2015/10/29

彼らの話と暮らしの、断片 10月4週目


 アンマンはひと雨ごとに、寒さが増す。
 フィールドに出た日、今シーズン初の、本格的な雨が降った。
 元来、ヨルダンの街はどこも
 雨がたくさん降ることを想定していないから
 排水溝などは、ほとんどない。
 水は小川のようになって、
 坂ばかりのアンマンのいたるところで、道路を流れる雨がきれいな波を作る。

 およそ7ヶ月ぶりの、しっかりした雨だった。

 こちらで雨がたくさん降るのは冬なので
 まだ、そこまで冷えきっていないその日の雨は、
 どこか秋雨に似ていた。
 湿気に冷える身体の感覚が幾分、柔らかい。
 

 

 1件目:Jabal Al Hussein

 広い道路に面した建物の一部は改装中で

 ガラス張りのテラスには、大量の布のロールが並べられていた。
 きっと、大家の部屋になるのだろう。

 大家の部屋の脇にあたる  細い路地の扉から階段を上がると、
 廊下の窓には、木製のブラインドが朽ちかけて
 歪んだままぶら下がっていた。
 窓の外には、枯れかけた葉が揺れる。

 招かれた部屋は、ドアを開けたすぐ左手に洗面所があって

 ビニールのカーテンがかかっていた。
 こちらの家の床は、古い家ならだいたいが石でできている。
 夏には心地よいが、冬は容赦なく熱を奪っていく。
 それなのに、あまりこちらの人は靴下を履かない。
 見るからに、寒そうで、どうも私は気になって仕方がない。

 通された居間はがらんとしていて、対のソファとカーペットのみ。

 ただ、窓のない真っ白な四方の壁に
 ピンクや黄色や青の、淡いいろの風船が飾られていた。
 もういい具合に萎んでいたけれど
 そのサイズと柔らかな色合いと気ままな風船の貼り方が、随分とかわいらしい。

 あなたたちが作ったの?とまだ登校前で家に居る二人の女の子に訊くと

 少し恥ずかしそうにはにかみながらうなずいた。
 上の子は学校で会ったことがある。
 お互いにお互いの顔を覚えていることを確認した。

 女性が私たちの質問に答える。

 難民登録証は彼女を家長としているけれど
 どう考えても歳が合わない。
 32歳、上の子が14、5歳。
 結局頭の中でした年齢の計算から納得いく答えは得られなかった。
 
 再婚している、という。旦那は週に2、3回しか会えない。
 もしかしたら、再婚した人の子どもなのかもしれなかった。

 その女性は大きな茶色い目で表情を様々に変えながら

 子どもたちの様子や学校の様子、近所との関わりを話してくれた。
 アルハムドゥリッラヒ ラッビルアーラミ
 節度のある抑揚、魅力的な語り口だった。
 ただ、そうやって話している内容は
 息子の手術のことで、足に障害のあるその子は
 何度矯正の手術をしてもなかなか治らない、という話だった。

 家をあとにするとき、もう一度握手をする。

 相変わらず裸足にビーチサンダルで玄関まで見送ってくれた女性の手は
 ほわりと柔らかかった。


 

 2件目:Jabal Al Hussein

 

 息子がまだ2歳、居間の中央に置かれたベビーカーの中で
 家族の注目を一身に浴びていた。
 すべてが落ち着いた、堅実な空気を具現化したような家族だった。
 家具は少ないけれど、隅々まで清潔な部屋。
 お母さんの横で、眼鏡をかけた女の子が二人、
 きちんと座ってこちらの話を聞いていた。
 お父さんはプラスティックの椅子に腰掛けていて
 ちょうど、私たちと家族を囲む位置に居た。
 些細なことだけれど
 座る位置一つで、家族の様子の何かが分かるような気がした。

 親族がここら辺に固まって住んでいるので

 この土地を選んだという。
 7年生の長女は、理科が好きだ、と云っていた。
 正直、珍しい、初めての回答だ。
 地理の授業が最近なくなってしまったんです、
 先生が妊娠して休職すると、代わりが入らない。
 困った話です、と真剣な顔をして、お父さんは子どもたちの顔を見た。

