2009/10/23

「君たちはどう生きるか」を読む


シンプルで、でも印象に残るこのタイトルは
もう長らく気になっていたものだった
確か、中学のときに読んだ気がするのだが
途中で止めてしまった
本の背景が持つ時代性が
どうにもなじめなかったからだった


でも、本屋でみれば、気にかかる
でも、見えない敷居のある本だった
こちらで、古本を見つける
大きくマジックペンで名前の書かれたもので
92年の出版のものだった
初版が82年なのも、
手に取ってみて初めて知った

主人公の中学生の学校での出来事
そのおじさんとの会話などから
成長の過程で一度は考える
人としてどうあるべきかの思考の断片を
提示している

実に道徳的なせいか
あとがきにも書かれていたが
理想主義的な昔の本、という印象を受けてしまうのは仕方がないのかもしれない
ただ、道徳的であるにはどうしたらいいのか
いい人間とはどういう人間なのか
という命題に真摯に取り組む純粋な歳の頃に
何かしらの光を入れるのは確かな気がする

この歳になり
その頃に描いた、人としての理想が
いくらか心ざわめかせつつ、でも
今はもう、手にすることのない明るく澄んだ色をもって
もう一度、少しの間だったが、立ち現れたような気がした

2009/10/15

名前をつけるということ


猫には名前をつけないことにしていた

名前をつけることは
たくさんの猫の中の一匹、ではなく
その、一匹しか居ない、そいつ、になる、ということを意味する
一気に、親密で、かけがえのないものになってしまう

それに、名前をつけると
猫をその名前で呼ぶようになる
呼ぶことが、日常になってしまう
日常は、ずっと続くから日常で
呼ぶことが日常になることは
命あるものならばどんなものでも
愛情を含む何かになることだし
だから、居なくなることを考えると
どうにも怖くなってしまう

それなのに
ひょんなことからついてしまう
bourreeという
どうにもスノッブで
上品な風のある名前

でも、実際には
踊りにくそうな、2拍子の舞曲のことを指すようだ

確かに、ブーレは毎日
不可思議でどたばたな踊りでも踊るように
わたしの足だけではなく
いろんなものものと、戯れている

2009/10/10

Faureを聴く



たまたま、話をしていた人が
FaureのRequiemはいい、と云った

無性に聴きたくなる
が、こちらへ持ってファイルを血眼になって探しても
見つからない

あれほど聴いていたのに、と
自分に失望する

仕方がないから合唱曲を
一人で唄ったりしながら
単純で荘厳で
だから美しい
一曲目の始まりの和音を思い返していた

Pie Jesusの楽譜を持っていたのを思い出し
引っ張り出して
ピアノを弾きながら唄ったりした

でも、やはり、聴きたい
youtubeで音源だけ落とす

聴くと、どこにいてもどんなときでも
ある、同じ心持ちになるような気がする

静まり返る鏡のような湖の水面をみる




いつかと変わらなくて


通り道に、ときどき子犬や子猫が踞っていたり、捨てられたりしていた
日本での話

日本ではうさぎを飼っていたし
学生の頃は
こどもが生まれるシーズンになると必ず
誰かが子猫を拾ってきた
こいつなら育ててくれるだろうと
私の仕事場に猫を置いていった人もいた

休日、仕事場への往き道
自転車で走る3車線道路に、居た
見つけたら、拾うしかない

結局日本に居るときと何ら変わりなく
また、子猫を育てることになる

ただ、今回はもう
飼い主が決まってしまった

単純なエゴで
今まだ、我が家に居る
だけれど
名前はつけないことにしている

よくよく、人の指を噛み
よく跳ね、よく遊び、あまり寝ない
青い目の、賢い猫だ