2016/02/05

しみったれのための詩集





毎朝、寝起きが悪いのだけれど
朝少しだけ余裕を作って
身支度だけ整えると
今週は朝、2冊の詩集を交互に少しずつ
読んでいた。

1冊は、ブローティガンの、チャイナタウンからの葉書



ポトレロ・ヒルののんべえたち

そうさ、奴等は
この辺の小店で
一壜
手に入れるんだ。
ロシア人のじいさんは
道徳なんか知らん顔で
奴等にポート酒を
うってやる。奴等は
行って、木の階段のわき
緑のやぶが茂っている
その下あたりに
すわりこむ。
その静かな
飲みっぷりは
まるで異国の
花のようだよ。



熱病記念碑

 ぼくは公園を横切って熱病記念碑の前に行った。
それは赤い花や噴水にかこまれた
芝生の広場の真中にあった。記念碑は
 海馬の形をしていて、銘板にはこう書いてある。
我等は熱くなって死んだ、と。



驚き

ぼくはトイレットの蓋を開ける
 まるで鳥の巣を開けるみたいに。
そしてみつける、便器のふちに 
 ぐるっとついた猫の足あとを。



一九三九年

ボードレールはよくうちに来て
ぼくがコーヒーを挽くのを
見ていたものだ。
それは一九三九年のこと、
ぼくらはタコマの
スラムに住んでいた。
母はいつも豆を
コーヒー挽きに入れる。
ぼくはまだ子供で
ハンドルをまわしながら
コーヒー挽きを
手まわしオルガンだと考え、
ボードレールは自分のことを
猿だと考えて
あちらこちら
ぴょんぴょん跳びまわり
錫のコップをさし出した。



星穴

ぼくはここ
ある星の完璧な
一端にすわって

自分の上に
ふりそそぐ
光を見ている。

その光自体は
空のあいた
小さな穴から
降ってくる。

ぼくはさほど幸福
 ではないが
物がみなひどく遠くに
あることはわかる。



喫茶店で

喫茶店で僕が見ているとある男が一切れのパンを
出生証明書を折りたたむように折り、死んだ愛人の
写真を見るように見ていた。



自然の詩

月は
オートバイに乗って
暗い道を
やってくる
ハムレット。
彼は黒い革の
上着を着て
ブーツをはいている。
ぼくはどこに行く
用もない。
一晩中
走りまわろう。



ほとんどのブローティガンの作品は
藤本和子の翻訳だけれど
この詩集だけは
池澤夏樹が原書の英語と併記して
翻訳されている。

いつ読んでも、
一見突拍子もないような言葉たちが
抜群のセンスで
情景や感情を立ち上がらせる。

そして、よく、ものや人を見ている。

今手元には2冊しかブローティガンの本はないけれど
もう1冊、アメリカの鱒釣りに も
ほとんど詩集のようなもので
混沌としたものものが
言葉の使い方と並びをもって
まれ、としか云いようがないほどの
美しい散文となっている。




池澤夏樹も解説で書いているけれど
ブローディガンには、そこはかとないやさしさがある。

随分と、弱いものに対してやさしい視点を持った人だったのだと
思っている。
とてつもないシンパシーを
弱いものに対して、持っている。
たぶん、自分に対しても、だ。

でも、そのやさしさと、
まわりのものに対する一定の距離が
徹底して、ある。

自分のことでさえも突き放してしまうのは
そのやさしさを
誰にも、どんなものにも、自分に対してさえも
存分に役立たせる方法を
本人は見つけられないと思っていたからだろう。
詩は、知らずブローティガンが
自分のやさしさを形にして残して
書き記したもののように思える。


だから、ブローティガンの詩は
どうしても、どこかがわたしにとって、切ない。
その切なさを
なんとか言葉の使い方の面白さで
紛らわせて、
しみったれているのなんて、くだらないんだ、と
真面目とも不真面目ともつかない顔で
云ってくる。


仕事のもろもろで、
心底すべてを消耗する一週間だった。

消耗の原因は自分の中にある。
いろいろな、心身を消耗させるものものを
結局寝ても、どうにもならなかったか、と気づかされ
朝起きる度、途方に暮れた。

せめて、しみったれては、だめだ、と
俯瞰しなくては、と
ブローティガンは、わたしを説き伏せる。


それから、茨木のり子、言の葉




ぼくらの仕事は 視ている
ただ じっと 視ていることでしょう?

晩年の金子光晴がぽつりと言った
まだ若かったわたしの胸に それはしっくり落ちなかった

視ている ただ視ているだけ?
なにひとつ動かないで? ひそかに呟いた

今頃になって沁みてくる その深い意味が
視ている人は必要だ ただじっと視ている人

数はすくなくとも そんな瞳が
あちらこちらでキラッと光っていなかったらこの世は漆黒の闇

でもなんて難しいのだろう 自分の眼で
ただじっと視ているということでさえ



ある工場

とても大きな匂いの工場が
     在ると 思うな
技師や背高のっぽの研究生ら
   白衣の裾をひるがえし

アルプスの野の花にシリアの杏の花に
中国のジャスミンに 世界中の花々に
        漏れなく 遅配なく
         香郁の香気を送る

ゲラン バランシャガ も 顔色なし

小壜に詰めず定価も貼らず惜しげなく
     ただ 春の大気に放散する
           彼らの仕事の
           すがすがしさ




苦しみの日々 哀しみの日々


苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど

さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれは自らを養うのに足る時間であったと

少しずつ 少しずつ深くなってゆけば

やがては解けるようになるだろう
人の痛みも 柘榴のような傷口も
わかったとてどうなるものでもないけれど
(わからないよりはいいだろう)

苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである

受けとめるしかない
折々の小さな刺や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから



倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくなはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
自分の耳目
自分の二本足のみでたっていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


常に背筋の伸びている人だったのだろう。
きりっとした、率直な言葉で
わたしの前に、鏡を持ってやってくる。
外見も、志も
恥ずかしくない姿をしているのか
確認しなさい、と。


全く違う、二人だけれども
どこかに潔い風をまとった人たちだったのだろう。


出かける前に
おまじないのように
グリーグの抒情小曲集の1番を
弾いてから出かけていた。
ブローティガンのような小さな視点を
音にしたような、かわいらしい曲だ。

結局間違えるので、
おまじないにはならないのだけれど。

でも、単純にピアノの前で
背筋が伸びるので、
その度に、背中が痛くて、
背筋が曲がっているんだな、と
思い知らされる。