 何がきっかけだったのか、小さな息子が突然、

 ベビーカーから降りたがって
 何か言葉にならない言葉を大きな声で云いながら
 身体を動かし始めた。
 お父さんの持っていた携帯がいじりたいようだ。

 まだ乳歯の生えそろわない小さな息子の口元が、

 屈託なく、そこに居るみんなの笑いを誘っていた。


 

 4件目:Jabal Al Hussein


 3件目は以前もう、来たことのある家だった。

 入り口で6歳ぐらいの女の子がずぶぬれになって、待っていてくれている。
 夏の終わりに来たときにはまだ小さかったヘチマが
 幼稚園の子どもぐらいのサイズになって、重そうにぶらさがったまま
 雨に濡れていた。
 よく覚えている、青い目と真っ黒な瞳孔、
 なかなか豪快そうなお母さんで、以前来たときには、
 しっかり染まった茶色い髪を無造作にまとめながら
 親しい友達と話すように私を会話に入れてくれた人だった。



 通り雨のように、日が射したり雨雲に覆われたりする、不安定な天気だ。

 車を降りて、迎えにきてくれたお父さんと一緒に路地に入ると
 ジャバル・ウェブデが見える。ウェブデに面した丘を下がっていくと家のようだった。
 建物と建物の隙間、流れる雲と向かいの丘の建物が、
 不思議と明るいハイライトで切り取られる。



 階段を降りていくと、斜面に建ったアパートの一階が、その家族の家だった。

 通された居間は窓に面しているけれど
 奥は窓もなくて、随分暗かった。
 その奥の廊下から、家族がぞろぞろと1人、また1人と出てくる。
 小学校中学年ぐらいまでの子が3人、
 そのうちの1人だけがこの家族で、他は親戚のようだった。
 裸足に半袖、その上に毛布を被った子と、やはり裸足で体操座りをする子、
 それから、歳の大きな子が二人も居て、こちらを興味津々で見ている。
 興味津々なのは子どもたちだけではなく、
 お父さんも、いろいろと知りたそうに、こちらの様子をうかがっていた。

 ホムスでドライバーをしていた、というお父さんは

 もともとお話が好きそうな雰囲気にあふれている。

 一番上の娘は17歳ほど、学校に行かない理由を
 いろいろと話してくれた。
 お父さんも交通費が高くて、とか、勉強についていけなくて、とか、補足してくれる。
 自分の云い訳しているようにも聞こえるし、
 でも、どこかあっけらかんとして、そういうものさ、と開き直っているように聴こえる。
 

 そう、息子は絵が上手なんだよ、ほら、ノート持ってこい、

 そうお父さんが云うと、まんざらでもない、という表情で
 息子がノートを取りに往く。
 14歳なので、反抗期でもおかしくない歳頃のように見えたけれど、
 周りが姉妹ばかりだからだろうか、女の子っぽい絵が多い。
 少しだけ恥ずかしそうに、でもものすごい真剣さを目の奥に秘めて、
 絵を一枚ずつめくる私たちの顔を見ていた。
 顔には、まだどことなく幼さが残っていた。
 このノート全部に描いたの?と訊かれて、いや、全部じゃないよ、
 とふいに、ノートを閉じる。
 

 家族全員が、見送りに玄関まで来てくれた。

 玄関の扉から身を乗り出したり、スリッパを履いて外にでてくれたりしながら。

 居間についた窓の先にはテラスがあって、眺めがいい。
 毛布をひきずったり、裸足だったりする小さな子たちが
 形のはっきりした灰色の雲が広がる空を、見上げていた。


 通りに戻る路地の階段、アパートの半開きになった入り口に
 金色の髪をくしゃくしゃにした3、4歳の女の子が
 1JDを握って立っていた。
 

 

 7件目:Jabal Al Hussein
 
 
 Nuzuhaの方角、丘の東側、最上階の部屋は
 キッチンが窓に面していて、見事な遠近法で家々を見下ろすことができる。
 おばあさんと、その娘が部屋に居た。

 屋上に住むのに憧れているから、スタッフが話をしているのを尻目に

 きょろきょろと首を伸ばして部屋を覗いていった。

 ふと、気がつくと、

 難民登録証をこちらに手渡しながら、おばあさんは泣いている。
 私は、間が悪い。

 水をはじきながら通る車の音が響いて
 何を話しているのか、聞き取れない。
 怪訝な顔をする私に、スタッフが説明をしてくれた。
 お母さんは内戦で死んでしまって、
 お父さんは亡くなったのか、生きているのか
 どこにいるのか、わからないそうです。

