、そこに何があるのかが、
気になっていた。

この本をあらためて読んでなるほど、そこには、
その人の生きる社会や会社や組織のシステムがあるのではないかと、思う
もちろん、そんな漠然とした何かだけでは分かり得ない
それぞれの、心折れる、もしくは心を閉ざす
ポイントがあるのだとは思うのだけれど。

ただ、心の中で言い訳したり、
すっと、心がなくなる時には、
組織や、社会の中にいなくてはならない、という強迫観念みたいなものが、
確実に引き金の一つになっている。

もし、システムがきっちりと緻密に作られていれば作られているほど、
良心や道徳観が失われていくのであれば、
それは空恐ろしいものだ。
でも、そんなことも見せないほど緻密に作られたシェルターのようなものに
そこはかとない安心感を覚えるのは、
私も含め、普通の善良とも言える普通の、人たちだ。

一体、どうしたらもっと
バランスよくなるんだろうか、などと
壮大なテーマに、ひとり勝手に、呆然とする。


教員だった時の一番最後の挨拶で、
想像力の種、という話をした。
ただの本好きなので、
たくさん本を読んで、たくさんいろんなことを想像できる人になったら
おそらく、自分の中の何かが豊かに、なるだろう、
というような話だ。

それは、自分への戒めでもあるし、
想像力は、お金持ちになるためのツールには、時にならないかもしれないけれど
まともに生きるには、それなりに
助けになるものだ。
それから、想像力は共感力につながる。

残念ながら、今働いている業界では、
この共感力というのがありすぎると
仕事に支障を来すので、
ほどほどがいい、なんて、いわれているらしい。
全く、じゃあ何をモチベーションに仕事をすればいいんだろう、と
私は途方に暮れる。

でも、仕事でもありとあらゆる妥協をしている私は
役所というがちがちのシステムの中でただただ、
自分の仕事を全うすることしかない、
一ミリも融通の利かない目の前の役人が、
子どもからかかってきた電話で
楽しそうに話したりしていると、
その人の日常が見えてきて、
仕方がないか、と思ったりする。

確かに、これでは仕事の能力が低いわけだ、と
自分で妙に、納得してしまった。
システムから、こぼれ落ちる準備は、できているようだ。

やはり、バランスが必要なようだ。
そこを私はまだ、さっぱり会得していない。


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