2016/11/14

誰かに会うかも、しれない


日本の滞在はいつになく忙しかった。

おかげで、不本意ながらもヒラリーとトランプの顔を見ながら
銭湯に入らなくてはならなかったり
方々への返信が滞ったり
買い忘れが多くて、お土産もそろっていなかったり、している。

原因の一つは、単純にわたしの処理能力が低いからで
もう一つは、優先順位が自分本意だったから、というところだろう。

最後の日にたまたま、新宿を歩いていて思い立ち
新宿御苑に往ったりした。
日本での優先順位で常に、植物園か、動物園が上位に入っている。
おそらく、こういうことが、その他の大事なことができない理由なのだろう。




閑散とした公園を想像していたから
恐ろしい人の数に幾分、興ざめしてしまったのだけれど
立派なヒマラヤ杉と、湿気たっぷりの木陰と
黄色いスズカケ並木は、悪くなかった。



高い木々の向こうに高層ビルが見えるところが
少しだけ、ホーチミンの動物園に似ていた。

思いがけず、温室があったのも、よかった。
ヨルダンでの今年の夏、温室の、むっとする湿気と土の匂いに
ずっとずっと焦がれていたのを、思い出したりした。




家族連れとカップルばかりなので、
なんだか自分の場違いに身を固くせざるをえなくて
買ったばかりのイヤホンを試すのにもちょうどいい、などと
大きな、小さな子どもたちの声の代わりに
Nick Drakeを久しぶりに聴いたりしていた。

水と湿気のある景色は、確かにRiver Manとかぴったりなのだけれど
景色と曲にギャップがないということは、随分直接的で
曲がいつも以上に音と色を濃くしていた。


今回の優先順位で一番高かったのは、映画だった。
波に乗って「君の名は」を観よう、という話。
新海誠の映画は全部見ていたのもあって気になっていた。

期待通り、ぐっときた。
でも、なんでぐっときたのか、はっきりと掴みきれなかった。
映画のストーリー展開が早すぎて
ついていくのに必死なはずなのだけれど、
ふっと心の中の何かに触ってくる場面がなんどとなくあって、
その感触だけで十分、泣けてしまった。

では、それはなんだったのか、と。

頭の片隅でずっと気になりながら
仕事の帰りに、乗り換えと買い物で、新宿を歩いていた。

新宿では、たくさんのしらない人とすれ違う。
なぜだか時々、すれ違う人を
誰かと間違えて振り返ったりする。
記憶が曖昧になって、みんなが似てみえているのかもしれない。
アラブ人ばかり見ていたら、あの濃い顔に目が慣れてしまったのかもしれない。

日本に戻ると時々、やってしまうのだ。
文字通り、振り返ってしまう。

そして、その瞬間、なにをしているんだろう、と恥ずかしくなり
違っていて当たり前だと思う。
それから、掴みどころのない、ささやかで、でも、決定的な失望感がやってくる。
見間違えた人は、そんなに関わった人ではなかったはずなのに、と
その人のことやその周りの人やことを思い出したりしていると
意外と引きずったりする。

そして、その度に、自分の小さな失敗とともに
人の多さに、呆れる。
こんなにたくさん人が居るという、事実。

人があんなにたくさん居て、それなのに
ただただ、物理的にすれ違うだけの関係性だから生じる、勘違いだ。
心の中に不本意ながらできた、小さく深い真っ暗な穴を見つめながら
仕方ない、間違いだったのだ、と
妙な具合に自分の中で自分を納得させる。

だいたい東京では新宿近辺にいるのだけれど
映画を観てからなるほど、新宿だからそういうことが起きるのだと、
土地にせいにしてみたりする。

とか。

ヨルダンに戻るフライトの中で
目が醒めたとき、涙が出ていた。
寝起きに泣いていることは、きっと
誰しも時々、あることだと思う。

理由なんてない。ただ昼間につけていたコンタクトの調子なのか
乾燥していた飛行機の中だからなのか。
ただ、このフライとではちょうど確かに、
誰かのことが夢に出てきたような気もして
でも、夢の中身はこれっぽちも思い出せなくて
飛行機の窓から、月に照らされて青白く光った翼と
明るい紺色の夜空を見たりした。

夢の痕跡や残り香のようなものに
その一日の心が占領されてしまう、なんてことも
時々あることなのではないか、と、思う。

そして、あれはなんだったのか、と
夢特有のおぼつかなさが手伝って、
都合がいいあれやこれを、
もしくは心配事のあれやこれを
夢のせいにして膨らませたりする。

夢の役目だ。

映画のストーリー自体が、おそらく
夢にまつわるたくさんの言い伝えや過去の文学を踏襲しているのだろうと、
勝手に思っている。



そういうことのいろいろがたぶん
映画を見ていて思い出されたのだろう。



絵の美しさには定評がある監督だけれど
「言の葉の庭」も「君の名は」も雨が降っていて
その圧倒的な緑と青の、みずみずしさが、もう、恋しくなる。
そういえば、「言の葉の庭」は新宿御苑だったと、
新宿駅の道すがら、新宿高校を見て思い出した。
味気ないと思っていた東京の景色が、
前よりも美しく思えるようになったのも、この監督のおかげかもしれない。

しばらくはまだ、映画をひきずるのだろう。
いっそのこと、Radwimpsのアルバムでも、買って帰ればよかったと、
今更後悔している。



もう、特別な誰かが居るとは思わないし思えないけれど
会いたい誰かに会えるかもしれない、と
そこはかとない期待を持って街を歩けるのならば
雨の新宿だって、悪くないところのように、思える。


アンマンでも、起こりうるのだろうか。
アンマンにも雨の季節が、やってきた。