 おばあさんは一度立ち上がり、顔を洗いにいく。


 自分の孫だけれど、世帯は違うから別の登録証らしい。
 見せてもらった登録証の右上の部分、家長の欄には
 たった11歳の女の子の写真が印刷されていた。

 おばあさんは、いろいろな紙を持ってくる。

 それはすべて、診察カードやら診療結果やら、レシートやらで
 おばあさんが預かっている6歳、10歳、11歳の3人の孫は
 誰も彼も、病気ばかりだという。
 心臓、目、耳、歯、どうにも悪いところばかりで
 治療費も出せないし、痛がるし、どうしたらいいのか分からない。
 アリフティ ケーフ?

 この手術に96JD、あの手術に65JD、
 見せられた歯の診察券には、次に診察する日付が書いてある。
 いろんな色の、診察券と白くて薄い診療結果の紙が
 おばあさんの膝の上やソファの周りに散らばる。
 
 教育支援だから、医療支援はできない。
 けれども、シリア人専門の医療機関のリストはあるので、
 後で照会できるように連絡先をお伝えできます。

 
 おばあさんの娘は、オープンキッチンの中で
 おばあさんと一緒に説明をしてくれる。
 身体のパーツ全部がまるっこいその人は
 眼鏡の奥で、大きくはないけれど力強い、若々しい光のある目を見据えて、
 一人一人の子どもたちの病状や様子を話す。
 耳が悪くて話すのがうまくできない、でも書くことはとても上手で
 賢い子だ、など。

 こちらの質問で、子どもたちの得意なことや好きなことを尋ねると
 音楽も絵も、手芸も好き、勉強もできるのよ、と
 病状を説明する時よりも少しだけ表情を和らげながら
 話してくれた。

 おばあさんの歯は虫歯だらけで
 前歯にまで、茶色い穴があった。

 学校に往っても勉強していない感じがするの。
 大きい学校だからって、子どもに掃除をさせるのよ。
 廊下に絵を飾ったりする手伝いだったら分かるけど
 掃除をさせるなんて、あり得ないわ。

 こちらの学校では、雇われているクリーナー1人では掃除しきれないから
 よく子どもたちをかり出して、掃除をさせる。
 冬など、見るからに寒そうな廊下を
 撒いた水で靴をぐっしょり濡らしながら掃除をする子どもたちを
 よくUNRWAの学校でも、目にした。
 それでも、勉強するよりも楽しそうにやっているので
 そういうものか、と慣れてしまっている自分が居たのを、思い出す。

 この家族の子は、どんな気分で掃除をしているのだろう。

 
 あの子たちは、なにもかもが悲しすぎるわ。
 帰りの車の中で、スタッフが云う。
 

 ドワール・フィラスの喧噪の中、
 丘の上の開けた空には、晴れ間が見える。
 
 

2015/10/23

彼らの話と暮らしの、断片 10月3週目



 サハーブの街は、メイン通りから一本奥に入るとすぐ閑散としてしまう印象がある。
 空き地が目立つから、もともと茶色いからからの土が
 安普請のアパートに使われがちな茶色い外壁と一緒になって
 どこもここも、茶色く土っぽい。
 アンマンは石材を使った白い外壁が多いけれど、
 この色で、アンマンでも貧しい地域の丘は覆われている。
 地方の、特にそれほど裕福ではない地域も同じように、
 この色の壁に変わっていく。
 

 この日、空には短い帯のように、灰色の雨雲が流れていた。
 ほんの1分ほどだけ、ぽつぽつと、でも盛大に音を立てて雨が降る。
 スタッフは、いやねぇ、雨じゃない、といいながら、お祭りでも見るかのように笑っている。

 1件目:Sahab
 
 一階の南側だけが、彼らの家だけれど
 ドアまで立派な葡萄棚が続いていて、棚の両側にはレモンと、オリーブの大きな木
 それから、青唐辛子の小さな畑があった。
 
 合板で端のめくれた棚の上に、テレビ、
 後は、マットのみ、棚の横には子ども用の寝具一式が、抜け殻の形を残したまま横たわっている。

 お父さんはがっしりした人で、話し方にも勢いがある。
 質問の途中で、妻は1キロ以上のものは持ってはいけないんだ、と
 お父さんは眉毛を挙げて云う。
 サロンを持っていたんだけどね。

