2010/08/29

写真を撮る




例えば、観光でどこかへ出かけるとする
初めて見るものがたくさんありすぎて
見るのに真剣になる
だけど、写真にも収めておきたい
結果的に、どちらも中途半端になる

撮らなかったら撮らなかったで
後悔する

どうせならば
写真を撮るのを目的として
出かけるのが、いい

思い返してみると、ホーチミンへ来て
そんな時間がさっぱりなかった

あまり使わない1眼レフを持って
写真の小旅行

2010/08/17

熱帯の病気


あまり話の種にするようなことではないのだけど


先週1週間、デング熱で完全にすべてのものが休止していた
熱帯の病気の恐ろしさを、知る

とにかく、起き上がるのもままならない1週間で
世の中にはこんな痛い病気があるのかと
眠っていることもできず、まんじりともできず
耐える日々だった

残念ながら、幻覚も見られないほど痛くて
それまでにしてきた自分の悪い行いをことごとく後悔し
それでもよくなりそうにないので
おとなしくレモン汁を飲んだりしていた

break bone feverという別名もついているけれど
デングは英語でdengueという綴り
語源はいろいろな説があるそうだが
1説にはスペイン語のdengueroからきているというのもある
この単語、dandyという意味で
あまりの関節の痛みに
よろけながら歩く姿が洒落ものに似ているので
こんな名前になった、というもの

文字通り、うぅ、うぅ、とうなされながら
では、歩かなければ洒落ものにはなれないな、
とくだらないことを考えていた

完治するのに1ヶ月かかるらしい

熱帯の病気は、熱帯の気候のように、終わりがない

2010/08/08

最後のディ・ボで




いつもの通り、住んでいる人があきれるほど
ダラットの街の中を歩いた

最後に、少しだけ手に入れた時間
市場の近くを歩いていて見つけた

おじさんたちばかりが話に興じている
小さな椅子ばかりの店で
小さなおばあさんがコーヒーを淹れていた

ネルで淹れたコーヒーは
小さなガラスのコップに注がれる
本当においしかった

2010/08/06

探しもの


今、ダラットにいる
夜は虫が鳴く、日本の10月初旬の気候の土地だ
涼しいのではなく、もう寒くて
でもその感覚が、限りなく懐かしい

ここへ来た理由は一つだけだった

須賀敦子の随筆の中に
若き日の須賀敦子のよき話し相手となった
修道女のことが書かれている
その、マリ・ノエルという人が
べトナムが独立するまで
この土地の修道院にいた、という記述があった

だから、なんだ、と、自分でも思う
だけれど、来なかったならば、後悔しただろう

ダラットには2つの教会がある
一つは、街の中心にほど近い
湖から見える教会
ゴシック建築で、塔のてっぺんに風見鶏があるので
みなChicken Churchと呼んでいる
ステンドグラスがきれいで、町の喧噪の中なのに
どこか静けさがある教会だ

もう一つが修道院も併設された
Domaine De Marieだ
街中からは離れた、小高い丘の上にある
手入れのよく往き届いた花畑のある
雰囲気の温かい教会だった

修道女たちが作ったレース編みの服や食べ物を売るための
土産屋もある
べトナム人の観光客がたくさんいた
クリスチャンもそうでない人も
多くのべトナム人がそうであるように
写真を撮り、話をし、よく買い物をしていた


フランス語が話せないので
少しでも何か手がかりがないかと思ったが
聞き出すことができなかった

しばらくミサの賛美歌を聴いていた

何が知りたいのかもはっきりわからないことに気がついて
やっとあきらめがついて、立ち上がる

教会の敷地のすぐ外にも土産物屋が並んでいた
昔実家でよく見たのとそっくりなイチゴのジャムが
大きな鍋に入っていた
イチゴのスープみたいなもの
食べてみたかったけれど
今度はベトナム語が話せなかった
じっと鍋の中のとろけそうなイチゴを見て
それからやっと、今度こそ丘を降りた