2013/05/23

痛い、ということ


左膝が痛い
使い過ぎ、らしい
びっこをひいて歩くなんて
こちらとしても
キャンプの中でシャバーブにからまれたりしたときに
逃げようがないから困るのだ
だけれど、痛いから仕方ない
ぼやぼやと歩くしかなくなる

ダニエルさんを思い出す
野良犬だ
とてもとても弱ってしまった冬の日に
今までいじめて遊んでいた猫たちに
尻を咬まれていた
きゅいん、と啼く

いじめてなんていないけれど
弱っている時にシャバーブに
尻とか、触られたくないな
などと思う

全く、困った話だ




痛い、というのは
きっと誰にでも経験があることで
だから、万国共通
痛いんだ、と云ってみたり
痛いんだ、と身振り手振りで表したりすると
それがどんなことなのか
何となく、わかる

程度の差はあるけれど
我慢しようが、痛みを訴えようが
変わりなく、痛い

この話は、精神的なことではなくて
身体的な痛さの話だ

我慢が美徳の国で育ったものとしては
あまり、騒がないようがいいだろう
などと、思ったりする
みっともない、と

こちらの子どもは
ものすごい剣幕で叱られても
取っ組み合いの喧嘩をしても
泣かない
でも、病気で熱がある、とか
けがをして傷口がうずく、などというと
思いっきり、泣く
そうしないと、分かってもらえないからだ

仮にも大人、らしい歳になってしまうと
泣くことはできない

たっぷり甘えられたとしても
そうしている自分がやはり
何だかみっともなく思えてきたりして
自分でいやになって、ふてくされるのだ


なんでこんなことになったかと云えば
週末にマラソンに出ようと思い
練習をしたことが、原因

走れなくて悔しい、などと思うことが
自分の感情として湧いてくるなんて
思ってもみなかった

とりあえず、どこにも悟りの兆しはなく
ただ、うんざりしている

自分の身体的な問題が
何かを成し遂げられない原因になる
能力いかん以前の問題
それがどれだけ苦痛なのかを
初めて知る







2013/05/03

今年も、展覧会



今年も子どもの作品展が始まった
今年は、バカアキャンプではなく
アンマンの遊歩道の中での展示だ

作品はできるだけ
一つのクラスや、一学年が
全員参加できるような絵にすることを
目標として作った

だから、子どもたちはパーツを作り
こちらでそのパーツを組み合わせる

会場の真ん中には大きな木
葉っぱの大きさだけは合わせて
子どもたちがいろいろ工夫をして
色を入れている



私が働いているバカア
No.3の学校はバカアのスークの様子
バナナの形が、いちいち面白い

No.1は低地にあるバカアを上から見た
夕暮れの景色を描いている
本当に、バカアの夕暮れは美しい
スクラッチの技法は日本では有名だけれど
ここの学校では初めて使うアイディアだった



そして、週1回だけ往っている
ジャバルアンマンの学校は
校庭にある大きな2本の松の木を描いた
3年生のこどもたちは
松の木の上で遊べたらどんなことができるか
想像して描いている


市営の展示会場は管理人も居る
全面ガラス張りの、きれいな会場だ
ガラスの下の方には
子どもたちがカラフルな色遣いで
色を入れたヒトガタが手をつないでいる


できるだけ多くの人たちに見ていただけたら、と思っている