 子どもが4人、一番上の息子はもう、17、8歳に見える。
 いつも思うけれど、これぐらいの歳になると、
 家族を守るのだ、という意思が
 身体の端々から出て来て、それがどこか、私を威圧する。
 娘は6年生、お父さんの話を静かに聞いていた。
 
 前のめりで右手で空を指し、左指を口に加えながら、
 お父さんは3歳の息子のまねをする。
 バァバ(パパ)飛行機がやってくるよ、怖いよ。
 お父さんの向かいのマットに座る娘とお母さんと息子は
 そのまねを見て声を立てて笑う。
 でも、お父さんの表情はきゅっと険しくなる。
 一番したは1歳だからシリアを知らないけれど
 3歳の息子は、覚えているんだ。
 シリアに帰りたくない、って云うんだよ。




 他のシリア人の家庭も紹介してくれないか、とお願いすると
 お母さんが携帯を持ち出して、近くに住む親戚に電話をしてくれた。
 電話をするお母さんの話し方は、明らかに私たちの時と違っていて、
 ゼイト・ゼイナブから来たというのが、
 近しい人との会話で初めて、分かる。
 
 帰り際にお母さんに、
 この庭はあなたの家のですか?と訊くと
 いや、2階の人たちのよ、と小さな声で唐辛子に目をやりながら、つぶやく。
 いい庭ですね、としか云えなかった。
 彼らが住んでいたダマスカスのその町がどんなところか知らない。
 でも、緑が窓から見えるのは、きっと悪くない。


 2件目:Sahab

 赤い壁のアパートだから、そう云われて道に迷う。
 何度か道を曲がって、本当に重い赤の壁が見えた。
 ちょうど、ペトラの方にある、赤い土の色と同じ。

 建物の入り口を入ると、スプレーでいたずら書きがしてあった。
 階段に手すりがなくて、どことなく危ない。
 最上階、屋上へ続く階段には板が無造作に置かれていて、
 とりあえずは往けないようになっていた。
 廊下の壁にも、花の柄のスタンプが一面についている。
 下地が乾くと、その上にペンキのついたスタンプで装飾するのだ。
 スタンプの絵の具には、だいたい銀色か金色が使われていて
 暗くても、どこかからやってきた光を受けて、きらきら光る。

 黄色い壁に、やはり花柄の壁なのだと思ったのだけれど、
 お母さんがカーテンを開けて、地は白だったことがわかる。
 いつの間にやら、青い空が見えていた。
 
 学校へ往く準備をする女の子が
 廊下にひっかけてある、小さな化粧台の前で背伸びをする。
 高くて顔が鏡に映らないからだ。
 器用にピンを咥え、時々ふらつきながら、髪をまとめている。

 1件目の親戚に当たる家族、お母さんは1件目のお父さんと話し方がどことなく似ている。
 目の色は黒いのだけれど、話の内容で色が変わるようだ。

 濃い緑色のカーペットと、茶色いマット。
 床にぺたり、と座り、やはり前のめりで話をする。
 お母さんの隣には、きっとお父さん似なのだろう、
 金髪に彫りが深くて、目も灰色の息子が
 少しずる賢そうにこちらをちらちら見ながら
 やはり床にぺたりと座って、大きなあくびをする。

 1年生だったら、文字を一つ覚えるのに、そんなに時間はかからないはずでしょ。
 一週間に何を勉強したのか見てみたら
 全然できてないのよ。もう2年生なのに。
 学校もすぐ終わってしまうし、何を教えているのかしら。
 夜12時ぐらいになっても、勉強を見てあげてるのよ。

 それから、一瞬にして話し方を変えて、小声になる。
 お母さんの云っていることがわからない、
 スタッフに通訳をお願いすると、スタッフも英語でなんと云うのか、分からないという。
 夜、トイレに往くのがコントロールできない、という。 
 怖い夢のせいなのか、もう4年生なのにまだ、おねしょをしてしまうのだ、と分かる。
 大変なのよ、本当に。

