2017/02/20

If I wasn`t hard, I wouldn`t be alive. If I couldn`t even be gentle, I wouldn`t deserve to be alive.


久しぶりに、チャンドラー祭を楽しんでいた。
以前持ってきていた「大いなる眠り」を読み終えて
ふと、あの名言はどの話に入っていたのかしら、と
検索をしてみたら、最近新しい訳が出た、というのを、知る。

これを明言すると敵を作りかねないけれど
今まで、村上春樹の長編でいい読後感を味わったことがない。
もっとも、後味がきちんとあるところで、
小説としての意義はおおいにあるのだと思うのだけれど、
ある程度、読後感の悪さを先に認識してから
読まなくてはならないもの、という分類に位置している。

ただ、翻訳をしている作品の選別には信頼をしている。
いい作品を、よく合った書き口で心地よく読める印象がある。
レイモンド・カーヴァーが、特に好きだった。

If I wasn`t hard, I wouldn`t be alive. If I couldn`t even be gentle, I wouldn`t deserve to be alive.
この訳がどうなっているのか、というのは
気になるところだった。

翻訳家としても定評がある人だから、
その定評と原文への誠実さを守ったようだった。

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きてる資格がない。」
という名訳が、どうしてもインパクト強く残っている身としては
文脈の中では自然な表題の訳が
やもすると、ハードボイルド感を弱めてしまっている、とも
云えなくもないところだ。


この台詞の場面がどういうシーンだったかということを
昔違う訳で読んだときから時間が経ってしまっていて
すっかり忘れていた。

ずっと自分にかけられた疑惑を隠したまま
マーロウと接し続けたヒロインの素性が明らかになったあと、
このヒロインとの一夜をともにしたマーロウが
次の日に、ヒロインにコーヒーを飲ませてホテルを出ようとする。
「これほど厳しい心を持った人が、
どうしてこれほど優しくなれるのかしら?」
というヒロインの言葉に応えた、台詞だった。

記憶が曖昧だったせいなのか、
もっと修羅場があった後すぐの、キメ台詞だと勝手に思いこんでいた。
もっとも、ストーリーにはたくさんの修羅場が既にあったのだけれど
ここで云ったのか、、、、と、どこか、少しだけ期待はずれだった。


ただ、この台詞には重みがある。
何せ、とにかく格好いい。
さらに云うならば、今の仕事にでも、云えることだ。
こんなことが云えるぐらいの生き方がしてみたい。
きっと、マーロウほどのハードボイルドな場面は人生になくとも
人それぞれにとってのハードボイルドな場面は、いくらでもあるものだから。


名訳というものがあると
後にまた訳をする翻訳家を悩ませるのだろう。
ただ、この台詞に関しては
英語がしっくりくる、というのが今回の感想だった。
本末転倒、当たり前、と云えば、当たり前なのだけれど。





2017/02/11

如月満月


先月は雨模様だったから、と
例年以上に春めいた、二月の夜に期待をする満月の日。

習慣というものは恐ろしいもので
一度、満月はしっかり拝むことと決めると
仕事が忙しかろうが、気持ちが落ち着かなかろうが、絶望的に疲れていようが、
それは、必ずしなくてはならないことになる。



住んでいるジャバルアンマンからダウンタウンに張り出た丘の端の
ガラス張りのカフェで、満月を待つ。

向かいのアシャラフィーエの家々の灯りが、美しい。
夏ならば窓など開け放しているから写り込まないのだけれど
ガラスに囲われた窓から見える街並は
店内の照明と重なって、
大きく、小さく、灯りが散らばる。






ほぼ毎月同じところから見ているから
いい加減飽きてもいいものなのかもしれない。
ただ、幸いかな、何度見ても美しく
見飽きることは、ないようだ。

凝視して、満足する。
ただ、それだけ。
ただ、それだけを毎月、繰り返している。


元来、天体観測は嫌いではない。
ただ、これだけ月をいつもいつも見るようになったのは
こちらへ来てからだ。
天気のいい日が多いから
自然と、月の姿は三日月だろうが待宵だろうが、二十三月だろうが晦日だろうが
とにかく、夜空を見上げれば拝むことができる。






二月の満月は、塵の向こうに赤く黒ずんで、ジャバルタージの向こうから出てくる。


ホーチミンに住んでいた頃
日本からホーチミンに戻った夜に見た
朧月と暖かく生温い空気を思い出したり、
風のない満月の夜にろうそくを灯したらどう見えるのか
昔聞いた話を思い出したり、
稲垣足穂の一千一秒物語の
粋でやくざな月を思い出したり、
秋の最中、鰯雲を照らす
日本の冴え冴えした月を思い出したりした。


雨月物語が好きだったから
月というものは、雲隠れしているところに風情があって
雲のすがた形が濃淡とともに繊細に映し出されるさまが美しい
などと思っていたこともあった。


こちらの月は、あっけらかんと、明るい。
兎の精を出す様子が、影絵のようにはっきりと見える。






屋上にある家にたどりつく時
屋上のテラスで、灰色のタイルが白く光って
自分の影がくっきりと映し出されるのが
いつの間にか、当たり前になった。

照らされる自分の姿は、当然見えなくて、
ただただ影の鋭さだけを見下ろすことになる。

月明かり独特の、白い光は
夜になってすっかり冷えきった空気を
一層冷たく、一層透き通らせて
頬に沁みていく。
翳りが、全くない。

例えば、透徹した思考なんてものがなくて
ここ最近、逡巡している脳と感覚も
この光を浴びたならば少しは、冴えるのだろうか、などと
お寺さんの煙でも浴びるような気分で
屋上で月を見上げてみる。

頭上に高く昇った月は、等しく隈なく、光っていた。
どこまでも高潔で、どこまでも静謐で
なんだかとても、冷たかった。