 それから、お母さんの話し方がまたもとに戻って、
 英語ができない、語学はというのは小さな頃が大事なのに、と
 一生懸命、言葉を尽くして話していた。
 
 娘が二人、青い制服を着て玄関の周りで鞄をひきずっている。
 やはりどこか浮き足立った感じで、
 迎えのバスを待っているのだ。


 3件目:Sahab

 同じ赤いアパートには他のシリア人も住んでいる、
 2階の家を紹介されて、階段を降りた。
 家の人が出てくるまで、廊下で待っていると
 向かいの家のドアが2件とも空いていて、
 黒と白のしましまのベビー服を着た赤ちゃんを抱いた
 6歳ぐらいの女の子が出て来た。
 女の子は、むすっとしているのに、なぜか赤ちゃんを見せてくれる。
 家の中はくしゃくしゃで、マットやらベッドやらが床に散らばっていた。

 紹介された家は、狭い居間にソファやテレビが置かれていて、
 ソファの上には大きな鏡が斜めに立てかけられていた。
 スタッフに何も置いていないソファを譲ると、座るところがない。
 鏡の横のわずかなスペースにお尻をひっかける。
 ソファの奥には5つの大きなトランクが山積みされている。
 埃をかぶっているのだけれど、その存在感は大きくて
 借り暮らしの雰囲気を、助長させていた。

 身体全体が白っぽいお母さんは
 ベージュのノースリーブワンピースを着て
 淡い髪と淡い目と白い肌をしている。
 白いせいか、なんだかとても大きく見える。
 2歳ぐらいの男の子が、お母さんの腕の中でぐるぐると回ったり
 ネックレスをいじったりして遊んでいた。

 娘は8年生、目鼻顔立ちがお父さんに似ているのか、はっきりしている。
 のびのびしていて、とても健全な感じのする子で、
 お母さんと二人、こちらの質問にくったくなく答えていた。

 大きめの鏡台が入り口のドアのすぐ脇にある。
 その上にもなにやらいろいろなものが置いてあるのだけれど、
 台の上にロックミシンが置かれていた。
 ロックミシンは誰が使っているのか訊いてみたら、
 これのおかげで繕い物とかができるし、近所の人とかにね、少しだけ商売もできるのよ、
 とうれしそうにお母さんが答えてくれた。
 こちらに来てから買った、という。もう、4年、同じアパートに住んでいる。

 訪問を終えて家を出ると、
 さっき赤ちゃんを抱いていた女の子の家の扉の向こうで
 紫色のガウンを羽織ったお母さんらしき人が、
 入り口に向かって斜めに横たわっている。
 もう、どこでもいいから横になった、という風に。
 赤ちゃんを抱いて、こちらを、きっと睨んでいた。


 3件目:Sahab

 貧しいヨルダン人が住むアパートらしい。
 最上階の部屋までの階段の途中で、近所を訪ねようとドアをたたくおばさんと目が合う。
 険しい顔で、こちらを見る。

 学校へ往く支度を終えて、テレビを見ていたらしい。
 モンスターズインクがTVから流れている。
 
 二人の娘、上の子は私のことを覚えているようだった。
 とにかくよく話す子、
 4年生だけれども、少しつたない感じがある。
 お母さんも居るので、甘えているのかもしれない。
 好奇心で溢れ返った顔は、妹も同じで
 私の横に座り、手帳のメモを一生懸命読もうとしていた。

 アレッポからやってきて、4件目の家になる。
 1件目は近所と折り合いが悪くて
 2件目は家賃が高くて
 3件目はスウェーレだった
 転々としていたから、今やっと、子どもも学校に通えている。

 子どもたちに学校はどうか訊いてみた。
 一人ね、きらいな子がいるの。
 だってね、あの子がシラミを持っていたから
 あたしにうつっちゃったのよ。
 つたない口調で一生懸命説明するのだけれど、
 その子が別段嫌い、という感じでもなくて、
 髪の毛をいじりながらにこにこ話す。
 顔の二つのほくろが表情が変わる度に、上下に動いていた。


 

 4件目:Sahab

 子どもたちの何人かは、2部制なので学校へ往く支度を整え待っていた。
 そう考えると、子どもたちは随分前から
 学校への身支度を整えていることになる。
 2件目を訪問してから、確実に1時間半は経っているのだから、
 2件目に訪問した家の子は、
 あれから、1時間ぐらい玄関で待っていたのだろうか。
 
 
 お母さんはくすりとも笑わない人で
 男の子3人、女の子1人
 4人居る子どもたちを自分の周りに従えて
 家長のように、ずっしりと構えていた。
 お父さんはその場に居なかった。
 家具の塗装などの仕事をしているらしい。
 頭痛がひどくなってきている、と自分が頭痛持ちかのように、顔をしかめた。

 難民登録証を見せてもらえないか、とお願いすると
 息子がさっと身を翻して、奥の部屋から真っ赤なプラスティックファイルを持って来た。
 バラを大振りに描いたファイルの中に、登録証は入っている。
 お母さんの好みなのだろうか。

 電話が鳴り、子どもたちは駆け出していく。
 学校への迎えのバスが来たという。
 息子の持っているバッグを見てみたら
 こちらで配布したもののようで、でもロゴが外されていた。
 
 どうして外してしまったのですか?
 使ってくれているのはうれしいのだけれど、
 ロゴがないというのは、こちらとしては、重大な問題だ。
 白いからすぐ汚れるの、床とかにバッグを置くからすぐ汚れてしまうでしょ、
 もう2回も洗濯したわ。
 子どもたちがすぐにバッグを汚してしまうのが、
 いやで仕方がない、という話し口だった。

 お母さんは必ず、アルハムドゥリッラヒ ラッビルアーラミ、と
 最後まで云う。
 同じアパートにシリア人の子がいるの、アルハムドゥリッラヒ ラッビルアーラミ、というように。

 息子たちの中には、2部制ではない普通の男子校に通う子も居る。
 ヨルダン人にカツアゲされたりする。
 足を踏まれて止めら、
 お金を持っていないか、靴下の中まで探されるの。
 1JD取られたのよ。
 おちおち外に買い物に往かせるのも、ままならないのよ。


 家の中はきれいに掃除されていて
 奥の、何もない部屋では、白いカーテンが大きくたなびいていた。
 お母さんは最後までずっと、
 黒い大きな目ときれいな黒い眉毛を不用意に動かすことなく
 じっとこちらを見据えて、話をしていた。

 

2015/10/17

彼らの話と暮らしの、断片 10月2週目


 仕事でシリア人難民の家庭を訪問している。
 仕事の目的は仕事の話なので、その文脈の中でのはなし。
 個人の投稿には書くことがはばかれる。

 けれども、それぞれの家庭の様子を残しておきたい。
 無精で、形に残らないものを続ける自信がないので
 あくまで、個人の視点で印象に残ったもののみだが、
 見たことと、聞いたことを
 ここで、少しずつ書き置いておこうと思う。
 
 1件目:Marka

 白い箱型の、よくある建物の2階
 ベージュのカーテンを透かして、遅い朝の光が青い空に色味をつけている。
 きっと、西側に面した窓
 部屋の中は、どの家庭に関わらず、暗い
 だから、窓の外の明かりが、その家庭の雰囲気を決定してしまうような気がするときがある。

 勧められるがままにソファに座る。
 リビングなのだろうけれど、8人ほど座れるソファセットの脇には、
 骨組みだけのベッドがある。
 よく、ぼろぼろになったベッドの底を修理する代わりに使われる
 すのこに足を生やしたようなものだ。
 その上におばあさんが座る、すのこの上にマットを敷いて、その上におばあさんが、居る。
 柔らかなオレンジ色と穏やかな緑色でプリントされたフリージアの花柄の
 あの、だるまになってしまうような簡易のヒジャーブを被っている。
 足をベッドの端に投げ出して、薄緑色のマスバハを指ではじきながら、
 顔はこちらをじっと、見ている。
 私の好きな、象のような皺の皮膚の足首
 大きな眼鏡と褐色の肌のせいで、顔だけ見たら、性が分からない。
 歳を取るということは、そういうことなのだけれど。


 家に居るおばあさんの娘は一人、2児の母で少し受け口
 とにかく、歌うように話をする。
 ダマスカスの方の人たちが話す、あの独特の語り口と
 音に重さのある、少し低めの声に聞き惚れる。

 でも、歌のような声音と、話の内容には、いつも深い溝がある。

 聞けばヤルムークキャンプから逃げて来たという。
 シリア人だけれど、パレスティナキャンプに住んでいた。
 建物すべてが、自分の親族だけで埋まってしまう
 キャンプではよくある、高いアパートメントから
 占領されて、戦渦に飲まれる前に、家族みんな逃げて来た。
 でも、あそこには車も家も、畑も小さいけれど、あったのよね。
 キャンプの中は安くて住みやすかった。

 ジャバルフセインでも、ヤルムークキャンプから逃げて来た家族があった。
 南東に張り出したリビングの先の大きな窓から
 ジャバルウェブデの家々が眺められて
 窓の脇には、鳥かごと、インコが一羽いた。
 明るくて、壁もカーテンも白い部屋だった。

 
 パレスティナキャンプで働いていたせいか
 キャンプと聞くと、それだけで親近感が湧く。

 でも、一度もパレスティナ人には会ったことがない。
 やはり、親族を頼って
 この国のパレスティナキャンプに居るのだろうか。


 こちらの用意している質問をしている間に
 もう一人、女性が奥からやってくる。
 おばあさんの息子の、お嫁さんで
 青い目をした、色白の声の小さな人だった。

 小学校の低学年の女の子が二人
 そろそろとカルガモの子どものようについて出てくる。
 双子のように似ているけれど、
 歳は違うのだという。
 寝起きで膨らんだもさもさの髪は淡いベージュで
 やはりお母さんと同じように
 青い目と青白い顔をしている。

 子どもたちに質問が向くと
 ほとんどの家庭で、親たちの顔がほころぶ。
 すべてではない、ということも、いくつかの訪問で学んだことだ。

 この家庭では、二人のお母さんは
 ふわっと顔を緩ませて、子どもたちに視線を送る。
 どんな遊びが好き?と子どもに訊くと
 もじもじして答えられない。
 イヒキー ヤー ハビーバティー
 それでも、猫のように母親の腰に頭をすりつけて
 恥ずかしがっていた。

 女の子ばかりだし、外では遊べないからね。
 これも、よく耳にする答えだった。

 まだこれから、いくつかの訪問が控えている、と云っているのに
 いつの間にやら用意された、アラビックコーヒーが出てくる。
 その頃には、大方の質問を終えてしまって
 何か訊きたいことがあるのだけれど
 うまくアラビア語にできなくて
 結局、ずっとおばあさんの服とマスバハを見つめてしまった。

 帰りがけになって、初めて
 もう一つすのこのベッドがあることに気がつく。
 身体全体を水色のブランケットにくるんだ小さな子が
 玄関のすぐ脇で、寝返りをうった。

 ずっと奥に隠れていた、緑色の制服を着た女の子が
 台所の扉の横で、小さく手を振っていた。


 4件目:Marka

  丘を降りると、ザルカ川の支流がある。
 汚水で悪名高い川からは、何とも云いがたい
 饐えた匂いがする。

 川からそれほど遠くない丘のふもとにある
 何件かのアパートの一つ
 坂に作られているから、入り口から一つ階を降りた一室。

 お父さんとお母さんと、2歳になる子ども
 それから、2年生になる男の子、歳の離れた大きな女の子が二人。

 小柄でがっしりとしたお父さんは
 こちらの人独特の、立派で流れのいい眉毛と大きな目で
 時折お母さんの膝の上で動き回る2歳の男の子を追いながら
 息子の通う学校の悪さを、必死に説明していた。
 まだ、低学年なのに、学校の校門の前で、年かさの男子にナイフで脅される、
 本当にハラームだ。

 お母さんは目の周りに黒く入れ墨のアイラインが彫られている。
 女の子はお母さんに似て、瓜実型の顔の形と丸い目をしている。

 長女にあたる女の子は、
 ただ立って、お父さんの話を聞いているだけなのに、
 溶けるような優しい顔をしている。

 でも、彼女は脳の神経系に問題があって
 時折倒れてしまう。
 学校に通わせていは居るけれど
 心配なんだ、と話すお父さんの顔を、それでも笑顔のまま見つめていた。

 女の子のうちの一人は、以前学校で会ったことがある
 見覚えのある顔だった。 
 学校で会ったことあるよね、と声をかけると
 長女と同じ、でももう少しだけ力のある笑顔で、うなずいていた。